【特別対談】バンド・デシネ翻訳家・原正人 × 仏文学者・鹿島茂 フランス絵本とバンド・デシネの世界【3/3】

書評アーカイブサイト「ALL REVIEWS」では、日本マンガ学会海外マンガ交流部会にご協力いただき、2019年7月27日、専修大学神田校舎にて、バンド・デシネ翻訳家・原正人さんと仏文学者・鹿島茂さんの対談「フランス絵本とバンド・デシネの世界」を実施。「鹿島茂コレクション フランス絵本の世界」を催した鹿島茂さんが、第一線で活躍するバンド・デシネ翻訳家・原 正人さんをゲストに迎え、フランス絵本とバンド・デシネの歴史と魅力、そして両者の関係性を探りました。
今回主に取り上げた本は、
・マリー・ポムピュイ、ファビアン・ヴェルマン作、ケラスコエット画、原正人訳『かわいい闇』(河出書房新社)
・バスティアン・ヴィヴェス、原正人訳『年上のひと』(リイド社)
・鹿島茂『フランス絵本の世界 ―鹿島茂コレクション』(青幻舎)
の3冊。フランス絵本やバンド・デシネに関する知見はもちろん、出版文化の可能性についてのヒントも散りばめられた対談――全3回の第3回目です。※第1回第2回もあわせてどうぞ。

日本におけるバンド・デシネの紹介

鹿島:日本でもようやく、色々とバンド・デシネが出されるようになってきましたが、どうですか。売れ行きは。

原:そんなには良くないですね。物によりますけれども、少部数で売ってくみたいなイメージではないでしょうか。

鹿島:まあ、出版社の社員がそれに惚れ込めば出せるわけです。

原:そういうことですね。

鹿島:なかなかそういう人がいなかったんですが、よく見つかりましたね。

原:そうですね。僕は2008年から翻訳を始めて、2010年から単行本の邦訳もさせていただけるようになりました。僕個人の話だけじゃなくて、今になって考えると、そのあたりからグローバル化が顕著になって、海外マンガの翻訳出版に関してはひとつ分岐点になっている気がしますね。日本ではバンド・デシネだけじゃなくて、アメリカン・コミックスもその少し前から沢山出るようになっています。一方で最近聞いた話では、台湾や中国でもバンド・デシネの翻訳がかなり出るようになってきているそうです。韓国だって実は日本よりもバンド・デシネの翻訳は多い。日本で海外マンガの翻訳が増えているのは、世界中でそういうことが起きてる中の一つにすぎなくて、むしろ日本は遅れているのかもしれません。

鹿島:かなり遅れていますね。冒頭で言いましたけど、僕も絵本を出している出版社にバンド・デシネを売り込んでいましたが、頭の固さとセンスの悪さに、本当に僕も頭来てね、もう二度と付き合わないと思って……(笑)

原:案外フランスって、アメリカもイギリスもそうだと思うんですけど、新しい出版社で面白い絵本を出しているところがありますよね。たとえば、メモ(MeMo)なんかもすごく良い絵本を出していて、フランスに行った時にそんな作品をいくつか見つけて、「これ絶対翻訳してみたい」と思ったりしました。絵本を翻訳したい人はたくさんいるでしょうから、そう簡単に翻訳はできないと思いますが。

鹿島:これは、『バルナベ(Barnabé)』っていう熊の絵本です。非常にフランス的なエスプリの面白さがある作品なんです。これで笑える人はかなり上等な人だと。で、これを出版社の人に見せたら、「どこが面白いんですか。第一、熊がかわいくないじゃないですか」って……(笑)

原:日本の“かわいい”の幅は狭いんじゃないか、みたいな話はありますよね。

鹿島:もうね、ほんとダメな奴らだなと思ってね(笑)
これ面白くて僕は大好きなんですよね。で、家族でフランスへ行った時に、うちの娘はまだ小学生だったんだけど、僕が古本屋でいると、店の前に日本でいう100円均一みたいな売り物があって、娘がこういうのを見ているんですね。全然フランス語はできないんだけど、絵を見てあははって笑ってたのね。わかるんだ。それぐらいすごくいい、僕は大好きなんだよね。
まあそういういろいろと、結構ね……バンド・デシネのお話ができるなんて、ほんと久しぶりですけれども、そろそろ時間ということになってしまいました。

“かわいい”の幅

由井:それでは質疑応答に入ります。生放送をご覧の皆さまからは、Youtubeのチャットなりで随時質問をいただければと。会場のみなさまも質問があれば、この場で受け付けます。

質問者:たった今話題に出た、「“かわいい”の幅が狭すぎるのではないか」ということについてなんですけど、たしかにいまどきの日本のマンガで“かわいい顔”というと、判で押したように子供のような顔で描いている。特に女性の登場人物は、顔は子供のようで身体はすごくグラマラスに描いていて、判で押したように同じような美人という感じがします。顔と身体のギャップが面白いというのもひとつの個性ではあるけれども、それだけになってしまっているようなうらみがあるのじゃないかと私には思えるのですけれども、それについてコメントというのか、いまどきの日本のマンガの傾向について感想はありますか。

鹿島:ひとつは、日本のマンガ文化というものがシュリンクしている、縮小しているわけですよね。文化って必ず、拡大するときには色んな異端がたくさん出てくるんですよ。一挙に。それまでメインストリームだと思われていたものだけじゃなくて、例えばつげ義春さんの『ねじ式』とか、ああいうものが全然関係ないところからワッと出てきて、それを支持する層というのが一定数存在するようになるわけですよね。だけれども、ひとつの文化が縮んでくると、そっちのほうを許容しなくなって、真ん中のコアな部分だけしか生き残れなくなる。だから、日本だと真ん中だけが広いダイヤモンドみたいな菱形になっちゃうんですね。ところがフランスの場合は、フランス人は多様性というのが特徴なんですけれども、拡大するときはもちろんあるんですけれども、その後も衰退していても、色んな価値観があるんですね。これは日本にないもののひとつだと思います。出版とかその他色んなかたちでもコアな部分が分散していて、色んなものがあり得る。日本だとコアなものを支えている人たちもいるんだけど、そういう人たちが年をとっちゃうとジャンルが細ってくる。そういうことじゃないかなという気がします。

原:とはいえ日本のマンガも色々あるから必ずしもそれだけではないという気もしますが…。コマーシャルな部分というのは結構似たようなものが多いのかもしれませんね。あとは、「マンガに何を期待するのか」みたいな話が、フランス、アメリカ、日本でそれぞれ違っていると思うんですよね。日本であれば、例えば僕の読者としての感覚から言えば、ある種の身体感覚を伴うような快感みたいなものを求めがちな気がする。少年マンガの、例えばスポーツマンガはそういうことなのかもしれません。しかしフランス人はバンド・デシネにそういうものをほとんど期待していないと思うんですよね。そういったことも関わってくるのかなと。例えば、性的な感覚を喚起させるようなものを描きたいとか、読み手の側も読みたいとか。色んな要因があるという気はしますけどね。

鹿島:だいたい、日本の側も余裕がなくなってきちゃっているというのもありますね。

原:それもありますね。一方で、多様性という部分でいうと、絵としての多様性はもしかしたら、日本のマンガでも電子として出版されているものなんかでは色々あるのかも、と。そういったマンガがすごく儲かっているのかは分からないですけど。僕個人が生きてきて、例えば90年代と今を比べたときに圧倒的に違うのが、自分が何かを発信するときの媒体みたいなもの、例えばメールとかが顕著ですが、自分が書いたものが綺麗な活字になるということ。それを例えばSNSを通じて人とシェアできること。これは90年代にはほぼなかったことですよ。出版文化にいたりしたら話は別だと思うんですけども。そういったテクノロジーの変化が表現の変化を生み、コミュニケーションの変化を生むみたいなことがマンガでも起きてきているかもしれませんね。

雑誌の隆盛

由井:生放送をご覧になっている方からご質問をいただいております。「フランスのコミック雑誌は80年代に滅んだというお話でしたが、なぜ滅んだのでしょうか?」と。

原:はい。雑誌は80年代末にはほぼなくなりました。これは人が言ったことの受け売りですけど、バンド・デシネってカラーですよね。雑誌もカラーで、それが単行本化されて出版されていきました。日本のマンガって読み捨てる感じじゃないですか。最近のマンガは違うかもしれませんけど、90年代のマンガがすごく元気な頃って、読んだ雑誌は電車の網棚に置いたりとかそういう感じだったと思うんですけ。ところが、マンガの文化のあり方がちょっと違っていて、フランスはそうではない。本をすごく大事にする文化で、単行本が出たらそれをちゃんとコレクションしていく。で、だとすると「単行本を持っておけばいいじゃん」「雑誌はいらないよね」と。そのへんは、日本とは事情が違いますね。日本のマンガ雑誌はちょっとザラザラな紙を使った雑な印刷で大きな判型で、単行本は雑誌のときより小さい判型に規格を変えている。それが戦略としてあるのかどうか知りませんけど。そういうことで、バンド・デシネはコレクションするのだったら単行本、というのは聞いたことがあります。

鹿島:流通の問題もあると思いますね。フランスには、日本のトーハンとか日販のような巨大な取次がないんです。雑誌は基本的に個人が契約すると郵便で届くというのが、要するに定期購読という方法がずっと主流だったんですね。で、アシェット(Hachette)という大手出版社が流通に乗り出してトーハンとか日販みたいになったんですけども、結局アシェットと並ぶような流通網がないんですね。おまけに、アシェットは雑誌の流通をやったんですけども、単行本には巨大な流通網がないんですよ。色んなところがやっている。この流通の問題というのは結構大きくて。で、巨大取次が存在しなかったためにフランスの出版文化は今になった生き延びたというすごいパラドックスがあって。

原:なるほど(笑)

鹿島:だから、流通の問題が起きたときに完全に定期購読に切り替えた雑誌は、いまだに意外と生き残っているんです。フランスで一番古い「両世界評論(La Revue des Deux Mondes)」という雑誌は、そうやって、いまだに出ているんですね。驚いたことがある。

原:文学史で習うレベルの雑誌ですよね。

鹿島:ボードレールの「悪の華」が最初に載ったというね。

原:そうなんだ。19世紀半ばじゃないですか(笑)

鹿島:そこからずっとやっていて、その雑誌を調べたら、まだあるんです。それで定期購読率が70%って言うんですからね。これはそう簡単には滅びないな、という感じです。

原:むしろ、日本の出版がこれからそういうのを真似しなきゃいけない、くらいの雰囲気かもしれませんね。出版したところで誰に届くのか、みたいな問題がありますから。

バンド・デシネの制作システム

質問者:ジャンポール西さんのマンガで、ジャンポール西さんがフランスに行って、まずアシスタントからマンガ界に潜りこもうとしたら、「アシスタントというシステムがない」、「なんでそんなものがいるの?」と言われたという話がちょっと面白いと思いまして、週刊誌の連載がないとか補助金が出るとか、そういう背景もあると思うんですけど、アーティストとしてのプライドとか、マンガ家としての職業観といったものが影響して「個人で全部やるんだ」という思想ができたのかなと考えたんですけども、全部個人でやるというシステムがなぜフランスにあるのかをうかがいたいです。

原:今おっしゃられたことがすべて関わっていると思うんですけど、作家としてのプライドはすごくあります。アーティストと言ってしまうと、「芸術を作る人」という感じがしますけど、そういうことではなくて、「全部自分でやるよ」「自分の責任で作る」という意味でのアーティスト観はバンド・デシネ作家の間で強くあるというのはあります。それから、アシスタントを使う必要がない。ペースをそんなに上げる必要がない、ということもある。でも、一方で、今までアシスタントを使った人がいなかったかというと、そうでもないんですよ。アシスタントを個人レベルで使っていた人もいるし、例えば『タンタンの冒険』のエルジェはスタジオを構えていました。分業をやっていたわけです。今は日本のマンガのスタイルで描く人たちもいて、その人たちは自分たちをマンガ家と呼ぶわけですけども、そのフランス人マンガ家たちの中で生産ペースが早い人たちはアシスタントを使っています。例えば僕が翻訳をしている『ラディアン』という作品の作家トニー・ヴァレントはずっと一人でやってきた人ですけど、この作品は途中から、トーンワークの部分だけはアシスタントを頼むようになったと言っていましたね。

鹿島:あと、日本でもアシスタントを使う分業システムというのは…。全てのジャンルで分業体制ができたときに大量生産に移ることができるわけですよね。最初に分業をやったのは、ライフル銃を生産したときに、それぞれ部品に分けて作ったということなんですけども、これを日本でやったのはさいとうたかをプロダクション。『ゴルゴ13』という作品がありまして…。さいとうたかをという人は貸本マンガ出身で、貸本マンガではそういう分業体制があったのですが、それを非常に早くから意識的に取り上げたんですね。それで、彼のアシスタントだった人たちから劇画マンガ家が大量に出てくるわけです。日本は分業体制というのはどのジャンルでも比較的遅れているんですけど、マンガだけは世界最初に分業体制ができあがったというところですね。

原:なんだったら浮世絵がすでに分業体制でやっていたというね。浮世絵とマンガがつながっているかどうかは知りませんけども。

図書館とバンド・デシネ

質問者:フランスだとバンド・デシネが結構図書館に入っていて子供たちが接しやすいかと思うのですが、日本だと図書館がバンド・デシネの翻訳書をなかなか受け入れてくれません。どうすればいいのでしょうか。

原:置いてあるところもあると思うんですけど、結局司書の人たちがバンド・デシネに理解がないと難しいじゃないですか。僕はそういうことができるのであれば、「こういう作品があるんですよ」みたいな説明会をやりたいんですけど、どういうルートでそれをやっていいのか分からなくて、例えば図書館に関しては図書館流通センター(TRC)というのがあるようですが、ただそれは取次とほぼ同じ役割をしているのでちょっとまた違うのかなと。
どうやったらいいんでしょうか(笑)。少ししか入っていない印象なので、もっと置いてほしいですけどね。特に社会問題系のやつは。

質問者:利用者がリクエストするという手はあるんですよね。こういう本があるので入れてもらえないでしょうかね、と。

鹿島:それが一番強いんですよ。日本の図書館にとっては利用者の声が神の声ですから。
僕は「ALL REVIEWS」っていうのをずっとやってるんですけど、その時に考えることは、やっぱり流通というところから色々変えていかないと、新しい書籍文化はできないなということなんです。これは一番大変なことなんですけど。でも、もう一つありまして、フランスは文化立国として生きるという決意を、おそらくドゴール政権の時代にアンドレ・マルローが文化大臣になって以来しっかり確立しているんです。 どういうことをやったかというと、子供に教育する。これしかないということで、例えばフランスでは今、演劇がものすごく盛んなんです。驚くべきことに映画館が劇場に変わっているんですね。「パリスコープ」が廃刊して、パリの情報誌というと今は「ロフィシエール・デ・スペクタクル」しかないけれども、それを見ると、紹介されている演劇と映画の比率が、1対2ぐらいだったのが、今や2対1になっている。なぜそうなったかというと、それはリセとか小学生の段階から子供たちを学校で芝居に連れていくという教育をしているからなんです。一度、リセの学生の鑑賞会に当たっちゃって、こっちは一般観客として入ったものだからえらい迷惑でね。ウジューヌ・イヨネスコの戯曲『禿の女歌手』をやっているユシュット座(Theatre de la Huchette)っていうのがあって、私は仏文をやりながらこの有名作を見ていないのはやっぱりまずいよなということで、行ったんですね。そしたら鑑賞会に当たっちゃった。隣にいたリセの女の子、最初から最後までスマホをいじっていましたね、芝居見ないで。でもそれも織り込み済みなんです。

原:なるほど。

鹿島:つまり、50人全員が芝居に興味を持たなくてもよろしい。その中から1人ないし2人、演劇に興味を持つ子が現れればそれでいい。こういう感じで、何かをやろうとする時には子供からやらなきゃいけないというのが、フランスの文化政策なんです。美術館でも、学校から連れてこられた小学生団体が学芸員の人にいろいろ聞いていたりするんです。そういう面では、文化立国として生きるというのはかなり徹底している。バンド・デシネもそういうジャンルのひとつに認定されているんじゃないかな。

バンド・デシネと絵本の交流

質問者:時代をさかのぼっていくと、例えばバンジャマン・ラビエのようにバンド・デシネとか絵本といったジャンルがまだ未分化であった、混交していた時代があったと思うんですが、1930年代にかたや絵本の『ぞうのババール』シリーズが、かたやバンド・デシネの『タンタン』シリーズが出てジャンルも細分化していったと思うんですけど、現代において、バンド・デシネと絵本の間に相互影響や混交といった交流は見られるのでしょうか。

原:あると思います。バンド・デシネの作者が絵本もやってるというケースは多々ありますし、絵本をやってた人がバンド・デシネをやるということもあるんですね。今日取り上げさせてもらった『かわいい闇』の作者は、子供向けの『レ・チューク(Les Tchouks)』(未訳)っていう作品も作っていて、これは完全な絵本ですね。ただ吹き出しはあったりする。吹き出しがあったら絵本ではない、と言われちゃうとそれまでですが。絵本の定義の問題はありますよね。それから、鹿島先生が持ってこられた『アランの戦争』の作者のエマニュエル・ギベール(Emanuel Guibert)が、大人向けの絵本の『行ったり来たり(Va et Vient)』 (未訳)という作品を出しています。人生の3つの局面における男女の行ったり来たりをセクシャルな部分も含めて描いているすごくいい作品です。そういうのがあったりする。もうちょっとタイプが違うものでいうと、絵本かどうか微妙なんですが、バンド・デシネ作家のベジアン(Bézian)が 『アートの流れ(Le Courant d'Art)』(未訳)という、蛇腹状になっているという、ギミックのある作品を作っていたりと、形式的な実験も行っています。
鹿島先生が展覧会で紹介されていた、ナタリー・パラン(Nathalie Parain)の3Dメガネみたいな前例もありますし、そういうことって、相互にいろんなところが混ざり合って存在してきているのかなっていう感じですね。 でも、バンド・デシネと絵本はジャンルとしては一応分かれていますかね?

鹿島:一応、分かれてますね。

第九の芸術

質問者:バンド・デシネは「第九の芸術」と呼ばれていますが、そう呼ばれるようになった経緯と、絵本も第九の芸術に入るのかどうかをうかがいたいです。

鹿島:どうなんでしょうかね。第八は何でしたっけ?

原:第八はテレビ、第七は映画でしたっけ。その辺は結構、適当っていうかね。
60年代だったか、バンド・デシネ作家のユデルゾ(Albert Udelzo)かモリス(Morris)が、ある雑誌のコーナーで、冗談半分で第九芸術という言葉を使ったのが初出だと読んだ記憶があります。冗談半分。最初はね。60年代というのはファンカルチャーにとってすごい重要な時代で、戦前にミッキーマウスとかを読んだ人たちが大人になって、自分達が読んできたコミックスとかバンド・デシネをきちんと評価したいというので展覧会を開いたりするっていうことを運動としてやっていくんですね。その挙句にできたのがアングレーム国際漫画フェスティバルだったりするわけです。フェスティバルができたのは70年代になってからですが。とにかく、そういう過程でバンド・デシネを、これは芸術なんだよという感じで擁護していったわけです。

鹿島:それと、オタク第一期世代で有名なのが ジャック・サドゥール(Jacques Sadoul)という人で。僕は、実はそのサドゥールの『現代SFの歴史』という本を80年代に翻訳しているんですよ。彼は元祖オタクで、バンド・デシネの歴史も書いている。初期のバンド・デシネの歴史ですね。その時代にはそういう研究者がコレクターも兼ねていて、そのコレクターも非常に先駆的な大コレクターからコレクションを譲ってもらったとか、そういう形でこういう人たちが居て、その傍らに、古本屋としてバンド・デシネを開拓した人が2人ほどいまして、1人はパサージュ・ジュフロワ(passage Jouffroy)の角にある本屋さん。名前は忘れちゃいましたが。そこと、ジュフロアを抜けたパサージュ・ヴェルドー(passage verdeau)にある本屋さん。パサージュは当時、非常に廃れた盛り場でした。僕が訪ねた頃の最初の時代に、初期バンド・デシネのコレクター、第一期オタク世代っていうのが、一つのジャンルを立ち上げたんでしょうね。

原:「第九芸術」って日本語で言うとちょっと馬鹿馬鹿しい感じもしますが、フランス語だと「Le 9eme art」という言い方は今では普通に通じます。そこまで大仰な感じでもない。もはや一般化しているってことですね。

バンド・デシネと印刷技術①

由井:オンラインで見ている方からの質問があります。噛み砕いていいますと、「バンド・デシネと 絵本は印刷技術の発展に伴ってどのように変化してきたのか、あるいはどのように受容されてきたのか。エポックメイキング的な印刷技術の発展との関わりってあったりすのですか」と。

鹿島:例えば日本でこういう本(『フランス絵本の世界』)を出そうとすると、すごく大変なんです。まともにいったら、定価1万円超えちゃうんですよね。日本でこれだけカラーを入れてやろうとすると。これは図録として出版したから3000円台でできたんですけど。日本では、カラー印刷って、クオリティが高い部分もあるんですけれども、非常に高くつくんです。何故かというと、日本のカラー印刷は雑誌のためのものなんです。雑誌あるいはムック、つまり広告が入って初めて成り立つというのがカラー印刷なんですね。だから、本ではなかなかカラー印刷が出来ないというのが、日本の悲しい現実でね。ところが、フランスに行くと、すごく安い値段でカラー印刷できる。

原:ページ数も少なくてすむとかね。

鹿島:僕の感覚でいうと、そういう技術が得意なんじゃないかっていう感じがするんですね。というのは、戦前に、スイスのスキラ(Skira)社という有名な美術出版社が美術の印刷を開拓しまして。この会社は今もありますが、当時人件費が格安だったイタリアで美術印刷を主にやった。僕らの世代にとって絵の美術印刷はどこかというと、イタリア。全部イタリアなんですね。イタリアの美術印刷の技術は非常に高いレベルに達してます。そこからフランスにかなり流れてきたのもあって、ヨーロッパのクオリティの高さで、しかも安くあがる。まあ、今、実際にはマグレブ諸国とかアフリカとか、そういうところに下請けはさせているんでしょうけれども。初期のその技術がスイス、イタリア、フランスなんかにあったというのが大きいと思います。

原:展覧会の中でも、ブーテ・ド・モンヴェル(Boutet de Monvel)のカラー印刷の話が出てきたじゃないですか。すごい少ない部数でも、すごいクオリティで。これはなんかちょっと例外的ですが。

鹿島:それはかなり例外的ですね。オフセットとかじゃなくて輪転機で回すような感じになったのは、僕の感じで言うと60年代末。一番古くて、そのぐらいかな。それまでは大したことなかったですよ。急にそのスキラ社系統のものに「凄いな、この画集がこんな安い値段で手に入るんだ」って驚いたのは、この30〜40年くらいかな 。意外と新しいもんですよ。

原:もうちょっと絵本とかバンド・デシネの歴史的な話で考えると、例えば先ほどお話ししたテプフェールっていう人は、リトグラフの一種のオートグラフィという印刷の方法を利用していました。それは会計書類とかに使われていたような簡素な方法で、一回反転したものをまた反転させるみたいな、奇妙なやり方をする。それを使ったことが、バンド・デシネを含めた広い意味でのマンガの発展にすごく寄与したということが、森田直子さんの『「ストーリー漫画の父」テプフェール』でも言われています。
その一方で挿絵とかで行われていたのが、木口印刷ってやつですか?

鹿島:挿絵本の歴史だと、エポックメイキングなのは、1799年、ゼネフェルダー(Johann Alois Senefelder)っていう人が、リトグラフィー、石板印刷を発明しました。石板というのはね、カルシウム系統の石の上に油で絵を描いて、そこに酸をかけると、描いていないところにに酸が侵食して、油で描いたところが凸版になる。これを平板というんですけれども、それでリト(リトグラフィー)ができたわけですね。それとちょっとずれて1820年代後半ぐらいかな、そこぐらいから木口木版(こぐちもくはん)というのが非常に盛んになったんですね。僕が展覧会で取り上げた時代よりもう少し前のグランヴィルの頃に盛んになった。木口は木の口と書くんです。これは、ツゲとかそういう堅い木の芯を四角く切る。そうするとそれが 鋼鉄よりも硬いんですよ。

原:そんな硬いんだ。

鹿島:その部分にビュランという、それも鋼鉄用の彫刻刀で絵を描く。そうすると、銅板や鉄板と違いましてサイズを小さくできて、版を組む際に、活字で組んだところと木口とを組み合わせて縛って、ひとつの版面を作ることができたんです。それまでは文字と絵を別々に刷らなきゃいけなかった。同じ版面で処理できるというのが木口の偉大さだね。これによって木口は19世紀ずっと来たわけで、その木口の職人の一番すごかったのは、 1880年代ぐらいまでかな、当時、写真がようやくできて、伝書鳩で送信が可能になった。写真の発展のかなり早い時期です。でもそれを印刷することはできないという状況だったわけです。そうすると、向こうで撮った写真家がそれを伝送して、受けた写真を木口木版の職人に渡すと、職人が写真を木口木版で起こすんですよ、ものすごいヴィルトゥオーソ(virtuoso)っていうか、ものすごい技術でね、『レ・ミゼラブル「百六景」』で取り上げたのはそういう人達です。

原:絵の場合は、絵の下絵を描く人がいて、それから木口木版を刻む人はまた別の職人なんですか。

鹿島:全然別。刷る人も別です。完全分業で、工房で作っていた。職人はたいてい貧しい階層の人で、例えばロダンなんかもかなり貧しい階層の出身でした。こういう人達がどうして芸術家になれたかと言うと、画家系統の人は木口木版家になるんです。これは工房システムで、ボザール(Beaux-Arts)という美術学校に行けないような人が、工房でやっているうちに絵を習得するの。ロダンはどうしたかというと、第二次帝政期には、肖像彫刻工場っていうのができるんですよ、彫刻を、例えばナポレオン3世のルーブルなんかだと量産してボコボコ作んなきゃいけない。それで貧しい階層の人を雇って、彫刻の量産体制に入る。そういう学校もできる。その学校で、ロダンみたいに才能を磨いて、貧しい階層から上がる人が出てくる。多分カミーユ・ピサロもそういう出身だったと思う。印象派でも、マネみたいに金持ちの人と貧しい人と両方ありまして、ルノワールは貧乏な人でしたが、 そういう学校から上がって美術に接するということがあったんですね。大量生産システムも意外に芸術家を育てた。

原:そういう部分もあるということですね。

バンド・デシネと印刷技術②

質問者:印刷方式にポショワール(pochoir)を使ったバンド・デシネはあるのでしょうか。

原:ポショワールって、いわゆるステンシルと同じということでいいんですよね。ステンシルって使います?

鹿島:ポショワールというのは、簡単な技術のように見えてすごく複雑な技術なんです。それで、最初は簡単な技術があったんだけれども、ジャン・ソデという人が、この時代のもうちょっと後ですね、アールデコの芸術家の時代に独特なシステムを開発しまして、リトグラフなんかよりも遥かに複雑な色が出せるようにした。で、当時はカラー印刷は非常にレベルが低かったから、モード絵ですね、バルビエとかそういうのの色を出すのはステンシルのジャン・ソデ方式を使った。それ以外ないんです。そのために開発されたんだけども、工程はかなり芸術家寄りなんですね。大量生産に向いてないんですよ。

原:なるほど、なるほど。

鹿島:だから、ポショワール画で作られたものは全部高いです、今。最低でもウン万円するんですね。

原:僕、割と最近、ストリートアートについてのガイド本(『ストリートアートで楽しむパリ』)を翻訳したんです。

ストリートアーティストたちは、ポショワール、ステンシルを使って、町に傷跡を残すみたいなことをしていくわけですけれど、大量生産ではないですね。

鹿島:大量生産ではないですね。

原:バンド・デシネで使っている例は、ちょっと僕は知らないですね。

由井:ありがとうございました。ということで、途中で打ち切る形になっちゃうんですけど、お時間になりましたのでここで終了とさせていただきたいと思います。どうもありがとうございました。

※このインタビューは、「月刊ALL REVIEWS」特別対談として 2019年7月27日に実施されたものです。当日の様子は、こちらの動画をご覧ください。

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【文字起こし(ALL REVIEWS サポートスタッフ/友の会会員)】
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【この記事を編集したひと】しげる
ALL REVIEWS 友の会会員です。この対談を企画しました。先日兄が初めてタピオカミルクティーを飲み、タピオカを残したそうです。

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