【特別対談】バンド・デシネ翻訳家・原正人 × 仏文学者・鹿島茂 フランス絵本とバンド・デシネの世界【1/3】

書評アーカイブサイト「ALL REVIEWS」では、日本マンガ学会海外マンガ交流部会にご協力いただき、2019年7月27日、専修大学神田校舎にて、バンド・デシネ翻訳家・原正人さんと仏文学者・鹿島茂さんの対談「フランス絵本とバンド・デシネの世界」を実施。「鹿島茂コレクション フランス絵本の世界」を催した鹿島茂さんが、第一線で活躍するバンド・デシネ翻訳家・原 正人さんをゲストに迎え、フランス絵本とバンド・デシネの歴史と魅力、そして両者の関係性を探りました。
今回主に取り上げた本は、
・マリー・ポムピュイ、ファビアン・ヴェルマン作、ケラスコエット画、原正人訳『かわいい闇』(河出書房新社)
・バスティアン・ヴィヴェス、原正人訳『年上のひと』(リイド社)
・鹿島茂『フランス絵本の世界 ―鹿島茂コレクション』(青幻舎)
の3冊。フランス絵本やバンド・デシネに関する知見はもちろん、出版文化の可能性についてのヒントも散りばめられた対談となっています。全3回に分けてお送りします。

バンド・デシネと日本

鹿島:今日は「月刊ALL REVIEWS特別篇」ということで、日本におけるバンド・デシネ翻訳の第一人者である原正人さんをお招きして、原さんご推薦のバンド・デシネ『かわいい闇』を中心にディスカッションをしたいと思います。
そもそも、「バンド・デシネ」と言っても「何それ?」と言われることが多い。まだ日本語に定着していないようですが、まずはそのあたりを説明していただけますか?

原:バンド・デシネというのは、基本的には「フランス語圏のマンガ」です。ただ、実は日本に入ってきた歴史はそれなりにありまして、おそらく70年代くらいから、バンド・デシネという言葉も使われています。そういった時にバンド・デシネとして紹介されてきたのは、「日本のマンガとは少し絵柄が違う」とか「ちょっとアートっぽい」、「当時(70~80年代)の文脈でSFとかを描いている」といった作品で、さらにオールカラーというイメージがあるかと思います。
そして、一口に「マンガ」といっても、アメリカでも日本でもフランスでもその形態はそれぞれ違います。例えばこれ(『Zig et Puce』)はA4判ぐらいです。結構大きいですよね。こういう大きさのもので、かなり薄い。48ページとか64ページが基本フォーマットになるんですけれど、こういうものをバンド・デシネと言います。形は時代によって変わったりしますが、こういうものと思っていただければ。

鹿島:ありがとうございます。
実は、ぼくはバンド・デシネに関して少し思い出があるんです。1973年だったかな、僕が東大で習っていた西村(晃二)先生が、フランスで大ヒットしてるバンド・デシネの『アステリックス(Astérix)』を日本でも紹介しようとしていて。確か双葉社だったかな。西村先生に「僕の下訳として使ってやるから、これが大いに売れたら君たちも大儲けできるぞ!」と言われて、ワーイと翻訳を手伝ったら、全然売れなかったんですね(笑)。

原:どうやらそうだったみたいですね(笑)。当時、双葉社から『アステリックス』が3冊出て、それから『ラッキー・ルーク(Lucky Luke)』が3冊出たんですよね。

鹿島:そう。それ以降、日本でのバンド・デシネの紹介や翻訳はほとんどなく、散発的でした。良い作品もたくさんあったので、僕もフランスに行くと時々買って、どこか日本で出したがる出版社はないかなと色々売り込んだんですけども、全部断られたんです、見事なくらいに! どこも、「これはちょっと…」と。判型からして本屋さんが置いてくれないという、物質的な問題もあったようです。これだと絵本コーナーにしか置いてくれないから無理、と全く脈がなくて。最後にぼくが出版社にプッシュしたのは15年位前かな。
しかし、原さんという、日本でバンド・デシネの紹介を情熱をもってしてくれる方がようやく現れました。これは素晴らしいことだと思います。
バンド・デシネは、日本のマンガとかなりクロスして相互に影響を与えていますね。

原:その通りだと思います。

鹿島:『かわいい闇』の帯文を書かれている大友克洋さんはバンド・デシネの影響を受けてそれまでの日本のマンガと違う概念の作品を描いているということもありますし、あるいはフランスでは谷口ジローさんも随分人気があります。

原:そうですね。フランスにおいて最も知られている日本のマンガ家の一人です。

サン・ミッシェルの「少年ジャンプ」

鹿島:ごく普通の日本のマンガ作品でもフランスに浸透しているということが、20世紀後半にはかなりありました。
ムッシュー・ル・プランス(コンデ公)通りという、サン・ミッシェルに抜ける古い通りの端に有名なバンド・デシネ屋がありまして、月曜日にそこに行ったら、なんとカウンターの上に「少年ジャンプ」が積み上げてあったんです!

原:本当ですか!

鹿島:そう。「今日はそういえばジャンプの発売日だよね」、と。日本から飛行機に積んできたんでしょう。すごい時代になったもんだなあと感じたのが20世紀末くらい。「日本語を読めなくてもマンガが読みたい」とか「マンガを見て日本語を勉強したくなりました」というフランス人もたくさん出ていて、相互に影響を与えあっていたのでしょう。
フランスではアングレームで毎年バンド・デシネのフェスティバル(アングレーム国際漫画フェスティバル)をやっていますが、そこも随分交流の場になってますね。原さんは行かれたことは?

原:2回行っています。街全体がフェスティバルの会場になるんですね。3日間ぐらいやって、世界中から作家さんやファンがやってきて、来場者は約20万人にのぼると言われています。街全体が会場になるというフェスティバルは、日本ではマンガはもちろん、他のジャンルでもなかなかないですよね。
会場ではサイン会が行われるのですが、本を買ったらその場で絵を描いてくれたりする。場合によっては色もつけてくれる。他にもいろんなイベントがあって…。街自体は古い街ですよね。

鹿島:はい。アングレームというと、ぼくのようにバルザックをやっている人間からすると、『幻滅』の主人公リュシアン・ド・リュバンプレと、それから『ゴリオ爺さん』のラスティニャックの出身地ということで知ってるんですけれども、昔から刺繍で知られています。山の手と下町の2つに別れていますよね。

原:そうですね。上には城壁があって街が広がっていて、下にも別の住宅街が、という雰囲気です。

『かわいい闇』の不穏さ

鹿島:さて、この『かわいい闇』という、原さんが訳されているバンド・デシネですが、僕はとても面白く読みました。これは日本のマンガには絶対ないテイストですね。残酷というか、日本だったらこういう風には書かないだろうなという表現もたくさんあります。また非常に童話的というか、グリム童話なんかはもともとは非常に残酷なものなのですが、ある種、そこに先祖返りしているという印象です。
作者のマリー・ポムピュイと、ファビアン・ヴェルマン、これはご夫妻なんですか?

原:いえ、マリー・ポムピュイは女性ですが、絵を描いているケラスコエットというユニットのうちのひとりで、ファビアン・ヴェルマンはそれとは違う男性の原作の方です。

鹿島:なるほど、そうだったんですね。それでは、原さんから『かわいい闇』の内容紹介をお願いできますか?

原:物語は、ある女性と、その友達の女性、それから男性がティーパーティーを開いてるところから始まります。そこに突然、天井から何かが落ちてきて、カタストロフが起きる。どんどん天井や壁が崩れてきて、思わずみんなで室内から外に飛び出す、というようになっていきます。
実はその「室内」というのがある少女の体の中で、少女はもう死んでしまっているらしい。で、その中にいる小人達が細胞の比喩なのか何なのか分かりませんが、彼らが一斉に外に飛び出して、そこからサバイバルをしていくという話になっています。
小人たちは、小人であるがゆえに大自然が人間以上の大自然になるわけで、昆虫とか動物が脅威になったりします。例えばコガネムシなんかが出てきたりする。こういう昆虫なんかは、フランス美術の文脈でいうとグランヴィルを思わせるところがあって、作者がどれだけ意識してるのかは分かりませんけれども、僕はそういう意識的無意識的なつながりがすごく楽しいなと思っているんです。
そして、自然の脅威にさらされながら、小人たちが死体の周りで過ごす。春から夏、秋、冬と季節は巡っていき、死体は徐々に腐ってミイラ化していく。その周りで小人たちはサバイバルを繰り広げ、色々な危機に立ち向かう。内紛が起きて、その中で主人公のオロールちゃんという女の子が成長すると言っていいのかどうか分かりませんけれども、すごくいい子だったんですけれども、ちょっと雰囲気が変わってきて……というお話です。
教訓があるのかと言うと、あるとは言えないですが(笑)

鹿島:そうですね、後ろの著者インタビューに書いてあるんですけど、内容を知らないで買って子供に与えた人がすごく怒って返しにきた、なんていうエピソードもありますね。

原:ええ。返品騒動が(笑)

鹿島:フランスでは本をプレゼントに贈るという習慣があります。僕が最近よく使うのはボン・マルシェに行く向かって左手にある、シャンテクレールという絵本屋なんですけど、あそこで私たちが買うと、私たちが年配なのを見てか、「プレゼントですか? 包みますか?」と言われますね。

原:へえ。

鹿島:昔はバンド・デシネをプレゼントにするということは、なかなかなかった。今は全くごく普通ですが。

原:ごく普通ですね。

鹿島:子供が大喜びで指定してくるわけです。

バンド・デシネの社会性

鹿島:バンド・デシネの文化は相当に長い時代を経て、ありとあらゆるジャンルがありますね。

原:そうですね。日本のマンガも多様ですけれども、それと同じように。
逆に日本ですごく隆盛しているけれども向こうにないジャンルというのもたくさんあって――例えばスポーツマンガは、バンド・デシネにはほぼないし、グルメマンガもほぼない。それから恋愛マンガというのも、恋愛そのものにフィーチャーしてるものはかなり少ない。
今回、『年上のひと』が少しそういう作品ですけども、これは新しい世代のマンガ・アニメを経た作家ということですね。だからこそやりますが、元々は少ない。
逆に、今のバンド・デシネにはあって日本にあまりないのが、社会問題を扱っている作品です。中でも、例えば移民の問題とかは、日本のマンガで僕は読んだ記憶がほぼないですね。

鹿島:最近出た『未来のアラブ人』という作品も移民問題を扱っていますね。まだ途中までしか読んでないですけれども、主人公はシリア人のお父さんとフランス人のお母さんの間に生まれた子供です。お父さんが研究者なので、最初にリビアに行って、カダフィ大佐のところで大学の先生になるんだけれども、そこを出てまたシリアに戻ったり、フランスに戻ったりする。
移民系のバンド・デシネは多いですね。

原:多いです。先ほどこういったもの(『ジグとピュス(Zig et Puce)』(未訳)を見せながら)がバンド・デシネの基本フォーマットだと言いましたけれども、90年代以降、少しそれが変わってくるんですね。90年代以降は、もうちょっと厚みのあるもの、この『塩素の味』は邦訳版ですけれど、こういう大きさ(だいたいB5版)で200ページぐらいあるようなものがかなり出るようになってきて、こういったものにはわりと自伝的な作品が多かったんです。
その文脈の中で、『未来のアラブ人』はまさにそうですけれども、自伝として移民の問題を扱っていくというものが出てきた。

鹿島:そうですね。(マルジャン・サトラピ『鶏のプラム煮(Poulet aux prunes)』の原書を見せながら)その中で大ヒット作を生んだのが、マルジャン・サトラピさん。この方はイラン出身の女性のマンガ家で、オーストリアを経てフランスに定住して、自伝的なものを書いて、絵柄はこんな感じなんですけども、これは翻訳もありまして、話題を呼んだ。とても面白い本ですね。
文化的軋轢を扱うに当たって絵を介することによって、移民の方でも入りやすいということなんでしょうね。

原:そういったことがあるのかなと思いますね。

鹿島:あと、僕が翻訳を薦めたのはこの2作なんです。『Quand papy avait mon âge』 と、『Quand mamie avait mon âge』(Gilles Bonotaux & Hélène Lasserre 作) です 。マミー(mamie)=おばあちゃん、パピー(papy)=おじいちゃんが僕の歳ぐらいだった時のこと、という一種の教育マンガです。

原:そうなんですね。

鹿島:僕、仏文の教師をもう10年以上やってないんだけど、これは仏文の教師をやっていた時にすごく役に立ったんです。第二次大戦直後の学校のこととか、家の中のこととかが絵で再現されているので、例えばこの時代が舞台の小説を学生に読ませる時に、このバンド・デシネがすごく役に立って、僕はいつも2冊買ってちゃんと勉強しなさい、と言ってました。言葉ではなかなか説明できないものを理解してもらうのに、とても良かったんですね。
バンド・デシネには本当にいろんなものがありまして、とてもではないけど追いきれないくらいあります。

原:そうですね。

コマ割りの起源

鹿島:それから、バンド・デシネ専門の、新刊及び古本書店のフルフルの本屋さんもありますね。そこへいくと、どれも非常に高い。

原:高いものは、今すごく高くなっていると思います。先ほどのお話にありましたけれども、パリのサン=ミシェルの界隈には、バンド・デシネの書店がいくつかありまして、新刊書店もあれば、新刊と古書を扱うところもあって、割と繁盛もしてる。

鹿島:そうですね。僕が行く書店はパッサージュ・ヴェルドー(Passage Verdeau)という、9区の反対側かな、そこのグラン・ブールヴァールにありまして、定評があるバンド・デシネを集めようとすると、まあ大変高い! どれくらいかと言うと、3万から10万円。それくらい軽くする……(笑)

原:それ、鹿島先生のコレクションに入るようなやつですね、きっと(笑)。鹿島先生の展覧会では、バンド・デシネとゆかりの深いバンジャマン・ラビエ(Benjamin Rabier)も取り上げられてましたけど、僕はラビエをあんなにたくさん見たことがありませんでした。

鹿島:これは(ラビエ作『戦争の犬フランボー(Flambeau, chien de guerre)』(未訳)を取り出して)、バンジャマン・ラビエのオリジナルです。

原:そうですか…!

鹿島:バンジャマン・ラビエは、僕の展覧会(「鹿島茂コレクション フランス絵本の世界」)でやりましたけども、ラビエを何としても紹介したいと思ったんです。

原:素晴らしいと思います。

鹿島:ラビエは何が面白いかって、それまで絵本はコマ割りをしなかったんですね。ところがラビエが登場したことによって、1880年代ぐらいからか、コマ割りが出てくるようになったんです。吹き出しが登場するのはこの時代の後ですね。

原:吹き出しは、フランスでは、1925年ぐらいから出てくると思います。

鹿島:そう、必ずこういう風に、絵の下側にテクストがついてるっていう形をとるんですけれども、それが吹き出しになってさらに進化を遂げる、ということになるんです。
「フランス絵本の世界」展をやった時に、一つ僕が明らかにしたいなという問題がありまして、それは「コマ割りはどうして登場したのか」という問題なんです。

原:おお、なるほど!

鹿島:それ以前の、例えば ブテ・ド・モンヴェル(Boutet de Monvel)の 『ジャンヌ・ダルク』(Jeanne d’Arc)などを見ると、この時代はまだ、コマ割りはなかったんですね。それが、ラビエあたりから登場してくる。ラビエはもう完全にコマ割りになっているんです。19世紀の最後の方にはもうマンガ雑誌が出るんですね。
このコマ割りの問題を考えてみたくて色々と考察を練ったんですけど、僕の出した結論をいきなりここで披露してしまいますと、それは次のようなことなんです。
まだどこにも書いていないことなんだけど、フランスの伝統的な油絵の、三次元を二次元にするという透視図法がありますね。透視図法というと我々はそれが表現するのは奥行きだけって考えますね。だけど実を言うと、透視図法は、時間も含めているんですね。

原:なるほど。

鹿島:透視図法の中には時間が込められている。だから透視図法が登場することによって、その絵の中に現れた時間を読むということが絵画鑑賞の非常に重要なテーマになったんですね。
ところが、ブテ・ド・モンヴェルはとてもデッサン力のある人ですけども、日本の浮世絵の影響で、非常にフラットな絵を描くようになります。そうやって透視図法を捨てると、時間表現ができなくなるんですよ。フラットな絵にすると、時間をそこに込めることが難しくなってるんじゃないか。

原:ふーむ。

鹿島:そこで、絵を割って時間を作った――というのが僕のコマ割り起源説なんですね。

原:なるほど。仮説としては非常に面白い気はしますね。
日本でも今マンガ研究が進んでおりますが、バンド・デシネの方も研究は、60年代末ぐらいから、割と広がってきて、90年代ぐらいに大きな盛り上がりがあって、今すごく進んできてる。
その流れで言うと、スイスのマンガ家でロドルフ・テプフェール、フランス語で発音するとロドルフ・トプフェールという人がコマ割りのバンド・デシネの起源とされていて、この人が、1799年に生まれて1846年に亡くなっています。まさにモンヴェルなんかとほぼ同時代なんですね。
『フランス絵本の世界』の展覧会及び図録の中で、フランスの絵本とか挿絵本が19世紀後半からすごく盛り上がっていたと書かれていて、冒頭でも話がありましたけど、やっぱりマンガとパラレルに進んでいっているというところが、すごく面白い感じがします。
森田直子さんという方が書かれた『「ストーリー漫画の父」テプフェール―笑いと物語を運ぶメディアの原点―』という本がありまして、これは今年出た本なので、興味がある方はぜひ読んでみられるといいかと思うんですけど、巻末に、テプフェールが最初に出版したマンガも翻訳されて載っていたりするんですね 。なのでその辺を起源とするというお話が一方にはある。
でも、今、鹿島先生がおっしゃられたような、もうちょっと大きなスパンの美術史的な流れの中で、挿絵とかマンガとか絵本の流れがどうクロスするかという話をやってる人がどれだけいるのか僕には分からないので、是非文章を書いていただきたいですね。

鹿島:そうですね、少なくとも僕がコレクションした画家の中で、コマ割りに近いのをやってるのは、グランヴィルの後ぐらいに登場した画家で……ちょっと名前が出てこなくなっちゃった。

原:ドレ(Gustave Doré)とかではなく…?

鹿島:ドレではないんですね、ドレはやはり三次元の人なんですね。

原:あとはナダール(Nadar)。実を言うと、ドレもマンガはやってまして。

鹿島:はいはい。

原:もっとも、これをマンガ、バンド・デシネというかは……

鹿島:これは問題ですね。

原:テプフェールの流れに、ドレとか、写真で有名なナダールも位置づけられます。

鹿島:ナダールは、一番最初のマンガ家でしょうか。僕はナダールの作品を沢山持っています。ナダールはマンガ家として、「ジュルナル・プール・リール(Journal pour rire)」という雑誌でデビューを果たして、その後、「プティ・ジュルナル・プール・リール(Petit journal pour rire)」において非常に活躍し、そこがナダールの主な舞台となるのです。ここでは完全にコマ割り的なマンガを採用しています。このナダールに限らず、Petit journal pour rireのマンガ家たちは、主にコマ割りマンガをやっています。ですから、浮世絵起源説より少し前ですね。

原:そうなんですね。よく分かっていないところもありますが、実は色々な流れがあるんです。この図録でも少し書かれている、エピナルの版画もあります。これは版画ですが、やはりコマを割ってある。そういう民衆版画みたいな流れもあります。

鹿島:こういうものは、全く資料がないんです。だから、自分で集めるしかないんです。僕の出した結論はこれです。自分で集めるしかない。

原:お金がかかりますね。

鹿島:逆にいいますと、研究者とコレクターが完全にクロスするのです。要するに、集めた者が、発見した者が勝ち。

原:それが僕が研究者になれない理由です(笑)。

この後、フランス絵本とバンド・デシネ、そしてフランスの出版文化を巡って、話は一層の広がりを見せて行きます。続きは【2】をどうぞ。

※このインタビューは、「月刊ALL REVIEWS」特別対談として 2019年7月27日に実施されたものです。当日の様子は、こちらの動画をご覧ください。

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【この記事を編集したひと】しげる
ALL REVIEWS 友の会会員です。この対談を企画しました。最近読んだ3冊は、西成彦『ラフカディオ・ハーンの耳』(岩波書店)、シャーリィ・ジャクスン『なんでもない1日』(東京創元社)、ジャン=ガブリエル・ガナシア『虚妄のAI神話』(早川書房)です。

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