ミシミシと音を立てる右膝さんが言うには
心のバランスが崩れたとき、身体がそれを教えてくれる。
少し前から右膝が痛くて。
歩いたり座ったりは平氣なのだけど、腰を落として深くしゃがむ時、膝がミシミシと音を立て痛みが伴う。
普段の生活ではダメージが大きくないので病院へは行っておらず未だ経過観察中。
身体の痛みは、自分の内側に氣づきが起こると自然とおさまることも経験済みなので、今はそれに期待している。
じゃあ右膝さんは私に何を教えてくれようとしているのか?
そんな時に友人がヒントをくれた。
「リズ・ブルボーの本に色々書いてるよ」と。
自分の周囲に対する「頑なさ」を言い当てられたようで笑ってしまった。
昨日の記事に書いたように、物事は私が思っている以上にシンプルで、世間はやさしい。
だからもっと周囲の人に頼ればいいし、助けてもらえばいい。
そんなことを学んだばかりだ。
これまでの私は、困ったとき身内や友人なら助けてくれても、赤の他人と言われる世間の人たちへの信頼度はゼロ。
世の中は厳しいものだ。
自分ひとりで生きていくには頑張らなきゃ。
という思い込みがあった。
そんな思いが知らず知らずのうちに自分と周囲を隔てて自らを孤立させていたように思う。
周りの人を信じていないということは、自分を信じていないということ。
だからいつも孤独で淋しい。
昨年のことだったと思う。
部屋の鍵が鍵穴に入らず、業者さんを呼んで開けてもらったことがある。
その時は外出先から戻った時だったので幸いカバンに携帯電話もお財布も入っており、ある程度安心材料が確保された上での緊急事態だったけれど、これがもし夜でゴミを捨てに出た時に起こっていたらどうなっていただろう?と想像してぞっとしたことがある。
知り合いに連絡もとれず、助けも呼べない。
お金もないし、誰も頼る人がいない…。
あーこわい。
そんな事態にならないよう氣をつけなければ!
その時はそんな風に考えていたけれど、今回のことでよくわかった。
同じマンションの住人に助けてもらえばいい。
それだけのこと。
困った人が助けを求めてきた時、自分がそうするように人もきっとやさしくしてくれる。
それを信じるときが今なんじゃないかと。
上記の「他人の忠告」という部分を「他人のやさしさ」に変えると、より今の私にフィットする。
「自分ひとりでやらなきゃ」とか「自分がなんとかしなきゃ」のときは自分で自分を強くしばりつけてるとき。
そうじゃなくもっと周囲を信用する。
それは自分を信用することでもあるから。
世間はやさしい。
私はやさしい人たちに囲まれて生きている。
だから何があっても大丈夫。
ミシミシと音を立てる私の右膝さんは、そのことを教えるために痛みを発動してくれてるのかもしれない。