政友ちえみ(まさとも ちえみ)|ホントの自分に氣づく言葉

\自分にやさしい世界で生きたい人へ/ これまでの経験から『ホントの自分に氣づく言葉』を…

政友ちえみ(まさとも ちえみ)|ホントの自分に氣づく言葉

\自分にやさしい世界で生きたい人へ/ これまでの経験から『ホントの自分に氣づく言葉』を発信。セラピスト、ライター。ねこ好き、映画好き。

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改めまして自己紹介。政友ちえみはこんな人です♪

\自分にやさしい世界で生きたい人に向けて書いています/ 昨年9月、シータヒーリングの大きな学びを終えた後、勢いで始めたnote。 その時々の思いをつづるうちに、誰に向けて何を発信していきたいのかが明確になってきたので、改めて自己紹介をしたいと思います。 改めましてこんにちは。 政友ちえみです。 普段はセラピスト、ときどきライターをしています。 長い間「人生は苦労してなんぼ」という修行モードで生きてきました。 そんな私が「自分にもっとやさしい世界で生きてきたい」と願

    • 闇にいた本音の自分に会ってきた。

      本音の自分に会ってきました。 少し前の記事で11月20日までの期間は「自分の闇を見るとき」と書きましたが、私の思う「闇」とは「本音の自分がいるところ」。 心の奥底にいる自分があぶり出されるときが今だと感じています。 ホントの自分で生きたいという魂の願いが発露するとき。 そんなときは得てして「見たくない自分」「情けない自分」を見ることになり、だからこそ「どうしたいの?」「どうなりたいの?」がわかる。 私もつい先日そんな体験をしたところです。 少し前、プロのカメラマンに

      • 初めてのプロ撮影で感じたこと。

        先日のこと。 仕事で全身写真が必要になり、プロのカメラマンに写真を撮ってもらった。 自分で撮影したものでもよかったのだけど、プロ撮影の方が後々使いまわしがきくと言われたのと、「被写体となって自分を表現するってどんな感じ?」を体験したくてプロをチョイスした。 写真は昔から苦手で。 自然な笑顔ができないし、ポーズをとるなんて恥ずかしく、友人たちとの集合写真ではいつもぎこちない表情の固まった私がいる。 でもそんな自分を変えたい、もっと堂々と自分を表現したい、という思いがあっ

        • 尊敬や憧れの裏に隠れていたもの。

          あの人ステキだなぁ、とか。 あんな人になりたいなぁ、とか。 私たちは誰かに憧れや尊敬を抱くことがある。 それがただ純粋に「あの人が好き」と思ううちはいいのだけれど、そこに「私には “ないもの” を持っているあの人はすごい」という自分の不足の思いが加わると 相手にはあって私にはない、だからあの人から教えを乞わないと、という思いが出てきたり 持っているあの人が上で持ってない私は下、といった自分を卑下する構図を自分の中で作ってしまってたり 相手に対する思いが自分を小さくし

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        • レオンファミリー
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          好きと嫌いが反転するとき。

          そしてこの期間は、自分の「好き」と「嫌い」が反転するときとも言えます。 あ、前回の続きです。 ずっと「好き」だと思ってきたものが、ホントはそうじゃなかった。 「嫌い」だと思ってきたものが実は思い込みだった。 そんなことが起こります。 どういうことかと言うと。 お酒を「好き」だと思っていた男性がいました。 仲間とワイワイ話しながら杯をかたむけるのが好きで、自宅でも晩酌は欠かさない。彼は長い間自分のことを「お酒が好き。飲みに行くのが好き」と思っていました。 が、あるとき

          この1ヵ月は闇に出会い本音を知るとき。

          今日10月23日、太陽が蠍座に入りました。 蠍座は「闇を見に来た人」と言われるほど、物事の表層ではなく裏を見る星座。そんな場所に太陽が入ったということは、ここから11月22日までの1ヵ月間、私たちは自分の闇に遭遇する期間を過ごすことになります。 「闇」と言うとなんだかちょっとコワイ感じもしますが、そうではなくて心の奥に秘めた「本音」に氣づきやすかったり、それを知るチャンスがやってくるということ。 私たちは大人になるにつれ無意識にうちに我慢を重ね、ホントの自分で生きられな

          あんたにもらわんでも私らみなありますねん。

          「なんかカタイんだよなぁ」 自己紹介の後、軽いジョークを飛ばすもほぼウケず、会場が微妙な空氣に包まれたとき彼はこう言った。 セミナーが始まり、みな真剣に彼の話を聞いていた。 もちろん私も。 私は「知らないことを知りたい」からその場に参加した(他の人も同じじゃないかな)。 だから話を聞いてるだけで十分だったのだけれど、話す側の彼は私たちの静かに聞く姿勢に満足できなかったようで、話しの合間合間に「なんかカタイんだよなぁ」と言いながら何度も首をかしげた。 彼の話によると他の

          あんたにもらわんでも私らみなありますねん。

          戦わない。

          シータヒーリングを学んでいたときの先生の言葉で好きなものがある。 「戦わない」 これは、人、物、出来事、全てに対してそうするということで、理由は「戦いのエネルギーには戦いしか生まれないから」とのことだった。 例えば、無農薬の野菜が好きでいつも食べたいけれど簡単に手に入らないとき。スーパーで普通に売られてる野菜に対して「これは農薬を沢山使ってて身体によくないんだよな…でも仕方ないから買うか…」という氣持ちで買うとそこに戦いのエネルギーがのってしまう。 けれど「農薬のおか

          一旦放置。

          今日は月に一度のセッションDayでした。 Nさんは私が心から信頼してるセラピストさんで、彼女のサロンに通ってもう4年。 セッションでは毎回、自分では扱えない深いところにある感情を見つけ、癒し、次に進むヒントをもらう。 そして今日も。 私の根底にある「劣等感」「罪悪感」「不安」を、私がまだ大切なものとして抱きかかえていると指摘された。 顕在意識では「そんなものとっとと手放したい」とか言っているのに、まだ見ぬ自分になるのがこわくて、古くなって不要になったそれらを手元に置いて

          自分の中に起こるそのときを待つ。

          小さい頃から持っていた「劣等感」と「罪悪感」。 もうそろそろこれらを手放すタイミングが来ているようだ。 一番最初にそれを感じたのは小学校3,4年生のころ。 あるとき採点済の答案用紙が返された。 確か算数か理科。 私は理数系が壊滅的にできなくていつも点数が悪かった。 そのときも点が低く「あぁ…またか…あかんなぁ、私…」と暗い氣分になっていた。 今から思うとその頃から「勉強のできない私はダメなヤツ」=「劣等感」が根づいていったように思う。 親からそのことでとがめられたこと

          私たちは助け助けられ、ともに新たな時代を進んでいく。

          最近ずっとしんどい感じが続いてて。 「時代の変わり目やからな。仕方ないよなぁ…」と思いつつ中々浮上しない心にもやもやしていると期せずして友人2人から心がホッとあたたかくなる言葉をもらった。 特に悩み事を相談したわけでもないのに。 どちらの友も私の言葉に勇氣をもらって今すごくラクになった、と。 私が話すことや、こうしてnoteに書いていることが氣づきにつながったり、捉え方が変わるきっかけになったりして、彼女たちの人生に何かしら影響しているようで、そのことに対して「ありが

          私たちは助け助けられ、ともに新たな時代を進んでいく。

          あるよね。「なんだかなぁ…」なとき。

          ここ数日なんとなく氣持ちが安定しない。 「そんなときは掃除でもして氣分転換!」と、掃除に取りかかったもののいつもより時間はかかるし終わってもスッキリせず…。 それどころか徐々にテンションは下がり始め、料理を作っても後片付けするのが億劫で台所はそのまま。 洗濯ものも取り込んだまま畳めない。 挙句の果てに夜noteを書いていたら、パソコンの調子が変で文章の保存ができておらず原稿が消えた。 書き終えたばかりだったので思い出して書き直そうと思えばできたけれど、文章の神さまに「そ

          ビビりながらこわごわ、ゆる~く進む。

          前回の記事でバックパック旅のことを書いていたら、あのころの感じが蘇ってきて一氣に「旅に出たいモード」にスイッチが入った。 その後、amazonプライ・ムビデオで『場所はいつも旅先だった』という旅のドキュメンタリー映画を観てさらに旅氣分は盛り上がり、ワクワクどきどきした。 日程や宿を決めて出かける一般的な旅より以前経験したバックパック旅をしたい。 今行くなら誰かと、というよりひとりだな、と思う。 でもコワイ。 国内ならまだしも海外にひとりだなんて。 しかもバックパック

          理由はない。それがホント。

          私たちは何かを選択、また行動するとき、そこに理由をほしがる。 なぜそれを選んだか? どうしてそれをするのか? そこにもっともらしい答えがないとその選択や行動は正しくない氣がして却下され、ちゃんと説明できる理由がある方を選ぶ、ということをしがちだ。 でも心の底から湧き上がるホントの望みに理由なんてない。 なぜなら理屈じゃないから。 ただやりたいと感じた。 なんかいいなぁと感じた。 それで十分。 私たちの本質は肉体でなく魂。 魂からのメッセージは、感情や直観を通して

          一度決めたこと、コロッと変えていいんです。

          スピリチュアルな学びを始めたとき、ある先生に「人はしてはいけないことなんてないんですよ」と言われ目からウロコだったことを覚えています。 そのころの私は厳しいマイルールの中で「あれはダメ」「これもダメ」と自分を縛り付けていたのですごく息苦しかった。 そんな禁止事項をひとつひとつ解除していく中ではずしてラクになったのが 「一度決めた考えを簡単に変えてはいけない」というものでした。 これは古くから私の中にあった固定概念で、思い出す景色が父がコロコロと発言を変える母に対して「お

          一度決めたこと、コロッと変えていいんです。

          今までの自分に感謝しながらゆっくりシフトチェンジする。

          私たちは全部自分で創造して生きています。 健康状態も経済状況も、家族やパートナーとの関係も全部、今どういう状況であろうと自分の望み通りになってる。 一見不幸に見えることも実はその裏で、心の奥深くで願っていることが叶っています。 たとえば病気になった人は、病を通して人生を見直すきっかけが欲しかったのかもしれないし、経済状況が破綻しかけている人は、お金とのつき合い方をリセットしたかったのかもしれない。 家族やパートナーとの関係が上手くいってない人は、家庭の中で演じてきた役

          今までの自分に感謝しながらゆっくりシフトチェンジする。