一生独身でも、幸せになれるのか?
「一生独身でも、幸せな人生を送ることができるのか?」
この問いに対する、現時点での私の答えはYES、と言える。
まだまだ30代じゃあ、見えないこともたくさんあるわよ。と、素敵な先輩たちから言われると、そうなのかな?と素直に思うこともある。
女の気持ちは移ろいやすい。
今は「YES!」と声高に言っている私でも、来年には「やっぱり女の幸せは結婚だ!」と意見を変えるかもしれない。
私はそれで良いと思っている。
いつでも、今の自分に素直に生きる。過去の自分に拘ったり、当時の言葉に責任を持つ必要はない。
気持ちが変わったり、好みが変わったり、人生の方向性が変わったり、それはごく自然なことだ。
20代の始めの頃は、「結婚」=「幸せ」なのだと、ぼんやり思っていた。
社会に出るまでは、人間関係がほぼ同年代の女性で構成されていたので、
身の回りにいる人間のほとんどは、未婚の女性であり、結婚が幸せのゴールと信じている女性が多かった。
私は学生から社会人になるのが怖くてたまらなかった。
社会で一人前にやっていけるのか、毎朝同じ時間に起きて同じ建物へ向かい、「大人」と呼ばれる人々の要求に応えていけるのか、自問自答しては、いやいやそんなの無理!と、モヤモヤする日々を過ごしていた。
そんな時、「結婚」、という文字がチラチラと頭に浮かび、一筋の光のように思えた。
結婚して専業主婦になろうかと本気で考えていた。
その当時の私にとって、「結婚」は最高の逃げ場所だったのだ。
今となっては、結婚しなくて本当によかった!!と、アラフォー女の憎たらしさ全開で言うことができる。
その時もし結婚していたら、今とは全く違う幸せを手にしていたのかもしれない、と思ったりもする。
人生はいつどうなるかわからない。すべては運とタイミング、とまでは断言できないけれど、その瞬間の自分が何を選択するのかは、その時の自分に任せるしかない。
社会に出てからは、人間関係に幅ができた。
10歳、20歳、年齢が上の人たちとの交流が生まれ、会社の先輩や、上司、など、全く違う年齢、経歴を持つの人たちと話す機会が増えた。
色々な人生の選択肢があることを知り、見識が広がると、ますます選択が難しくなってきた。
「結婚」=「幸せ」、となんとなく思っていた自分の認識が、とても能天気なものに思えた。
アラサーになった私はある時、同じビルで働く綺麗なお姉さんと仲良くなった。同じフロアの別会社で働く女性だ。
色白で線が細く、綺麗な脚にハイヒールで颯爽と歩く、美しい女性。
共同の給湯室で彼女を見た時、私は迷わず声をかけた。吸い込まれてしまいそうな大きな瞳に怯まず、仲良くなりたいアピールをして、すぐにランチを共にする仲になった。
今でも私の憧れの女性像は、彼女とほぼピタリと重なる。
彼女は私より10歳上で、とても聡明な女性だ。
はっきりと自分を持っているのに、それを押し付けるでもなく、ニュース番組がただ事実を伝えるように感情を乗せずいつも淡々と話す。
凛とただ一人、あるべき場所に立っている、そういう印象。
「私はちょうどあなたくらいの年齢の時に、離婚してるの。」
恋愛や結婚の話をするときの、妙に浮かれた感じや湿っぽさや、そういうものがまるで無い爽やかな口調に、一瞬何の話か理解できなかった。
彼女は大学卒業と同時に結婚し、専業主婦として数年過ごし、年々ひどくなっていく夫のモラハラ行為に耐えられず、数年で離婚したのだと言った。
男運だけは良かった私は、一度も男性から威圧的な態度や、ひどい仕打ちを受けたことがなかったので、心底驚いた。
結婚=幸せへのゴールではない、という当たり前のことに、アラサーになって初めて気づかされた気がした。
「結婚は幸せへのゴールじゃなくて、第一歩だから、それをわかって結婚しているのとそうでないのとでは、全然違うものね。」
この話を聞いた時は、まさか後に自分も、モラハラ男と同棲することになるとは、夢にも思ってもいなかった。
モラハラというものが、どれほど人間を追い詰める下衆な行為か、ということについては、また別の機会にじっくりお伝えしたいと思う。
「結婚」=「幸せ」ではない実例を、アラサーの私はその後も何度か目にしたけれど、やはり結婚はいつかするだろう、とぼんやり思っていた。
「産めるうちに、子どもは産まなければならない」という強迫観念が、誰に植え付けられた記憶もないのに、私の中に常にあったのだ。
20代の貴重な時間、私の心の中にはいつも「いずれしなければならないことリスト」の一つとして、出産、子育てがあり、嫌なことを先延ばしにしている罪悪感にモヤモヤしていた。
妊娠してもいないのに、出産という問題について20代はとことん悩み抜いた。
それについてはまた後日、ゆっくりと思いを語ろうと思う。
色々な人の人生を知ることは、私の人生を形成していく上で、とても参考になった。
人と自分を比べるのではなく、この人はそういう選択をしたんだ、と知るだけで、自分の世界が広がっていくのを感じた。
そして現在、アラフォーを迎えた私は、今のところ結婚も出産もするつもりが無いけれど、とても素敵な毎日を過ごしている。アラサーの時よりも、悩みは少ない。
平穏な日々を過ごしているのは、20代の頃に色々な人の経験を耳にし、自分はどうだろうと、とことん悩み抜いたからだと思っている。
自分にとって何が一番重要なのか、どんな人生にしたいのか。
「自分」と向き合う時間が、その答えを出すのだと思う。そうして吹っ切れる。
先月ちょっとした怪我をして、1週間自宅で待機する時間があった。
現在の私の仕事は、会社に出社するという形態ではなく、フリーで自宅で完結するものだ。
あえてコロナ対策をしなくても、一人で完結する生活は時に寂しくもあるけれど、それで良いのだと笑い飛ばせるくらいには、今の自分に満足している。
独身でも、助けてくれる人たちはたくさんいる。私は、人の優しさに感動した。
いつもは素っ気なくしている友人たちが、突然ありったけの優しさを発揮して私の面倒を見てくれた。
仕事関係で付き合いのある人も、仕事だけの関係よ、なんていつもは憎まれ口を叩き合っているにもかかわらず、心配して電話を掛けてきてくれたり、寝ているだけで太るからという私の話を無視してスイーツを届けてくれた。
「結婚」=「幸せ」という無敵の方程式は無い。
でも、「未婚」でも=「幸せ」は充分にあり得る。
そう思いながら、私は今日も楽しく生きている。
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