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さて、働かずに生きていけるのか Part1.考え方が苦しいってよ

こんにちは。
一年前に極度の貧血と橋本病が判明し療養生活をしているまなびです。
この数年の精神的なあれこれと経済的なあれこれを思い出しながら綴ります。
思い出していたら自分の中にあった矛盾や甘えがたくさん見えてきて、とても情けない気持ちにもなりましたが、何回かに分けて、働かずに生きていけるのか(検証実験中)まで書き進めていきたいと思います。

私がやっていたヨガはこんな感じ
昨年倒れるまではヨガの先生として仕事をしながら、週の大半を自分の先生のところに学びにいく日々を送っておりました。
ヨガといってもイメージは人それぞれでしょうが、私の先生はインド人で、先生のもとで精神性と献身を育む修行的なヨガをしていたのです。中国雑技団のようなポーズ(わかるかな。。)夫はダルシムじゃんって言います(わかるかな。。)

”私たちはとても未熟な存在であるから、日々の弛まぬ努力により一段ずつ階段を登り少しでも神に近づいていきましょう”
超ざっくりと表現しましたが、私は先生の言葉の端々からこのような思想を受け取っていました。

例えば、、
”子育ては動物でもしている。だから子育てだけしているのは動物と一緒だ”
”8時間睡眠は怠け者。素晴らしい人々は2、3時間しか眠らず努力をしている”

うん。。

今読むと苦しい。。

神に近づきたいのですから、動物や並の人間と同じではダメなのでしょうね。

なんでここにいたのかな?
もう思い出せないけれど、、なんとなく弟子としての階級みたいなものもあって、、
その小さなコミュニティの中で先生に認められていくことが、よりヨガの深みに達することと同じだと思っちゃったんですよね。

前の記事に書いたようにウェイトトレーニングにまで手を出して毎日運動をしていたことや摂食は、このような心理的要素が根底にあって取り組んでいたものだったんです。
お母さんであること、三人の子どもを育てていること、毎日大量の家事をこなしていること、私の大半の時間と体力と気力がそこに注がれているのに、動物でもできるなんてことのないことだと言われてしまい、苦しかったけれどこの気持ちを言語化もできずに、努力の出来ない取るに足らない存在だと思ってしまい、誰よりも頑張らなきゃって思ってしまいました。素直でもありバカでもあり。。笑

ところが並行して倒れるまでの約一年ほど前。
一元論という概念に出会いました。
こちらを超ざっくりいうとこんな感じです。
”全てはひとつ。あなたは私。私はあなた。善と悪、上と下もない”
この概念にそこはかとなく惹かれてしまったんですよね。

だって私は自分の生徒さん達に対して、あなたがあなたを愛して大切にして欲しいと伝えていたから。誰かにあなたは未熟だとか、あなたは素晴らしいなんてレッテルを貼られる必要はなくて、あなたらしく自分らしく生きてほしいと思っていたから。私が自分のことをそうやって大切にしたいと思っていたから。

直感でずっと心の中にあった思想と、ヨガの学びの場での思想に大きなギャップがあって苦しかったところにこの一元論に出会い、どんどん惹かれていきました。

ところが私、すぐにこの思想に生活や行動を伴わせることは出来ませんでした。
ヨガの深みに到達したいという欲、ヨガの先生として成功したいという欲、経済的に豊かになりたいという欲。
欲と3回書くと超欲深い人間のようですが、、
ヨガに取り組み、先生としての勉強も3年前に一段レベルアップしたところで継続していたので、仕事で結果をつくっていきたいという社会人としての思いがありました。この社会人としての思いを実現するにはインド人の先生の修行的思想はしっくりくるんです。私、超矛盾。。
やめることはいつでもできるから、もうちょっとだけ最後の力を振り絞って全力でやってみようと思っていたんです。

毎日のヨガのポーズの練習に加えてウェイトトレーニングや呼吸法や瞑想を実践して、哲学や歴史や生理学など多岐にわたって勉強し、InstagramなどのSNS投稿や集客のツールを作るなど、寝る直前まで何かしらやっていましたね。。

倒れるまでのカウントダウンが聞こえそうです。。

ガラガラガラガラ


まなび




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