一人称が「先生」「お母さん」のナゾ
ちゃりれれ ちゃんのこの記事👇🏻を読んで、
私も自分のことを「先生はね…」と言う先生に
違和感を持っていたことを思い出した。
アメリカに住んでいた時、
日本語補習校の教員をしていた。
その時、子どもたちに「先生は…」と、
自分のことを言うのに抵抗があり、
「私は」と言っていたのを思い出した。
でも研修などで他の先生の授業を見に行くと
たいていの先生たちは
「先生はね…」など、一人称は“先生”だった。
今、娘のチビ子の授業参観に行っても、
自分が小学生の時の先生を思い出しても、
ほぼ全員、先生の一人称は“先生”だ。
でも中学、高校となると、
先生たちも「私は」などに
変わっていたように思う。
なぜだろう?
先生方が生徒を一人前の人間と認めて、
対等な関係になったことの表れだろうか?
…ということは、
「先生はね…」
「お母さん、許しませんよ」
なんて言っているうちは、
相手を下に見ているということか?
今私は、チビ子と話す時の一人称は
“ママは…”と言っちゃってる。
まだ子ども扱いしているのかな。
子どもがもう少し大きくなって、
中学生くらいになったら、
「ママはね」なんて言うことに
違和感を持つようになりそうだが、
その辺で「私は」に変わるのだろうか。
思えば小さい頃、私は自分のことを言う時、
家では「ありすは…」と、名前で言っていた。
それが赤ちゃんっぽく感じて、
小学校高学年の頃に
「私は」に変えたのを思い出す。
最初は家族に「私は」と言うのが
恥ずかしかったが、慣れたら自然になった。
人間同士の関係になると、
自然に一人称も変わるのか?
だって会社で「部長はね」とか「社長は…」
なんて自分を役職で言う人いないよね。
うん、きっとそうだ!
人間同士の付き合いになれば、
一人称は“私”に変わるんだ!
勝手に結論付けてるけど…(笑)。
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