大人になっても『いじめ』がなくならない理由
こんにちわ、アルゴです。
何年か前に出た本なんですけど、『サピエンス全史』ってご存知ですか?
この本はイスラエルの学者さんが書いた本で、人間のはじまりから現代までが語られています。
歴史を楽しむ本と思って読むのも良いのですが、これを読むと、
「何万年も前から人間の習性って変わっていないんだなぁ…」
とも思います。
(ちなみにこの本は下巻もあります)
今日のnoteはいじめに関するお話で、この人間の習性とも深く関わってきます。
職場いじめの典型的なパターン
皆さんは職場の誰かからいじめられたり、執拗に攻撃されたりしたことはありますか?
あるいは誰かが誰かをいじめているのを見たり、自分がいじめる側になったことはありますか?
私自身は個人事業主として一人で介護の仕事をしているので、現在はそういう事に遭遇しません。
ですが若い頃、とくに20代前半一般企業に勤めているころに、直属の上司や先輩からとくに厳しく当たられたりしましたね。
それは自分が未熟だったということもあるのですが、それを差し引いても執拗な攻撃だったと思います。年齢を重ねてからも攻撃的な人に遭遇してきたので、単純に若く未熟だから攻撃されたという事は言い切れません。
こういう職場のいじめって、ターゲットを見つけて行われてしまうんですよね。
直接的な攻撃、いじめではなく
「○○さんは仕事が遅すぎる😅」
「○○さんは上司の△△さんと不倫しているみたいよ😅」
…とターゲットに関する噂話をしたり、無視したりといったことも含まれます。
私は長い間、介護施設で働いてきましたが、どんな平和な施設でも、必ず誰かが誰かの悪口を言っていましたね。
人間というのは、全く同じ価値観という人は存在せず、78億人一人ひとりが別々の価値観を持っているのです。同じ環境で過ごしているはずの兄弟でさえも、考えの違いから喧嘩します。
だからすれ違いや言い争いが起きるのは仕方ないことなんですね。
他の人の価値観や考えを尊重できる平和主義者はもちろんたくさんいますが、全員がそうなれるわけもありません。
なぜ、攻撃対象を特定のターゲットにしぼるのか?
すれ違いがあるのは仕方が有りません。
しかしなぜ、それを特定のターゲットにしぼるのでしょうか??
多くの場合、攻撃の対象となっている人物が退職や異動などで職場からいなくなると、今度はまた別のターゲットを見つけて叩き出すのです。
先程の、上司から執拗な攻撃を受けていた私自身の例でいえば、私の後輩職員が入ってきたとき、ピタリと私への執拗な攻撃はやみました。
その後輩職員が仕事ができなかっただけでなく、先輩職員への態度も悪いため、皆から嫌われていたのです。
それからというもの、上司のターゲットは私ではなく後輩職員になりました。まぁ、怒られる原因は後輩職員にもあったとはいえますが、やはり上司の攻撃は度を超えていたのです。(今であればパワハラです)
後輩職員が在籍している間は驚くように上司から私への攻撃はやんでいました。それどころか上司は、私に後輩職員の態度について愚痴をこぼすようにもなっていたのです。
ただし、2ヶ月もするとその後輩職員はやめてしまいました。
すると、今度はまた私にターゲットが移ってきたのです。
攻撃を受けている対象からしたらつらい時期でしたが、今思えば、本当に人の習性というのは面白いものだと思います。
その後の職場でも、同じようにターゲットが特定の人・あるいは大勢から叩かれるという流れは変わりませんでした。
原始時代にもいじめはあった
この特定の人間を攻撃する習性というのは、サピエンス全史を読むと原始時代にもあったのだと理解できます。
原始時代、人間が言語を習得した段階では、そうしないと生きていけなかったからなのです。
現在発見されている何万年も前の人間の骨は、2割くらい頭に石で殴られた形跡があるといいます。
凶暴な肉食動物から身を守って生きていく中、実際には2割くらい人間によって殺されているのです。
また、人間の半分は10歳まで生きられなかったそうです。
このようにして人間は大昔から、コミュニティにとって
●不必要、役に立たない
●害がある
と感じる存在をしっかり排除してきたというわけですね。
このような中、特定のターゲットを見つけて排除するのが自分自身にはなりたくはありません。
自分がターゲットを排除して殺人者となると、今度は自分が危険な人物とみなされ、次は自分自身がターゲットになりかねないからです。
なので人は、『噂話』を流して、コミュニティ全体で特定のターゲットを排除する流れを作ってきたのです。
これは現代のいじめの構図です。
とくに本能で動きやすい小学生など子供の時代からそのような事が起きやすいのですが、結局大人になってもそのような構図はあります。
人間の脳は、何万年も前から基本的に進化していないようです。
にもかかわらず、ここ20年くらいの間にインターネット、SNSができたり、環境ばかりがアップデートされていくのです。
本能はそのままなので、ネット上でも特定のターゲットをたたく行動はやみません。
そうすることでドーパミンが分泌され、知らず知らずに気持ちよくなってしまうのです。
以前、何のTVか忘れましたが、職場での会話は6割くらいが人の噂話といっていました。
誰かの噂話をする事で生き残れる・・・叩く側にまわらないと自分が叩かれる・・・これは原始時代からの流れです。
自分が叩く側にならないいようにするにはその本能を自覚していくしかありません。
しかしそれを人に求めることも難しいです。
あおり運転は弱いものいじめの象徴
介護職でも車を運転する機会はよくあります。
デイサービス送迎車のように大きい車は運転しないですが、車椅子マークをつけて軽自動車を運転する機会はよくありましたね。
しかし車椅子マークをつけて走ると非常にあおり運転によく遭遇します。
現在も個人事業で同様に運転していますが、驚くべきことに、ドライブレコーダーが当たり前になった現代でもよくあります。
私の運転が悪いのか…??と思いつつも、実家の車(ノア)を運転したりする時は全くそういうことは起こりません。
つまり、あおり運転をする人は、相手が社会的弱者とわかっていてやっているのです。
実際、あおり運転をしている人を見ると、別に全員が強面でなく、ごく普通のサラリーマンだったり若者だったり、千差万別です。
逆にそういう人たちは、相手がヤクザの車(黒塗りのベンツ等)だったら同じように、あおったりクラクションをならしたりするでしょうか?
下手すると、車から怖い人がおりてきて自分に被害が及ぶかもしれないのです。たぶんそんなリスクをおかしてあおり運転しませんよね?
自分に被害がおよばないとわかっている範囲で、他人を攻撃しようとします。
よく考えるとこれも、特定のコミュニティから不必要な人物を、安全な方法で排除しようとする動きに似ています。
たとえばSNSいじめにしても、匿名アカウントをいくらでも作れるTwitterではそういう事が起きるのに、実名制のFacebookでは起こりません。
みんな、実名で誰かを叩いて自分が嫌われるのを恐れているのでしょうね。Twitterなど匿名では、特定されない限り、言いたい放題です。
安全圏からの自分に被害がおよばない特定のターゲットへ攻撃。そう考えるとあおり運転って、本当ダサいですよね(笑
執拗な攻撃から身を守るには?
自分を仕事で消耗させないための知識に関しては、過去のnoteで3年にわたって発信してきました。
その中で、いくつか記事を紹介すると、以下のものが良いです。
基本的にストレスが一定以上、「仕事にいくのに吐き気がする」という段階にまで達したら、その職場からは逃げたほうが良いと思います。
しかし本記事でお話したターゲットへの攻撃というのはどのコミュニティにいっても変わりませんから、働き方じたいを見直し、自分の身を守る必要もあります。
私は個人事業なのでケアマネさんとコンタクトする以外は同僚がいないのでわりと気楽です。
そもそも大勢の人と仕事をするのにむいている人とそうでない人もいますしね。
自分というものをしっかりもっていないと、環境に流され、本能のままに自分が誰かを攻撃する側にまわってしまうかもしれません。
<参考著書>
サポートですか・・・。人にお願いするまえに、自分が常に努力しなくては。