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金木犀は記憶の中で…。

都会はいつだって閉鎖的だ。ずっとそう思ってた。

同じマンション内でエレベーターで出会ったならまだしも、エントランスで同じマンションの住人に出会った場合、あいさつすら交わすことはない。上の階に誰が住んでるか、もっといえば隣の隣に住んでる人ですら顔も知らない。

友人、知人、家族。ただでさえ多い人混みを都会の喧騒に包まれながら歩いていると、それ以上の人間関係は極力構築したくないと、思うものなのかもしれない。

少なくとも数年前まで私はそう思ってた。隣人達と出逢うまでは。

一日の半分を夜が埋める季節になった頃、今年も隣の家の金木犀が咲いた。

一軒家で金木犀を庭に植えてる人はいても、マンションのベランダで育ててる人はそう多くないだろう。でも、おかげで隣に住む私はその甘い匂いが満ちる空間を分けてもらってる。ただでさえ甘い夜の匂いは、金木犀の香りと合わさることで、より一層の甘さを増し気品が加わる。澄みきった空気と共に鼻腔に運ばれてくるのは癒しや安らぎでしかない。

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「嗅覚は唯一脳と直結してるから、人の五感の中で一番強い働きがあるらしいよ」

以前誰かに聞いた。その言葉を聞いた時、妙に府に落ちたのを覚えてる。普段、幾重にも枝分かれし連なっている人の記憶は、ほんの些細な出来事がトリガーになり、鮮明にほとんど現実の最中にいるかのように、ふっと記憶が目の前に現れることがある。

それは以前読んだ本の一節がきっかけになる時もあれば、心が洗われるような綺麗な景色をもう一度みた時、大切な人と時間を共有しながら一緒に聴いた音楽など様々だが、何よりも記憶が引き出されるのは、いつだって嗅覚を元とする、何かの匂いだと思った。

例えば私にとっての金木犀の香りは、いい思い出しか引き起こさない。

まだ幼い頃、通学路で咲いていた金木犀をみて、あれを育てたいと母に頼みこんで買ってもらった金木犀を一緒に庭に植えたこと。

プログラマーとしてカナダに旅立つ友人を、当日カフェのテラスでみんなでお祝いし送り出したこと。

そして隣人達との出逢い。他にも幾つかあるが、全て金木犀の香りから導き出される大切な思い出達。

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ある日、いつものように家を出ると、ちょうど書道教室にいこうと出掛けの隣人の奥さんに出くわした。当時の私は、目まぐるしく追われる毎日に疲れ果てたせいもあり、「あっおはようございます」とだけ言い残しすぐに立ち去った。

でも当然マンションなので、エレベーター前でもう一度会うことになる…。目線すら合わせず、ただエレベーターを待っていると、「葉っぱ流れてこない?」と後ろから声が聞こえる。

振り返った私に、奥さんは続けざまに「うち金木犀を育ててるんだけど日当たりが悪い部分は、すぐ葉が落ちちゃうから定期的に掃除はしてるつもりなんだけど、風に流れていかないか心配で…」

「いえ、全然大丈夫です。金木犀育ててらっしゃるんですね。最近ベランダに出る時、どこからこんないい香りするんだろって思ってたんですよ。」

今思えば、これが彼女達と仲良くなるきっかけだった。

それから何度か挨拶を交わすうちに、「金木犀をみせてあげる」とご自宅にあげてもらい、ご主人と一緒に3人で夜ご飯を食べることにすらなった。

隣人は50代の夫婦でお子さんはいらっしゃらないがポメラニアンを2匹飼ってる。とても温かいご夫婦で、彼女達と知り合ってからもう数年になるが、今でも定期的に「晩御飯食べた?これ食べて」と料理を下さったり、自分の子供のように優しく接してくれる。

私自身遠く離れた父と母を、どこか彼女達と重ねてみたりする部分があって、時間を共有するだけで心の中から温かくなり安心する。何か悩み事があれば、自分の両親より先に彼女達に相談することすらあった。


都会でもこんなに温かい人間関係を築けるんだ。そう教えてくれたのは彼女達だった。


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私にとって金木犀の香りは、ただの甘い香りでいい匂いなんてものじゃない。誰しもが持つ大切な記憶を引き出すトリガーが私にとってはそれで、決して無くなってはならない、決して無くしてはならない大切なもの。

これから気温もぐっと低くなり冬になれば、甘く気品のある香りと共に咲く鮮やかな黄色の花は、やがて散るだろう。

でも記憶の中にある金木犀は、ずっと咲き続けてる。

決して散ることのない花びらの代わりに、大切な思い出だけを積もらせる。

これからもずっと、この先もずっと、そうであって欲しいと切に思った。

秋の夜空に向けて、隣人達の金木犀の香りに包まれながら…。


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