一流と二流
過去のSNSの記事を、時々リユースしてアップしていく第二弾。前回は2012年4月の記事でしたが、今回はもう少し遡って2007年4月の「一流二流」から。
さくらももこさんの自伝マンガ『ひとりずもう』。マンガ賞に応募した学生の頃の彼女はBクラス評価。一方、『NANA』の矢沢あいさんは「もうひと息賞」で、「この人は大賞でもおかしくないのに」とその才能を認めつつ、泣くシーンがあります。国民的漫画家の彼女も、天才の矢沢さんに嫉妬していたわけです。
話変わって、モーツァルトの謎の死の真相を描いた映画「アマデウス」。アカデミー賞作品賞などを受賞した傑作ですが、一番の名場面はそれまで作曲家として名声を得ていたサリエリが、最近評判のモーツァルトに嫉妬し、彼のつくった楽譜を盗み見て呆然とするシーン。「天才だ…」。
このシーンで思うのは、サリエリもまた天才を理解する程度に秀才だったということ。真の天才にはなれないが、天才の素晴らしさは理解できる(凡人には難しい)。だからこそ激しく嫉妬してしまうものなのでしょう。一流と二流と言い換えてもいいのかも知れませんが、こうしたことはざまざまな分野にあることでしょう。
さらに話変わって、春。上京した地方の優秀な学生がぶつかるのが一流と二流の壁。地方で「先は博士か大臣か」などと持ち上げられ、いざ東京に来てみれば、自分程度の能力の人間はゴロゴロ。上には上がいることに気づかされます。『ハチミツとクローバー』の竹本が代表例。
プライドを打ちのめされて上昇志向を諦め別の道を歩むか、自分を磨いてどうしても一流を目指すかはその人次第(なれるかどうかはともかく)。三流には三流なりの人生の楽しみ方があるんですけどね。ともあれ、世間の広さや奥深さを知るには、東京という街は一度は行ってみるべきかも。
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