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疑問を持つ力はどこから来るか?〜コロナ禍・ワクチン禍から考える

福島雅典京都大学名誉教授が2023年2月2日、厚労省に対して、mRNAワクチン接種の全データを開示および日本政府とファイザー社・モデルナ社との契約内容を公表するよう訴訟を起こし、2月4日に記者会見を開いた。


https://www.nicovideo.jp/watch/so41745726

心のある医師の方々の動きにより、日本人の多くがコロナワクチンの害に気づき、日本人一丸となって戦っていく契機としたい。

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そもそも、私がコロナ騒動に気づいたきっかけは、情報学者、北川高嗣先生(筑波大学名誉教授)のFacebook記事だ。



https://www.facebook.com/kitagawa.takashi

北川先生は、英語ソースの記事を示した上で、記事を書いている。ジャンルもコロナワクチンにとどまらず、政治や芸能含め、幅広い情報についても解説をしている。元からコロナワクチンにいまいち信じきれない何かを感じていた2021年7月頃、学生時代の友人が定期的にシェアしてくれていた記事が目に止まり、以降自分でも調べ始めた。

コロナ騒動初期は日本のメディアがこぞって恐怖を煽った。私にとって、英語の一次情報にアクセスし共有してくださる方たちの情報は貴重であった。
では、英語を読み書きできる人がこの茶番に気づくことができるのか?答えはNOと自信を持っていえる。

私は「外資系企業」に勤めるフルタイムの会社員である。私の上司は欧米人、現在の仕事仲間はアジア圏にいて、仕事はほぼ英語で進めている。
日本オフィス社員の8割は日本人。日本人社員の大半が英語の読み書きができる。
オフィスの身近な20人あたりの非接種率は1割、私を含めて2人。全社としての接種率は不明。
参考値ではあるが英語ができる・できないはワクチン接種有無は相関があるとは言えなさそうだ。

2021年前半からスタートしたワクチン接種。会社として職域接種こそなかったが、各人が勤務中に中抜けしてワクチン接種、当然のように翌日〜翌々日副反応休暇。

そんな中、2021年下半期に人事部から「月1で人事からワクチン接種状況をインタビューする」との通達あり、部門長(日本人)に即抗議した。
現時点で私はワクチンを打つつもりはない。私はワクチンの副反応が怖い。何か重篤な症状になった場合のリスクが高すぎるので、今は打ちたくない。月イチで聞かれても気持ちは変わらない。聞かれるのは私にとって苦痛、パワハラに感じる、等。
部門長はひたすら私の話を聞いたものの、コメントはなかった。その後、私の抗議が効いたのか、今日に至るまで人事部から一度も接種状況を聞かれたことはない。

チームの上司(欧米人)やメンバー(日本人)も続々打っていた。日本人も留学経験がある人ばかりだ。上司からは「周りや子どもに移さないように打つ」といわゆる「思いやりワクチン」的な言い方で、若干私への批判的な表現に感じたが、受け流した。

2022年は、ワクチン接種者が続々と感染していった。日本人・非日本人含めて、2〜3回打ったのに感染、しかも再感染者続出。「打っていても大変でしたので、みなさんもお気をつけください」という体験談であふれた。熱が下がってもしっかり出社停止日数分休む感染者。海外に里帰りして日本に戻ってきた後「感染」が判明、長期休み+コロナで休む方たち。結局、残された者で仕事を進める。

我が家を振り返ってみると、この3年間、家族はそれぞれ数日間高熱が出た日があったが、もちろんPCR検査を受けていないので、コロナにかかっていない。子どもたちだって鼻水や咳が出る日もあるが、2〜3日で回復。誰だって体調を崩す時がある。私にとっては、ずっとただの風邪だった。

今年に入り、同僚(日本人)と雑談していた時に彼女から「娘ちゃんたちはまだワクチン打ててないのよね?打つまでは心配よねぇ」と言われた。政府がコロナを5類に移行するという話も出ているし、この際思いきって言ってみた。
「娘たちにはワクチンは治験中だし、これからもずっと打つつもりはないんです。実は私も夫も家族全員未接種です」
同僚は「えー!!一度も打ってないの?」とびっくり。
「熱の副反応だけでなく、心筋炎や血栓ができる後遺症も怖くて。私、平日はほぼワンオペだから体調崩してもサポートいないし。実は、身近に接種後にクモ膜下出血で入院した親戚や、一時期歩けなくなった友人もいて。」と伝えると、
「えー。そうなの。私4回も打っちゃったよ。家族に基礎疾患持ちもいるし」と同僚。私が未接種でもこの数年風邪らしい風邪を引いたのは1-2日間である、と打ち明けると、「へえーそうなんだ。打たなくても大丈夫なのね。私は毎回副反応の熱が何日間かあるくらいで、私も風邪ひいてないよ」と若干納得してない様子。
私はも負けじと「政府も5類とか言っていますし、テレビでも重症化率・致死率ともにインフルより低いと言われています。雑誌でもワクチン後遺症の話特集ずっと組まれてるし、もう5回目は打たなくても大丈夫と思いますよ!」と踏み込んでみたところ、混乱していそうだった。後からでもいいから「非接種でも全く風邪をひいてない事実」から接種の効果について、彼女の考えに一石を投じられていたらいいな、と思う。

自分が信じていることと矛盾する情報だと思うので、認知的不協和が生じることを考慮すると、情報提供もさじ加減が難しい。

私の上司(欧米人)は2回の接種でやめたらしい。「コロナは風邪だよね!」と言うようになったものの、熱が出ると高額のPCR検査を受けに行っている。私が「PCRはミカンでも陽性になるし、意味がない」と言っても「子どもにうつしたくない」の一点張りで、ここは未だに平行線をたどっている。やはりコロナに何だかんだ怯えている。

結局、「健康」に関わることになると、私自身も含めて冷静さを失う。専門家じゃないから、と調べることをやめてしまう。そこにつけいる輩がいるということは、自分で調べてみないことには実感できない。
日常生活に欠かせないスマホ。英語・日本語関係なく簡単なキーワード検索で情報が入手できるのに、その情報が目に入らない、という事実。この情報過多な時代、人の目や耳は自分が見聞きしたいものに脳が意識を向けるので、なかなか「まさか」「知りたくない」と思うことへ情報をとりに行くということがない。

ロジカルシンキングでよく「問いそのものを疑う」と言われる。現在の日本の状況はまさに「問い」=コロナの設定すら疑われていない状況。
私の仕事は英語力が必要で、かつ論理的思考が求められる。論理的に破綻していないか、流れに無理がないか、最大限に注意を払う。それなのにコロナのダブルスタンダードは許容されるようで、私こそ認知不協和を起こしそうだ。

なぜ問いに疑問を持たないのか?教育の弊害は大きいと思う。日本の学校は出る杭は打たれ、みんなと同じことを求められる。ひたすらつめ込まれるのに、社会に出ると突如自ら考える力を求められる点もダブルスタンダード的な象徴だと思う。私は日本の教育しか受けてきていないので比較対象がないが、早い子は幼稚園や小学校お受験、小学校低学年から中学受験がスタートし、その戦いは大学受験まで続く。私も中学受験を経験し、苦い思いをした経験のインパクトが強いが、そのレールの恩恵にも預かってきたことは事実。成績の良し悪しもさることながら、悔しかった経験、苦難に挑む経験をできたことは結果としてよかったと感じている。
ただ受験勉強をゴールにするのではなく、受験勉強から何を得るか、どう自分自身に意味づけ、活かしていくかを考え続けていくことが大切だと思っている。上から言われたことに従順に従うことが正解ではない。地頭を鍛える練習が学校教育に期待できないのであれば、家庭で、物心ついたら子ども自ら考えていくトレーニングが必要だと私は思う。

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福島先生は、今回の会見で、科学の監視、管理の重要性、科学と技術が結びついた時の危険性を説いていた。その後始末を我々の次の世代に委ねるんですか?とも。科学への危機感から行動を起こしてくださったことへの感謝と共に、私も自分事として日々できる身近な働きかけを明日からも続けていく所存である。

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