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平等な人生。

「天は人の上に人を造らず、
 人の下に人を造らず。」
という言葉がありますが、
わしはこの言葉が大っ嫌いです!!

親ガチャという言葉もあるように、
大富豪の家の子供にはなれなくとも
精神が安定した人間になれるかどうかは
どんな環境で、どんな人間に育てられたかが
重要なのは事実で、
人間が歳を重ねていく過程で
“簡単に幸せになれるかどうか”は
どの親の元に生まれるか、
というところからはじまってます。

そんな自力ではどうしようもない部分から
勝手に足場を組まれる人生において
人の上に人を造らずだとか、
平等だとかいう言葉なんて
ただの綺麗事で、
あまりにも説得力のない言葉である。

この人間世界で平等な事なんて
”いつか死ぬ”という漠然で無責任な終末だけで、
あとは理不尽でダルい事の繰り返しでしかない。

つまり、
生きることは理不尽でダルい!

こんなに辛い思いしたのに!とか
こんなに頑張ったのに!とか
嘆きたくなるけど、
そうやって嘆くダルさも生きることである。

人間は死を恐れるあまり、
生きていることを必要以上に肯定し、
そこに潜むダルさを完全に無視して
生きることこそ
正しく美しいと勘違いしているけど、
生きることの延長線上に死があると考えるならば
生と死は平等で、
死ぬことが未知の世界で恐るのと同じように
生きることも、また、未知の世界で恐ろしく、
死ねば楽になれると幻想するのであれば
生きることも楽になる為の手段になり得る。

生きてることを過大評価しすぎて、
死ぬことに期待しすぎるから、
ただでさえ理不尽でダルい人生が
もっとダルくなってしまう。

理不尽だな〜、ダルいな〜と思いながらも、
目の前の壁を乗り越えたり、通り過ぎたり、
張り倒したりしていれば、
いずれ全員に平等に死が訪れる。
人間が平等というのは、そーゆー事だと思う。

できる事ならば、
どんな親の元に生まれるか選択させて欲しいし、
自分が納得できる環境で
人生をスタートしたいけれど、
世の中が自我を持った赤ちゃんで溢れたところを
想像すると恐ろしいし
今更変えることの出来ない
現実に幻想を抱くのは、
あまりにも非効率なのでやめときましょう。

どんだけ理不尽でも、考え方や行動を変えれば、
世の中がマシに思える瞬間は出てきます。

人生を悲観する材料を集めるのは簡単だけど、
それはあまりにも愚かすぎる。

生きることは平等ではなく、自分次第。

でも、石油王と結婚してぇ〜とは毎日思います。
まじ油田掘り起こしたい。

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