見出し画像

【父と絵本】その② こどものとも『プンク マインチャ』を考える——なんで消し炭がしゃべるんだ! 

その①『プンク マインチャ』を考える、からの続きです。
お読みになっていない方は、ぜひ先にこちらを!

では、解説と舞台裏をどうぞ!


まずはご一献

ケシズミ、ご存知ですか?
木炭や薪の火を途中で消して作った軟質の炭のことをいいます。
再び燃料としてつかえるのですが、それだけではありません。
一度火が入ったことで余分なガスが抜け、湿気も抜け、無数にある空気の穴がより大きくなっているため、非常に火が入り易く、火持ちはしませんが火種として重宝します。

日本人にとって、消し炭は、すっかり生活から遠ざかってしまいました。

人類にとって、未曾有の出来事となった火の利用。
この燃料となるものは、長い期間、薪、または木炭でした。

木炭は、木材をある条件に保って熱を入れることで、炭素の塊としたものです。軽く、腐らず、火力は高温で安定し、煙も出ない。高価であることを除けば非常に便利なもので、日本ではこれが、治金工業、養蚕、発酵、催事だけでなく、家庭用燃料の主力としても長く使われてきました。

しかし戦後、燃料は安価な石油やガスにとってかわり、木炭はあっという間に家庭から姿を消してしまいます。

世界では、17世紀にまずイギリスで、木材の枯渇と高騰から石炭の利用が増え始め、18世紀の産業革命を経て、19世紀末以降には、さらなる科学技術の発展とともに、石油、ガス、電気などが利用されるようになりました。

しかし、こうした変革は、火を利用してきた長い歴史からすれば、本当にごく最近の出来事です。

新しいエネルギーが一般家庭の生活の燃料として台頭するまで、炭と消し炭はいつも生活のすぐ傍らにありました。発展途上国では今もなお、煮炊きや暖をとるための家庭用の燃料を、大きく木材に頼っています。それら(炭や消し炭)は、木炭や薪を使う生活をしていれば、世界中、国や民族に関係なく、当たり前に自分のそばにあるものだったのです。

エネルギー革命以前に書かれた小説や、昔から伝わる民話などを読むと、しばしば、さりげない形で、炭や炭焼き、薪やきこり、暖炉や囲炉裏、消し炭や灰の描写が登場することに気がつきます。

さて。これほど身近なものについて、人々がその性質を事細かに観察していない訳はありません。
どの土地の人々も共通して、おそらくは経験的に知ることのできる、たくさんの事実がありました。人々は、炭や消し炭が、水をよく吸い、腐敗を遅らせ、匂いを取り込み、悪いものを吸着し取り除き、音すらも呑み込んでしまうと知っていた。

そしてつまり、ここが肝心なのですが、なんとネパールでは、唾を吐いてその上に置くと、消し炭の中に取り込まれたものが押し出されて、自分の代わりに返事までしてくれるというわけなのです!

ラウェイは館に仕掛けられたカラクリにとても驚きましたが、心のどこかで、もありなん、と思ったでしょう。彼は1950年代後半、北イタリアの生まれで、暖炉と薪はごく当たり前に生活の一部でした。消し炭の性質を、年来の友のように知っていたのです。


さてご返盃

『プンク マインチャ』をお父さんの絵本、としてご紹介した理由は、三つほどあります。

——まずひとつめ
『プンク マインチャ』は、父に読んでもらった本でした。
理由はおそらく、この絵本が怖かったからだと思います。
幼い子どもたちは、怖い話を、お父さんに読んでもらいたい。
なぜなのかは知りません。

とにかく幼い私にとって『プンク マインチャ』は、いいようのない不穏ただよう絵本で、終始薄暗い色調、超然たる語り口に加えて、終わり方も非常に容赦がない。読むのは絶対に父でなければなりませんでした。
何度も何度も父に頼み、絵本がボロボロになるまで読んでもらったのです。

……なんともいえず怖いけれど、覗き込まずにいられない。強く大きい安心の父の膝上に守られて、ドキドキしながらそれに近づく……。幼い子どもたちが、怖い絵本を父親にせがむのは、おそらくそんな心理が働いているのかと想像します。

私の父は身体の小さな人で、強いも立派もありませんでしたが、今になって思い返すと、なんと豊かな体験だったことでしょう!

——ふたつめは?
私にとってこの物語は、もう一つ、父による貴重な体験が含まれていました。それが消し炭です。

私の父は、子の感情に寄りそう人ではありませんでしたが、もののことわりについては道理立てて説明する人でした。
昔の燃料のあれこれを知らない子どもの疑問に応えて、「ケシズミとは、一度火の入った木炭を、密閉できる容器に入れ、空気を絶って消火したものである」と解説してくれました。まだ燃料として使えるのでとっておくのだ、一度おこしたあとの炭は、その後とても容易に火が入るので重宝するのだ、と。

私は石鹸大の白いケシゴムのようなものを思い浮かべました。今から考えると、ものすごく間違っていました。父は「それ以上に」「もっと具体的な」説明をした方がいい、という機転を利かせられませんでした。加えていうなら、ネパールの一般家庭では木炭を利用する習慣がなく、炊事用燃料の大部分は薪でした 注2ので、日本人として生まれ育った父の、木炭を前提とした説明も、実は微妙に間違っていました。

けれどもまあ、だいたいそれで十分でした。炭(薪)を消火したあとの消し炭は、とても大切な燃料のひとつで、唾の上においておくと、誰かの代わりにおしゃべりをするのだと、私の頭に喰い込んだのです。

父親は、母親とはまったく違ったやり方で、ものごとを子らに指し示します。良し悪しは関係ありません。赤ん坊にとって家族は世の中の第一歩。環境を相関で捉える能力を持つ生物にとって、父親のありようは、母親とはまるで違うその存在にこそ価値がある。なぜなら、均一でない世界が本当だから。それは複雑怪奇な世の中の、真の姿をみるはじめのひと足です。

父の消し炭の説明は、いつもの母親の説明とは少し違っていて珍しかったのでしょう。私の記憶にその光景が鮮烈に焼きつくのに、十分だったのです。

——そして三つめに
もうひとつ、家庭ではなく、社会にある父性についても触れておきたいと思います。

この物語の中で、ヤギとネズミは知恵者として登場します。
人が困難の中にある時、それを打開するカギとなるものの一つが、事実です。うまく使うことが難しいこともありますが、闘うために実装できる確かな装備です。知恵者たちは、私たちにカギのありかを知らせ、どうやって使うのかを教えてくれます。

ときに、父も母も頼れない。

大人になって、問題解決の舵取りが自らの采配に移行すると、自身の無力に愕然とすることがあります。自分こそがプンクの両親であると気がつくのです。病に障害に失職、養育に介護、災害や事故、パートナーの暴力や死別など。自分すら生きるか死ぬかの瀬戸際に追い込まれたとき、親はときおり完全に余裕を無くし、子への関心を失ってしまう。

もともと、両親が子を全力でサポートすべき期間はごく限られていますが、プンクのように、さまざまな事情で、まだ本当にそれらを必要としている時分から、役割を果たすべき両親を失っている場合がある、そばにいても、いないも同然に。

それは社会における残酷な事実で、主人公は幼すぎるため、逃げること、抵抗し権利を勝ち取ること、その他、自分を守るためのいろいろを実行不可能な状態にあります。
しかしこの物語は、父にも頼れず、母も助けにならないとき、自分の生を助ける知恵者たちが、社会にあることを示しています。

『プンク マインチャ』は、世界各地で見られるどの物語とも似通っていますが、このことからも、この民話がただの空想ではなく、確かな人間の営みを映したものであることがわかります。だからこそ、忘れ去られることなく語り継がれてきたのでしょう。

父性という言葉の本来の定義はさておき、私は、コミュニティーが安全で安心して過ごせる形で機能している状態を、良質な社会的父性が保たれている、という言葉でイメージしてしまうのです。生殖器の表現型としての性別ではありません。

世間には、社会に対して父性的な役割を果たしている人たちが多くいます。自分が子を持つ親であるかどうかにかかわらず、また、男女に関係なく、さらには自覚もないままに。普段は忘れていますが、私たちは心のどこかで知っています。自分を外敵や死の危険から守ってくれる、強く大きな、安心で安全な膝の上。

家庭が残酷であっても、家族が助けにならなくとも、社会が健康であれば、子は、ひとは、生き延びられる。
この相互に作用する救済の確率が機能する循環の社会で、いろんな場面で、私は本当にたくさんの人たちに助けてもらいました。

彼らのほとんどが、私を助けたとは知らないでしょう。だけど私は助けられたと知っています。いい人とかいやな人とかは関係ありません。世界はもっと不可思議です。崖っぷちにあってもうダメだと思っていた時、私の異変に気づいて率直な言葉をかけてきてくれたのは、私がもっとも苦手だと思っていた上司でした。村中でいちばんの嫌われ者のけちん坊が、倉を開け放ってしまうという珍事の起こるのが世の中だったりします。うまく働けなくてぼんやり日々を過ごしている人が、誰かの心を救っているかもしれません。

社会の中で人々によって、知らず知らずに培われる安心で安全な膝の上。
私が心の中にしまってある、大切な思いのひとつです。


補足
最初は瞑想やマインドフルネスのことを考えていたのです。
過去や未来などを含め、現実そのものではない思考に人生を乗っ取られないように、いま目の前にある実存のものに意識を集中させ、触れたり感じたり唱えたりして心を整えます。

イタリアが舞台であれば、多くの人が瞑想のために暖炉を使うかもしれない。決して熱効率の良い暖房器具ではありませんが、2005年のイタリア、少し田舎であれば、多くの家が薪の暖炉で居間を温めていたようです。

だけど夏はどうするのだろう、炎はありません。ああ、けしおき﹅﹅﹅﹅が使えるな、と思ったのです。そこから一気に対話劇が展開しました。書き始めたときは、『プンク マインチャ』に話が及ぶと思っていませんでした。

ちなみにベファーナというのは、イタリア版のサンタクロースで、悪い子には鞭ではなく消し炭を置いてゆくのだそうです。
生活に役立つ身近な燃料が、ここでは懲罰的なアイテムになるというのもまた、興味深いと思います。
消し炭は、いつも傍らにあって、ごくありきたりで、つまらないもの。もらった子どもがガッカリして、お仕置きなのだと思い知るほどに。
けれども一方で、創意工夫によって生き抜くための知恵の杖とすることもできる。ヒトの営みは、ほんとうに面白いと思います。

さて。今回対話劇に登場してもらった研究者ラウェイは、私が空想を広げる過程で出てきた、便利なキャラクターのひとりです。
彼には、感染症疫学調査の体験がある、という設定がもともとあって、それがとてもうまくかみ合いました。ただ、対話劇の中のSARSの記述も、民話の疫学的価値などのくだりも、劇中では完全なファンタジーで、科学史や学術的な事実との整合性が取れているわけではないことを明記しておきたいと思います。

ラウェイもふたりの娘をもつお父さんです。
彼は、社会的に非常に扱いの難しい問題を抱えていて、日々困難に立ち向かっています。いつか、この件に関して、子どもたちに事実を伝えなければいけないだろう、と考えています。
一時期は海外出張も多く、娘たちが幼い頃は、会う事すらままなりませんでした。
久しぶりに家に帰ると、大音量で泣かれてしまい、たいへん途方に暮れたものです。

お母さんたちも、お父さんたちも応援しています。どうぞご自愛ください。



1)SARS(重症急性呼吸器症候群):WHOがグローバルアラートを発表したのは2003年3月だったが、前年2002年11月、中国広東省で最初のSARSが報告され、同年11月末に最初のアウトブレイク が同国で起こっている。
2)https://openjicareport.jica.go.jp/pdf/10507556_02.pdf  2024-8-8閲覧

参考資料
NHK報道局「カルロ・ウルバニ」取材班. 世界を救った医師. NHK出版, 2004.
大塚勇三(再話). 秋野亥左牟(画). プンク マインチャ. 福音館書店, 1968.
岸本定吉. 木炭の博物誌. 総合科学出版, 1984.
樋口清之. 木炭. (ものと人間の文化史71). 法政大学出版局, 1993.
ローランド・エノス. 水谷淳訳. 「木」から辿る人類史. NHK出版, 2021.


謝辞

消し炭に関する資料の一部は、炭火研究家 | ホンダタロウ @HIROBINさんのnoteを参考にいたしました。
ありがとうございました!ここに厚くお礼申し上げます。

noteには、プンクに知恵を授けてくれるヤギさんたちがいっぱいで驚きます!


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?