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喰い縛れ!

何時いつ 何処どこでくたばろうが 構わねェ
それが 今だって…

三浦建太郎. ベルセルク(39) : 遠い日の春花, 白泉社, 2017年.

顎に、万力の力を込めて、寝ているらしい。

あまりに歯と顎とが痛むので歯医者へ行くと、若く容姿のいい歯科医師が、胴の響く大きな声で、こういった。

——虫歯じゃないです。食いしばりすぎで炎症が起きてる。
——虫歯じゃない?
驚いて聞き返すと、先生は大きく頷いた。
——力入りすぎです。このままじゃ、顎が砕けますよ。

カッと明るい物言いと、上背があり筋骨のりゅう﹅﹅﹅とした身体つき、よく焼けた肌、歯科医師には向きそうもない大雑把さ。
私が患者であるので表向きは丁寧だが、べらんめえな気風きっぷが口調の向こうに透けている。

顎関節症、という疾患がある。
歯ぎしりで顎関節にかかる負荷は最大1トンとも言われる。行きすぎると顎関節と咀嚼筋に支障をきたす。軋み、痛み、開閉が困難になる。

長年にわたる食いしばりのために、私の顎関節は、骨が細く痩せてしまっており、いつなんどきポッキリいってしまってもおかしくない、大事にしなければいけない、というのが、その先生の見立てだった。

食いしばりを止めるのは難しい。マウスピースに自己暗示。
いろいろ試してはみたものの、結局今でも、寝てる間はずっと食いしばっている気がする。何をそんなにいきり立っているのか自分でも分からない。

そもそも医師にも誰にも自身にも。これらを止めることは難しいと言われる理由は、どこにあるのだろう?

私の疑問をよそに、やがてクリニックは移転してしまい、その先生とはもう長らく会っていない。
歯科医師にしておくには惜しい、と思うほどの美丈夫だった。


『ベルセルク』のガッツ 注1はカッコいい。

それもそのはずだ。
この物語の作者である三浦建太郎氏は、劇中において「主人公にヒーロー的要素を特盛させる」と決めていて、屈強の体躯を与え、不屈の精神をえ、その上で主人公ガッツの周辺をも整える。

周辺を整える、とはつまり、彼を最も魅力的にみせる為に、無尽蔵なほどの布石を配したことを指す。取り巻く人間たち、舞台背景、尋常ならざる大きさの剣、降りかかる災厄、宿命、邂逅、生い立ち、身体の欠損、心理葛藤などなど。
作者は彼の雄志が際立つよう、構造的に創り込んでいるのだ 注2

しかし、それらの計画性をはるかに凌駕している、と唸ってしまうのが作者の描く表現者としての確かな技巧だ。三浦建太郎氏の画力を前にすると、皆がひれ伏してしまう。現実にその世界があるかのように信じ込んでしまうのだ。そしてその極めつきが、私にとっては、ガッツの美麗な歯とその食いしばり加減なのである。

ガッツが「よく見れば美しい若者である」 注3のは間違いない。けれどもここまで秀でた歯のさま﹅﹅を見せつけられると、逆に不安になってしまう。
主人公でイケメン設定ゆえ、ではなく、食いしばらせるために、ガッツは作者からこの歯を与えられたに違いないから。

圧倒的な画力に支えられて、言語化不能な何かのために、自然自然じねんじねんと創出されたのであろうこの「食いしばり」は、算段なし、仕組みなしの直感的に描かれる視覚情報、他者の追随を許さぬ無二の技法なのだ。三浦先生、恐るべし。

食いしばられる歯、そして、歯。

彼が激情に駆られ、身の丈以上のダンビラを振りさばくとき、極限状態にあるとき、激痛にひしがれ心身を引き裂かれるとき、必ずやその歯が描かれる。
すべてを噛み砕かんとするほどに食いしばった、ひとつひとつの歯。

色も形も並び具合も、ざくりと鈍く光る4本の犬歯も、その質感指先に触れられるか、と思うほどなまなましく、美しく、比類なき苛烈の「歯」だ。

絶望と悲壮感に情交の恋人を想うときも、憎悪に我を失い友の名を咆哮するときも、彼は満身の力を込めて食いしばっていて、そのリアルすぎる歯と歯の間から、ギリギリと軋む感情が発出されるのである。

それだけではない。

彼は、にやっと笑うときも、しまった、という顔をするときも、パックやゾッドに「てめえこのやろー」というときも、大抵歯を食いしばっており、その超リアルな歯と歯のわずかな隙間から、爆裂な魅力を溢れさせる。

それはときに、生真面目なシールケさえ赤面させてしまう。

この年端もゆかぬ少女に笑いかけるときくらい、緊張を解いても良さそうなものだが、彼はいっかな、ゆるむ気配がない、いつも通りグイッと歯を食いしばったまま、顎を心持ちあげて、恩に着るぜ、などというのである。

確かに。こんなふうにされたらもう、顔を赤らめるしかないだろう。リンゴ色にほっぺたを染める魔女見習いの少女。

いやはや、まったく。
食いしばりすぎな毎日。食いしばり続ける人生。
夜という夜のすべて、ときというときのすべてを、ほんの針先ほどのスキマもなく。歯噛みし噛み砕き続ける狂戦士ベルセルク


いけない、いけない。

物語の性質上、止むをえないことであると分かってはいるものの、これではいっときも身体は安らぐまい。
コルチゾールはマックスの分泌で、アドレナリンもじょわじょわだ。

苦痛が閾値を超えれば脳内麻薬も大量に放出されるに違いなく、ときに昂揚極まり奥歯をいがませながら口の端へ歓喜さえをも滲ませる。
ここへ至ってしまうと、常にこの状態の方が気持ちがいい﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅とガッツの身体が覚え込んでしまうのも仕方ない。それは、彼の理性下にあるのぞみとは裏腹な、決して覆せない身体の正常な応答だ。
ゾワゾワと澱となって丹田に潜む「憎悪の核」 注4が、これらの内分泌ホルモンや神経伝達物質をに、力をため込んでいくことになるのは、あたりまえなのかもしれない。

食いしばりを止めるのは難しい。
誰にも彼にも自身にも、これらを止めることはできかねる。
ひょっとすると、自らを生かしめてきた遺伝子の蓄積が、食いしばりを止めるようにできていないのかもしれない。「身体自体が望んでいるのだ」

疲弊してゆき、疲れ果てる。もはやすべての苦痛に飽き飽きしている。生を放棄しようと思うほどにずっしりとのしかかる。

しかし、それらは歯がみをして耐えるしかない、耐えるしかないのだ。逃げても無駄だ、追ってくる、どこまでもどこまでも、飢餓も、貧困も、疫病も、天変地異も、戦争も。

逃げられるときはいい、だがどうやったって逃れられないこともある、そうしたあれもこれも、どれもこれも歯を食いしばって耐えて耐えて耐えて、そうして万に一つもあることか、奇跡のように運がいいと、生き残る。

そういうわけで、私たちの食いしばりは止まらない。身体がそのようにできている。生命の存続を望む強靭な力が、食いしばりの解除を阻むのだ。誰もが望む、生を望む、これまでも、この先もずっとずっと生き抜くために。


痛みに横たわる私のすぐ傍らで、くろぐろと仁王立ちする誰かの声が、天啓の如く降ってくる。

——力入りすぎだ、そんなに食いしばってたんじゃ、いつか顎の根元が砕けるぜ。

たとえ治療台の横で白衣を着て立っていたって、ガッツばりの声音とガタイでそんなこと言われても、今ひとつピンとこない。歯を食いしばるのをやめなきゃいけないのは、どう考えても私ではなくて、作中のガッツなのだ。

だけど、周囲の誰もが彼を止めない、戦友も、旅の仲間も好敵手も。作者も、そして私たち読者もまた同じに、彼を止めないのである。

私たちは彼の歯のさまを見つめていたいと望んでいる、彼の、命削る行為を押しとどめる言葉を発しながら、同時に命の瀬戸際をゆく彼を惚れ惚れと眺める、もうやめろ、いくな、危険だと言いながら、心の奥底では、彼を目撃したすべての人々が、歯をギリギリと食いしばる彼を、これからも、この先もずっと見ていたいと望んでいるのである。


発狂するほどの痛みと戦う、精神崩壊するほどの苦痛、声も上げられないほどの疼痛、逃れる術のない激痛と戦う、延々と、延々と。生のあるかぎり抗う、顎の根元が砕けるほどに歯を食いしばって。

喪失から逃げ出す道はどこにもなく、哀しみから目を背けても無駄だ。怒り、復讐、否認、代償行為、感情を麻痺させること。失った事実と、それがもたらす懊悩からの解放のために、さまざまの手を尽くし万索を講じてみても、結局はもとの木阿弥。何度も何度も際限なく、ギリギリと引き絞られる痛みが元の場所へ返ってくる。

歯噛みをして耐える以外、どうすれば?
そうして、その拮抗がいつか臨界に達したとき、自分たちの心になにが起こるか、私たちは知っている。

人格の崩壊とその過程。破壊に遭遇した多くの人々と同じに、私もかつてそれを目撃し、つぶさに観察した。
どこへゆきつくこともかなわず、虚が無限に肥大化した空乏の土地。認知不能の領域を前に、いつまでもいつまでもなすすべを失ったまま、人はただひたすらに失い続ける。

何時いつ 何処どこでくたばろうが 構わねェ
それが 今だって…

三浦建太郎. ベルセルク(39) : 遠い日の春花, 白泉社, 2017年.

『疲弊してゆき、疲れ果てる。もはやすべての苦痛に飽き飽きしている。生を放棄しようと思うほどにずっしりとのしかかる』

しかし、ガッツのガッツたる所以ゆえんは、
それでもなお歯を食いしばり﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅這ってでも生きようとしてしまうところにあるのだ。﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅


私は本当にガッツの顎に心配しかない。
ガッツ、このままじゃ近い将来、きっと顎関節症になってしまうよ。
そんなに四六時中歯を食いしばって、顎の関節が壊れたら、もう元には戻らない。

隻眼のガッツも、手先の振戦を患うガッツも悪くはないが、ものを噛めなくなったガッツはもの哀しすぎる。食取りのできなくなった個体に待ち受けるものは本来死、しかなく、噛めなくなる、とはすなわち老醜である、という観念が私たちにあるせいだ。

作者が亡くなってしまった今、もう物語が先へ進むことはないのだけれど、食いしばり、食いちぎることのできるガッツのまま、読者の記憶に永遠に留まることになったのは、未完という不遇を背負うことになった物語の唯一の僥倖かもしれない 注5

私たちの記憶の中で、未来永劫、歯をギシギシと食いしばるガッツが、私たちの闘争心を支える。残酷に打ちひしがれ、すべてを諦め、膝を折ろうとする私たちを鼓舞している。

私たちは彼の物語を、彼がカッコいいから読むのではない。
この残酷の世界から、足掻き、立ち上がる力を得られるから読まずにいられないのだ。

さあ、足掻けよ、もがけよ。

諦めるな、立ち上がれ、声をあげ叫び出せ。

38億年をも超える年月としつき、まだそれがささやかな有機物であった頃から今現在に至るまで、あなたの根底に脈々と受け継がれてきた、生への執着、抵抗の精神を呼び覚ませ。

人々よ、喰い縛れ!




1)『ベルセルク』は三浦建太郎による漫画。中世ヨーロッパをモデルとした舞台で、剣士ガッツの復讐の旅を描いたダーク・ファンタジーです。
2)参考資料に示した各種対談やインタビューなどから情報を得たものです。
3)『ベルセルク』第16巻(ロストチルドレンの章)、ガッツと死闘を繰り広げる使徒のロシーヌが、ズタボロのガッツに向かって「よく見ると結構かっこいい」と容姿の良さを褒めるシーンがあります。
4)ガッツの内面の狂気のビジョンとして「闇の獣」が作中に何度も登場します。
5)この記事は、作者が亡くなられた2021年に執筆したもの(未公開)に、一部手を加えて2024年noteに公開したものです。2021年当時、『ベルセルク』の連載再開は未定の状態でした。

参考資料
アニメイトタイムス. 『セスタス』技来静也先生×『ベルセルク』三浦建太郎先生 同級生対談.
https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1618282886, 2024-7-19閲覧
コミックナタリー. 「ベルセルク」特集 三浦建太郎×島崎和彦.
https://natalie.mu/comic/pp/berserk02, 2024.7.19閲覧
コミックナタリー. ヤングアニマルZERO特集 「ドゥルアンキ」「ベルセルク」三浦建太郎インタビュー&スタジオ我画潜入レポート.
https://natalie.mu/comic/pp/younganimalzero, 2024-7-19閲覧
コミックナタリー. 三浦建太郎が初講演!「ベルセルク」鷹の団は「高校時代の友人関係がベース.
https://natalie.mu/comic/news/249149, 2024-7-19閲覧
電ファミニコゲーマー. 『ベルセルク』三浦建太郎×『ペルソナ』橋野桂&副島成記】ダークファンタジーの誕生で目指した“セックス&バイオレンス”の向こう側. https://news.denfaminicogamer.jp/interview/190709a/3, 2024-7-19閲覧
三浦建太郎. ベルセルク1巻-41巻. 白泉社, 1990年-2021年.
三浦建太郎. ベルセルク オフィシャルガイドブック. 白泉社, 2016年.
ヤングアニマル. 白泉社, 第33巻第18号, 2021年9月.


追記
後日、本記事の補足として、関連資料や小咄を載せた小さな記事を公開したいと思っています。もしご興味あれば、ぜひどうぞ。


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