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時間という概念について考えていること

お疲れ様です!あきただです!

今日は時間という概念について、
ちょっとおかしいと思われると思いますが、
私が本気でそう思っていることについて考えてみたので、
こちらで紹介させていただければと思います!

「時間」という概念について

この話をすると大体頭おかしい人だと思われるので、あまり人に言わないのですが、私にとって「時間」はその瞬間によって速さが変化しているものだと思っています。

私たち人間が観測している時間という概念は、客観的な数字上で観測したものを定義したものですよね。
それが1時だったり12時だったりして、1時間は60分でくるということから60秒で1分ということまで、客観的な数字による観測で定義付けられていますよね。
客観的な観測ではそれが正しいと思っているのですが、個人としての主観で観測する時間はおそらく客観的に観測された時間の概念とは違うと思っています。


主観的に観測される時間について

「主観的に観測される時間」とはどういうことかということを以下の例で比べてみてみますと、、、

・退屈な仕事で過ぎていく時間
・ゲームに没頭している時間

この例について考えてみると、
前者の体感で感じるの1時間と、
後者の体感で感じる1時間は全然違います。

皆さん経験あると思うんですが、
「1時間ってこんな速かったっけ?」
という状態になったことないですか??
まさにこれです。主観的に観測される時間については時間の流れが速くなったり遅くなったりするという仮説を勝手に持っています。
(こうやって話すと大体頭おかしいと思われます笑笑)


仮説:人間以外の主観的な時間の観測について

ここからは完全に私が勝手に考えている仮説の世界の話なので、
証明されているかわからないのですが、人間以外の主観的な時間の観測はおそらく人間が感じている時間の流れの速さとは違うと考えています。
どういうことかというと、こんな事例で考えてみるとわかりやすいかもしれません。(ここから頭おかしい具合が加速します)

・犬
・人間
・松の木

で考えてみると、

・犬=10年ぐらいの寿命
・日本人=85年ぐらいの寿命
・松の木=1000年ぐらいの寿命

ということで、簡単に表せる寿命を使って生きる時間が限られているとします。
そういう場合に起こる主観的な観測時間は変化すると思ってます。

つまり、人間でいう「1年」という概念が、
犬にとっては人間の「1年」という時間経過で約9回も年越しをしていて、
松の木にとっては人間の「1年」という時間経過は約12年でやっと年が明ける
ということではないかと考えております。

私たちは「睡眠」というものを通して1日の終わりと始まりを迎えるという認識ですが、それは暗くなったら眠くなるという人間の生理現象であって、
それぞれの種によって主観的な観測される時間経過の速さが異なるとすれば、犬にとっては日が昇って日が落ちるまでに9日の時間が過ぎていることになります。そして犬は1日のうちによく寝ますよね。
それは人間の概念としての「1日」という時間経過の中で犬にとっては9日間過ぎているので9日分の睡眠がどうしても必要になっているのかな?と予想してます。当たってるのかわかりませんが。

それに対して松の木はどうでしょうか。
人間が12日間経つとやっと松の木の1日を終えるという主観的な時間経過だとすると、松の木がもし睡眠を取る生き物であれば4日間ほど睡眠を取るものだと考えられます。(もし人間のように一生涯の睡眠時間が人生の1/3という数字を当てはめているだけですが)

こう考えると明らかに時間の速さは違うのではないでしょうか。
このことから私は時間の速さの観測は主観的には変わると考えています。


最後に

こんなことを本気で考えている私は本当にちょっとおかしいのかもな〜と我ながら自覚しつつあるのですが、今本当に読者の方から引かれてないか心配です。

ほんとはこの研究とかやっている人と色々話したり、研究を私自身がしてみたいな〜と思ってしまうのですが、機会があればぜひチャレンジしてみようかな、、、めちゃくちゃ気になる!

ということで、今日は時間について私のちょっとおかしな話でした!

最後までありがとうございました!

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