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暮らすように旅をした宮古島で感じた、“懐かしさ”の正体

 見渡す限りのさとうきび畑。広々とした牧草地に、点々と見える牛舎。黒い牛たち。私はそれらの光景に魅了され、何枚も何枚も写真を撮っていた。ここに来る前は、宮古島といえば、「美しい海に囲まれ、島全体が華やかなリゾート地」なのだろうと思っていた。しかしそれは、現地に到着して早々に一変した。オフシーズンで、しかも平日だったことも手伝い、空港も街も海辺も閑散としていた。古い鉄筋コンクリートの家や店舗が立ち並ぶ中心街。郊外に車を走らせると、ホテルよりも畑や牧場の敷地が、大半を占めている。静かで素朴な第一印象が、私にはとてもフィットした。
 2月の宮古島へ夫と旅に出ることができたのは、勤続のごほうびだ。社内結婚の私たちは、勤続10年と20年の節目のタイミングが偶然重なり、ご褒美として10万円分の旅行券と、丸3日の休暇を手に入れたのだった。
 滞在先は、元々外食嫌いの夫と、地元食材を使って料理をするのが楽しみな私にぴったりの、キッチン付のコンドミニアム。海が見える居心地良い一室を、予算内で見つけることができた。元リゾートマンションを改装した建物で、ここに生活しているような気分を味わえそうだと、旅のテーマは「暮らすように旅をする宮古島」に決めていた。
 ガイドブックどおりに、熱帯魚やウミガメと泳いだり、フォトジェニックなスポットやグルメを追いかけたりはしない。海岸線をのんびりドライブして、橋をわたり、離島を一巡り。時折カフェで休み、個人商店やスーパーで、パンとコーヒー、島野菜や聞いたことのない名前の魚、時には奮発して宮古牛を買い込み、滞在先に帰る日々をたっぷり楽しんだ。
 もちろん、透き通ったエメラルドグリーン色の海の美しさは見るたびに感動して、ドライブの道中、ビーチにもよく立ち寄った。
 それなのに、写真を撮るときは青い海をそっちのけで畑や牧場ばかり撮っている。撮りながら、不思議なくらい懐かしい気持ちになる。大阪育ちの都会っ子で、沖縄にルーツはないのに、どうしてこんなに懐かしいのだろう?と理由を考えていたら、私の幸せな記憶には、やたらと畑や野菜、果物にまつわるものが多いことに気が付いた。家族旅行でトマトの収穫体験をしたこと。親戚の畑で正月に大根を抜いたこと。幼稚園の遠足で、だるまみたいに大きなサツマイモを掘り、母がおいしい大学芋にしてくれたこと…。数珠つなぎのように思い出の一コマが次々に浮かぶ。最後に一番古い記憶の中から、公園の小高い丘の頂上で、ベンチ代わりの大きな石に祖父と3歳くらいの私が腰かけ、一緒に夏みかんを食べている光景が現れた。
 私は同居する祖父のことが、大好きだった。穏やかな人で、怒った姿を一度も見たことがない。いつもニコニコしていて、私が「おじいちゃーん!」と抱きつくたび、笑顔で受け止めてくれた。当時、一軒家の1階に祖父母、2階に私の家族が住んでいて、台所は別々だった。料理が得意だった祖父が、鯵の南蛮漬けや魚の煮つけを作るたび、こっそりと味見をさせてくれて、嬉しかった。
 祖父は私が12歳のときに亡くなった。だけど祖父との幸せな思い出たちに導かれるように、大学で農学部に進学した私は、縁あって農業に携わる仕事をしている。今の私を見たら祖父は何と言ってくれるだろう。大人になって祖父ともっとたくさん話をしたかったなと、折に触れて思う。 
 さとうきび畑のなつかしさの正体がわかって、私は驚いた。幼い頃から積み重ねた思い出の点が線となり、さとうきび畑に繋がっていた。非日常な旅の中で、原風景ともいえる自分の記憶を引き金に、ノスタルジックを感じていたなんて。
 旅というのは、訪れた場所を巡るだけではない。同時に、自分の心の中も巡ることができるのだと思った。

(おまけ)
このエッセイは、受講中の京都ライター塾アドバンスコースの課題で執筆しました。下の写真は、先生の書き方ガイドに従い、何を書くか考えながら試行錯誤した時のメモ。自分の内側をのぞいて、ネタを探し、エッセイに完成させる作業は、とても苦しかったけど、完成したらとても達成感がありました。ちなみに、左のノートは、宮古島に持って行った旅ノート。旅行中に買ったもののラベルを表紙にペタペタ貼っていたら、なんだかいい感じ!

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