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大阪府北部地震 #SS #体験談

※震災を扱った話です。ご注意ください。

2018年6月18日月曜午前7時58分、大阪府北部地震発生。その時私は尼崎発姫路行のJR新快速車内にいました。尼崎駅を出て5分ほど経った頃でした。突然乗客のスマホが一斉に鳴り、まさか……と思った瞬間、車体が揺れました。ゆら~、ゆら~、と大きな横揺れです(尼崎は震度5弱)。ウワッやばいやばい! 乗客の悲鳴。私はというと体が固まって動けず、脚をふんばってじいっとしていました。このとき私はYさんのことを考えていました。

Yさんは私が勤務する会社に一年遅れで入って来た女性です。女性同士、年齢も住む地域も同じとあって私たちはすぐ仲良くなりました。神戸・元町の勤務地は遠いので断ろうとした私に、
「都会で買いもんできていいやん、行こうよ」
と言ってくれたのはYさんでした。

こうして私たちは同じ電車で新年度から毎日一緒に通勤していました。あの日尼崎駅で降り立ち、乗り継ぎの新快速を待っていた私たち。Yさんが言いました。「ごめん、今日なんか頭痛いねん。耳鳴りもする。私休むわ」

そういえば今日のYさんは元気がなく、顔色も青い。嫌な予感がしました。
学生時代、彼女は神戸六甲の大学近くに下宿していました。1995年1月16日。月曜日、祝日。この日奈良の実家から下宿に帰る予定にしていたものの、昼から強烈な頭痛と耳鳴りに襲われ、明朝出発に予定を変えたそうです。

Yさんはその夜、不思議な夢を見ました。暗闇の中、無数の光が空に昇っていく。不思議に怖くなく綺麗だなあと見とれていると目が覚め、時計を見ると5時半。まだ頭痛が止まないので布団の中でじっとしていました。そして5時46分。……下宿は半壊だったそうです。

新快速が来ました。以前彼女がしてくれたこの話を思い出し不吉な予感がしたものの、仕方なく私ひとりで乗り込みました。本日納期厳守の案件を持っており、今日は絶対に休めないのです。

だから7時58分に揺れたとき、Yさんの予感があたったと心底ゾッとしました。揺れが収まった後も乗客は2時間近く車内に閉じ込めれ、結局歩いて尼崎駅まで戻りました。ずっと立っていた私はもう、へとへとでした。彼女の予感に従うべきだったと後悔しました。

尼崎駅でYさんと合流できました。
「Yさんの予感、当たったね……」
「自分でも嫌やねん。気味悪くて。めんどくさいから、誰にも言わんといてな」

Yさんごめん。書いてしまいました。



震災を題材にした創作を不快に思われる方がいらっしゃるかもしれません。その点、お詫びいたします。この話は創作でYさんは架空の人物ですが、この日同じ時間、私は実際に尼崎発姫路行のJR新快速に乗っていました。

尼崎駅を出て5分ほどしてスマホが鳴り、横に大きく揺れ……車内に閉じ込められてる時、1人のサラリーマンが次々窓を開けて換気に回っておられたんですが(倣って他の方も窓を開け始めた)、率先した行動が非常にかっこよく目に映りました。

この日は会社まで辿り着けないので休みを貰いました。約2時間後ようやく出して貰え、尼崎まで30分ほど歩いて戻りました。尼崎を出てから5分ほどだったのでまだ近くて良かった。そこからもちろんJR動かず。阪神も阪急も止まってると言う。

近くの飲食店は人がもういっぱいで入れず、ずーっと尼崎駅構内で大勢の人と一緒に座ってました。トイレも常に人でいっぱいだからあまり飲み物を飲めず。立ってるのがしんどくコンビニ袋を敷いてその上に体育座りしてました。

夕方にやっと動いた阪神電鉄の杭瀬駅まで歩いて、家に着いたのが23時近く……。翌日ももちろん仕事……。

とにかく疲れた。



ほんと、テレワークになって良かった!!!と心底思います。


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