青木彬

インディペンデント・キュレーター。1989年東京生まれ。首都大学東京インダストリアルアートコース卒業。アートプロジェクトやオルタナティヴ・スペースをつくる実践を通し、日常生活でアートの思考や作品がいかに創造的な場を生み出せるかを模索している。

青木彬

インディペンデント・キュレーター。1989年東京生まれ。首都大学東京インダストリアルアートコース卒業。アートプロジェクトやオルタナティヴ・スペースをつくる実践を通し、日常生活でアートの思考や作品がいかに創造的な場を生み出せるかを模索している。

    マガジン

    • 無いものの存在

      2019年11月28日に右足を切断したことで体験した幻肢痛をきっかけに身体のこと、アートのことを綴る日記「無いものの存在」です。

    • とまどいのラジオ

      • 2本

      ”逡巡”しながら様々な活動に取り組むアーティストや福祉関係者らをゲストに招きトークするプロジェクト。 ✳️「とまどいのラジオ」は2019年に実施された「KAC Curatorial Research Program vol.01『逡巡のための風景』」の関連企画として始まりました。

      • 無いものの存在

      • とまどいのラジオ

        • 2本

    最近の記事

    [無いものの存在]_42:語ることに躓きながら

    「義足の発芽」と名づけた本義足制作もやっと終わりが見えてきました。 制作を始めてから色々な人に「もうすぐ完成します!」と言っておきながら、随分と時間がかかってしまったのは何か技術的なトラブルがあったわけではなく、僕が作ることを急がなかっただけのこと。ある方には「義足を完成させたくないのではないか」とも言われてしまいました。 確かに自分が義足を完成させてしまうことをどこかで遠慮していたのかもしれません。「発芽」と名づけた理由も、叶うことなら自分の意志に関わらずに勝手に出来上がっ

      • [無いものの存在]_41:『義足の発芽』④骨と大豆が顔料になる

        「切断した右足は火葬して渡せるけど、いる?」 手術前のカンファレンス中の主治医の一言からうっかり始まってしまった遺骨を使った義足づくり。 遺灰を染料として活用できないかと染色に詳しいパートナーへの相談したがきっかけで始まったこの義足づくり。結局自分たちでは分からず、彼女がお世話になっていた染色の専門家に連絡をとってくれたのはもう1年以上前のこと。 無茶な相談に親身になってアドバイスをくれたのが染色家の原田ロクゴーさんでした。最初に原田さんに言われたのは「遺灰はこれ以上自然界

        • [無いものの存在]_40:それはそれ、これはこれ。

          前回のnoteで「わからないことをわからないまま」と書いたけれども、それは果たしてどこまで可能かとぐるぐる考え続けている。いつまでも言葉にはなり切らないことを考えることは、「無いものの存在」そのものだ。でもこの“不確実さ”を“確実”に伝えようとしてしまうことは、鼻から色々な矛盾を抱えていて、ちょうど良い塩梅なんてないんじゃないのか?と感じることもある。 いや、むしろ自分が直面している事態には、ちょうど良い塩梅と言い聞かせていくことしかないのかもしれない。 切断された足を知覚

          • [無いものの存在]_39:わからないことをわからないまま

            車を運転している時、アクセル操作をする左足の邪魔をしないように、義足は左足の内側に置いているのだけど、幻肢はまっすぐブレーキペダルの方向へ伸びている。 義足とは関係なく、それはそれとして平然とした幻肢の時間が流れていて、ふとそんな時間に出会ってしまうことがある。 このnoteを更新するのももう半年近く経ってしまった。 淡々と幻肢を感じながらも、悶々と過ごす日々が続いていた。実は制作を進めていた本義足も僕の都合でしばらく止めてしまっていたこともあった。 noteももう書きたく

          マガジン

          マガジンをすべて見る すべて見る
          • 無いものの存在
            青木彬
          • とまどいのラジオ
            青木彬 他

          記事

          記事をすべて見る すべて見る

            [無いものの存在]_38:『義足の発芽』③足のアップデート

            判定を終えたので、いよいよ本義足の制作が動き出す。 判定では全てが希望通りにはならなかったが、特に足首のパーツについては複数の選択肢を提案してくれた。基本的にはその中から本義足のパーツを選ぶことになる。 まず大きな変更はソケットのタイプだ。ソケットは大きく分けるとシリコンライナーに付いているピンを差し込んで義足と固定するピン式と、ソケットの内側を真空にして義足を固定する吸着式がある。仮義足では断端が痩せていくのに合わせて断端袋で調整する必要があるため、ソケット内を真空にする

            [無いものの存在]_37:義足の価値はどこにあるのか?

            本当だったら他愛もない時間が流れたかもしれない日常の余白が、特にこの数ヶ月はコロナとオリンピックで埋められていってしまったことが心をどんよりさせていた。極力そういう大きな話題から距離を置い過ごしていても避けられるものでもない。これらの話題に対した本当にちょっとした考えの違いが、まるで大きな溝のように出現してしまう瞬間は多くの人も経験したんじゃないだろうか。 自分から遠くにあって全貌が見渡せないような出来事としての大きな物語によって、小さな主語で語らていた物語がバサっと払われて

            [無いものの存在]_36:『義足の発芽』②骨とバナナと義足

            制作からしばらく経ってしまったけれど、実は沖縄に行って遺灰入りの芭蕉紙を作ってきた。 芭蕉紙とは、バナナの木の繊維から作られる紙のことで、同じくバナナの木から作られる芭蕉布という布もある。僕のパートナーに紹介してもらって、現在では貴重な技術を持った芭蕉布の専門家の方を紹介してもらい、遺灰入りの芭蕉紙を作ることが決まったのだ。 芭蕉紙作りの旅はまずは遺灰の準備から始まる。 右足の骨の欠片を取り出してすり鉢で細かく砕き、紙に混ざる粗さまですり潰していく。 出来上がった遺灰を持っ

            [無いものの存在]_35:幻肢性と飛躍

            梅雨入りしたのかと思えばすっかり夏みたいな日もある最近。 徐々に断端の汗の量も増えてきたのを見ると、断端また痩せちゃって本義足のソケットにフィットしなくなるんじゃないか・・・なんてことも頭を過ぎる。今頃はもう本義足を着けて歩き回ってると思ったけど、陸上用の義足の試着、本義足の制作などなど、コロナの影響もあって遅れてしまったことが多い一年だった。とはいえどれも焦ることではないのでのんびり進めている。 「幻肢痛は10年近く経ってもするよ」と僕よりも先に切断した友人が言っていた通り

            [無いものの存在]_34:キカイダーありがとう

            最近は少し寒い日が続くけど、ようやく暖かくなる気配を感じる。 ボロボロになっていく長ズボンから、そろそろ短パンが捌ける季節になってきた。 義足生活も既に1年以上が経ち、生活上の基本的な使いこなしや課題なんかは見えてきた。この間、このnoteのおかげもあって、色々な人と義足や切断について話をしてきた。僕が義足を見せびらかすものだから、周囲の人も話しかけやすくなったんだろう。どんな言葉を使うか、どんな態度で話をするか、自分のことを語ると良くも悪くも「ネタ化」してしまうので、気を

            [無いものの存在]_33:『義足の発芽』①義足を内在化する

            一歩ずつ進んでいる義足づくりについても記録を残しておこうと思います。 以前から義足づくりのことは一連の流れを書き始めようと思っていたのだけれど、どこから書こうか迷っている点もあり、なかなか書き出せなかったのでした。 まず、今回の義足のコンセプトは、義足自体が喜んで歩けるよなものを作りたい、そしてそれを身に着ける僕自身も気持ちよく乗れる義足が作りたいという思いからでした。 僕が雪が積もる地域で暮らしていたり、歩く頻度や生活リズムが今の環境と違ったら、きっと今の義足のパーツを選

            [無いものの存在]_32:アートとか医療とかっていうか、美味しい鍋づくりみたいな価値

            断端が細くなり股やおしりがソケットに擦れて痛い日々が続いていたけれどなんとか12月中にソケットの調整だけ駆け込むことができた。 調整といっても擦れると思われる箇所にパットを貼って隙間を調整するだけ。 調整直後は随分と楽になったように感じたけれど、数日履いているとカバーしきれないところに痛みが残っていることに気がつく。 痛い所があり、対処する…なんて単純明快な作業なんだろうか。 馬鹿にしてるわけではなく、僕が普段聞いたり考えたりする「価値」に比べて、ここで生まれる価値があまり

            [無いものの存在]_31:体が無くなる可能性

            切断してから一年が経った。 義足生活も10ヶ月ほどになる。 足があった時のことは過去のこととなり、違う体を手に入れたというインパクトの中であっというまに時間が過ぎて行った。 切断には前向きだと書いてきたが、思えば僕は長いこと「足は無くなる可能性がある」中で生活してきたのだ。 人工関節には感染症や怪我などのリスクがあり、常にその爆弾のような右足を見守らなければいけない。足の長さを左足に揃えるための脚延長手術を繰り返したことで膝の曲がりも悪くなり、ほぼ曲げられない足を取り回すの

            [無いものの存在]_30:「セルフ」を取り巻く技術

            今回の記事で30本目になる。 約1年前に右足を切断し、術後のベッドの上で書き出してから気が向いた時に、何か発見があった時に、その時の個人史として書き綴ってきた日記のような文書は、予想に反して多くの方に読んでいただき、またそこから色々な反応を頂けたのはとても嬉しく、何よりそこから気づきがたくさんあった。 ちょうどキリがよい30本目の記事なので、少しこれまでのことを振り返りながら、今の思考を整理したい。 切断への関心 そもそもどうして足を切ったのか。それは12歳の誕生日に発覚し

            [無いものの存在]_29:普通足は持たない

            夏の間にたくさん汗をかいたせいか断端がだいぶ細くなってきた。早ければ年内に本義足の制作に入るかもしれないのだけど、断端はリバウンドすることもあるらしいのでもう少し様子を見てみる。 断端が細くなって義足のフィット具合が変わったせいか、最近つまずきそうになることが少し増えた。転びはしないのだけど、義足が予想に反して放り出されるような、相棒に意表を突かれる瞬間がある。これは自分としては結構小気味好いのだ。「お、元気だな」みたいな意思疎通の一種として成立している安心感がある。これが

            [無いものの存在]_28:ゲンシとアートを行き交う技術

            非支配の対処を考える 幻肢。幻視。原子。原始。 ときの首相は原子力発電所の事故を「アンダーコントロールにある」と言っていたが、そう簡単に支配下におけるゲンシなんて無いだろうに。 一般的にネガティヴに捉えられるもの、例えば僕で言えば「身体障害」と呼ばれるようなものに対して人は極度に距離を取りたがってはいないだろうか。もちろん危険なものに対しては動物的な直感で距離を置くことがあるのはわかる。しかし、危険との付き合い方を知らずに、共生やらダイバーシティやらを語ることはあまり信頼でき

            [無いものの存在]_27:義足の相棒感

            リハビリ施設を退所して丸6ヶ月が過ぎた。 最近、義足がすっかり体に馴染んだ気がしている。今までも問題は無かったが、義足と体がもっと細かな神経で繋がったような感覚というのだろうか。義足が”あたりまえ”に体になった。 実際に「最近歩くのがスムーズになった」と言われたので、客観的にも変化があるんだろう。 幻肢が現れるとき 今、“幻肢”はまったく無くなったわけではないが、以前にも増して日常的なものになり、気に留める機会は減っている。 最近どんな時に幻肢に気がつくかというとこんな3パ