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[無いものの存在]_39:わからないことをわからないまま

車を運転している時、アクセル操作をする左足の邪魔をしないように、義足は左足の内側に置いているのだけど、幻肢はまっすぐブレーキペダルの方向へ伸びている。
義足とは関係なく、それはそれとして平然とした幻肢の時間が流れていて、ふとそんな時間に出会ってしまうことがある。

このnoteを更新するのももう半年近く経ってしまった。
淡々と幻肢を感じながらも、悶々と過ごす日々が続いていた。実は制作を進めていた本義足も僕の都合でしばらく止めてしまっていたこともあった。
noteももう書きたくないなぁとも思っていたけど、いや、その書きたくなくなること含めて、「無いものの存在」から考えることだからそれ自体も言語化しようと思い、ヨイショと書き出してみた。

遡ると、昨年の秋頃になる。
実験を重ねて遺骨の顔料化が成功したころ、楽しい本義足の布作りとは別に、悩みがあった。
それは主に仕事に関することで、自分がやっていることに関する評価についてだ。自分が関わる事業をどうやって評価するか。僕が主に関わっているアートプロジェクトと呼ばれる分野では、自分たちの行いや作品が美学的価値と社会的価値の天秤の間で居心地の悪さを感じるようなことがある。価値創造と言えば聞こえはいいが、要するに何をやっていて、何がどうすれば意義があったのかを捉えにくい。ましてそれを関係者みんなで共有していくことなど本当に正解が無い中を右往左往する忍耐力が求められる気がしている。
ちょうどその頃、美術系のメディアで「アートの価値」についての特集が組まれ、自分も労働問題に関する座談会に参加させてもらった。特集内の別の記事では、特集のテーマに関する作品紹介などもさせてもらった。
実を言うと後者のような作品の選定はあまり好きじゃない。更に苦手なのは、展批と呼ばれるものだ。そのどちらも読むのは好きだし、自分の企画が批評されたら嬉しい。批評によって議論を深めたいし、その役割を決して軽視しているわけではない。ただ、それは自分の役割じゃないと思ってしまう。
そもそも僕は伝達のコミュニケーションが苦手で、どうしても生成のコミュニケーションに持ち込んでしまいがちである。「コレだよ!」よりも「コレじゃないかなぁ?どう思います?」という感じ。仕事柄プレゼンも多いけれど、完全なプランを発表するよりも「どう思います?」から応答を続けるような会話になる。
だから何かをジャッジすることが必要になると、とても胸が苦しくなる。この半年から一年近く、ずっとそういう評価ということが頭をぐるぐるしていた。つまり、不定形なものに輪郭を与えていく作業に悩んでいた。
悩んでいても目の前の事業は進んでいくから、ジャッジを強いられ続けるような切迫感があった。

同時に、自分が足を切断してからのことを考えた。
幻肢は体を通じて僕の思考にとてつもなく影響したし、僕もそれを利用した。そうすることで今まで出会えなかった多くの人とも出会えたし、そこで生成されるコミュニケーションもたくさんあった。
しかしそれによって自分にとっても未知で不定形だった体験が、パッケージング化されて、輪郭を定めていく感覚も増していった。僕は自分でもわからないことをただわからないこととして記述しているだけだ。そこから「わかる」ことなんて一つもないと思っている。「わかる」ことを掴まれるよりも、その人自身が「共感」してくれることがあるなら、その共感についてたくさん話をしたい。
幻肢痛というとてつもなく主観的な体験が突出していった時に、自分しか勝てないゲームを作っているような気分に陥ってきていた。そのゲームの価値が自分の手の中にしかなかったらどうしようと思って不安になった。だから、その経験を話したり言葉にするのが少し嫌になってしまっていた。

仕事、幻肢、自分を取り巻くものの「価値」に、自分なりの対処が見つからなかった。だから、このまま本義足づくりを進めても、決して良いものが出来ないという漠然とした不安があった。だって「無いものの存在」で考えていたことは、切除されても存在感を放つ幻肢という矛盾の中で、単一の価値や断定を避け続ける強い柔軟性がこの人間に備わっているという可能性そのものであり、その可能性への感動をどうにか残したいと思ったからだ。
本義足はそんな強い柔軟性の中で自然と生まれていって欲しかったから、制作を手伝ってくれていたパートナーに「このまま義足の布を作ることはしたくない」と伝えたのだった。ちょうど遺骨の顔料でどんな図案を描くかを話し合い始めたころだったけど、どうも納得のいくアイディアも出ないし、そもそもそこに「納得」が頭をよぎっていることが釈然としなかった。その「納得」には「無いものの存在」とは程遠い価値の線引きが潜んでいると思ったから。でも、もしかしたら休みの日に日光浴をしながらお茶でも飲んで、穏やかな気分だったら自然と図案が描けるかも、なんて期待をしていることもあった。そんなもやもやを抱え続けながら、今日描けるかも?いや描けない、を繰り返していた。それでも本義足の制作は迫ってくるから、布を完成させなくてはいけないという切迫感は募っていく。

どうしてこんなに「価値」に終われるのだろうと本当に限界に達してしまい、それが爆発してパートナーに本義足の布づくりの中断を、SOSとして発したのだった。
中断させたからといって、決定的な再開のきっかけと出会えるわけじゃない。実際にどうやって布づくりを再開させたかは覚えていない。確かある日突然「明日やる?」みたいな会話から布を手に取ったのだと思う。
何が大切だったかというと、そうやってSOSを出せたこと自体が重要だったということだ。

切断後、ベットの上で感じ始めた幻肢痛は夜も寝れないくらい痛かった。でも幻肢自身や僕の体はそれを「治してほしい」とは訴えていないように感じた。むしろその存在を肯定して欲しいような気さえした。死んだことに気がつかない幽霊みたいな描写があるけど、それに近いような、幻肢自身の戸惑いも感じたので、無かったことにするよりも、その声に耳を傾けようとした。痛みを無くすことは医者や何かを「納得」させるかもしれないけど、幻肢はそんな納得よりもただ存在を肯定することを求めていたのかもしれない。
だから「無いものの存在」の延長にある布づくりにおいても、何かを決定的に解決して「納得」するのではなく、その逡巡全てを吐露していけることが、一番しっくりきたのだ。
そういう吐露は伝達ではなく、不定形を差し出して生まれる生成のコミュニケーションではないだろうか。

周囲の友人たちに「もうnoteとかも書きたくないんだよね」と漏らしたところ、その気持ち含めて書いていていいんじゃないかなと言ってもらえた。
あ、確かにそれが「無いものの存在」としてしっくりくるよな、と思って久しぶりに更新してみた。
書けないことも書いていく。わからないことをわからないまま。

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