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[無いものの存在]_30:「セルフ」を取り巻く技術

今回の記事で30本目になる。
約1年前に右足を切断し、術後のベッドの上で書き出してから気が向いた時に、何か発見があった時に、その時の個人史として書き綴ってきた日記のような文書は、予想に反して多くの方に読んでいただき、またそこから色々な反応を頂けたのはとても嬉しく、何よりそこから気づきがたくさんあった。
ちょうどキリがよい30本目の記事なので、少しこれまでのことを振り返りながら、今の思考を整理したい。

切断への関心
そもそもどうして足を切ったのか。それは12歳の誕生日に発覚した骨肉腫に遡る。約一年間入院して化学療法による治療、右足の膝上から足首までの骨を切除し人工関節への置換手術をした。成長期で体は大きくのなるので、左足と右足の長さに差が出てしまうので、右足の人工関節を長くする手術など10代では数度の手術をしていて運動機能はあまり良いものではなかった。そして何より人工物が体内にあることで感染症のリスクは常にあった。実際当時すぐに処置しなくてはいけないレベルではないにしても体には炎症反応が出続けていたりもした
特に20代前半からは毎日のようにロキソニンを飲まないといけないくらい足に鈍痛があったり、ぽっかり空いてしまった足首の傷から滲出液が出るのを自分で処置するのが日常だった。幸い再発は無かったものの、人工関節の右足がずっと使えるかは本人としては疑問があった。
それが、2019年9月、夜道で転んだことをきっかけに病院に行ったことで感染症が進んでいることがわかり、切断に至った。

切断することが決まり、楽しみだったことがいくつかある。
毎日浸出液の処置をしなくてよくなること。痛み止めが不用になること。自転車に乗れるようになること。そして、幻肢痛を体験すること。
とりわけ、noteを書こうと思った幻肢痛は手術を終えてベッドに戻される最中、麻酔で朦朧としながらもはっきりと感じたのだ。右足が内側から熱い。ジンジンする。もしかしてまだ足がついてるのでは?と足元に目をやると、ぐるぐる巻きの包帯の先に右足は無かった。その瞬間、これが幻肢痛かというなんとも言えない興奮が沸き起こった。これまでも治療の中で様々な体の変化を感じてきたつもりだ。神経の検査で足に電極の針を刺して電気を流したり(泣くほど痛い)、睡眠物質と興奮物質が同時に投与された時は幻覚が見えたりもした。そんな中でも幻肢痛が衝撃だったのは、切断したという事実を超えて圧倒的に自分自身の体がそこにあるという真実を感じたからだ。無いはずの肉体の体温を感じる。まだある。まだある。そんな感覚がひしひしと伝わる。

「無いはずの存在」
右足が無いのは事実である。でも、そんな事実と同時に自分にとっては「右足の存在を感じる」という真実を無視することはできなかった。目に見えなないものの存在をどうやって信じることができるか。それは別に幽霊の話ではない。普段関わるアートにおいても、目に見えない存在を意識しなくてはいけないことが多くある。作品のリサーチを通じて出会う過去の人々の声。まだ出会っていない鑑賞者。展示された作品が未来へ働きかける可能性。限りになく目に見えないものを想像しながら、その痕跡を具体的な作品やプロジェクトのディテールに落とし込んでいく。抽象と具象と行き交いながら、言葉では埋められない飛躍の中でアートはようやく社会化されていくことがある。
切断してもなお感じる右足の存在は、僕にとっては単なる治療の対象として忘れ去るには惜しいものであることは明白だった。キュレーションの語源は世話をする(curare)である。アートを「よりよく生きるための技術」として思考するのであれば、これはまさに自分自身の体を通してキュレーションの技術を磨くことである。

セルフビルド/セルフケア/セルフキュレーション
自分自身の体を通して磨くキュレーションの技術。これに繋がるのは建築家の佐藤研吾と交わしたセルフビルドの話だ。佐藤は「セルフビルドはある種の素材へのフェティッシュな愛着がある」と言ったことが心に残った。
佐藤は僕が抱いていた建築家像と異なり、現場で多くの時間を過ごし、素材に触れて手を動かし、図面を引き直す。その有機的な計画は、もはや計画すらないような、ただ一貫した振る舞いがあるだけのようでもあった。完成するディテールに寄り添うことで、きっと計画しただけではできないものが出来上がる。しかしそこには良いものが出来上がるという保証はないはずだ。ただの遠回りかもしれない。しかし、「かもしれない」を生み出し続ける可能性は開かれ続けるはずだ。
そんな素材への愛着という言葉から僕は自分の幻肢や義足との付き合いかたを想像した。そして同時に僕が想像する展覧会やアートプロジェクトのあり方も。僕にとってキュレーションとは「あらゆる物事の初期設定」を作ることだ。アーティストへ企画の趣旨や意図を伝える方法、協力者への声のかけ方、スタッフとのミーティングの方法・・・。あらゆる所作は既にプロジェクト化していく可能性を秘めており、プロジェクトの起点は思わぬところに見出せる。それはただの遠回りかもしれないし、10年後に訪れる変化に影響を与えるかもしれない。
「無いものの存在」との付き合い方で言えば、幻肢痛をケアすること、義足のリハビリに取り掛かることも、既存の治療やリハビリのスタートに立たない初期設定があるように思ったのだ。
痛みを10段階で言い当てさせる医療では、幻肢痛の圧倒的な当事者性には近づけない。だからと言って自分のリアルに固執しては、自分を助けてくれるはずの医者や理学療法士、義肢装具士らとの対話が成り立たなくなってしまう。そうではなく、お互いが新たな当事者として対話のスタートに立つような、そんな初期設定がしたかった。
科学的検証のもとに作られ、一般化したマニュアルのリハビリももちとん大切だけれども、切断当事者にとってはリハビリを始める日からがリハビリではない。スポーツ選手が体づくりのために日常の細やかな配慮をするように、リハビリ室に入るよりもっと前から僕のリハビリは始まっている。
これをすぐに一般化するのは難しいと思うけれど、キュレーションという技術を自分自身の体に向けることは、「治療」や「リハビリ」という言葉から飛躍しつつも、その定義の中では創造できなかった「ケア」をつくれるのかもしれない。自らを、幻肢を、義足を世話すること。ビルド/ケア/キュレーションを横断する「セルフ」を取り巻く技術が見出せるのではないだろうか。

義足が踏む土から出来上がる義足
今少しづつ本義足の制作に向けて動き出している。
トップにある写真は今住んでいるところで育てていた藍で、本義足のソケットにはこの藍で染めた布を貼り合わせる予定だ。さらに火葬した右足の骨と育てている大豆で顔料の生成も考えている。義足が踏む土地の土、そして切断した右足が循環して出来上がる義足。自分や環境、義足が溶け合って互いにケアするような流れの中で、そんな「セルフ」を取り巻く技術についてももう一歩考えることができるかもしれない。

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