Akino

東京にあるホステルCocts Akihabaraで支配人をしています。2019年、中東…

Akino

東京にあるホステルCocts Akihabaraで支配人をしています。2019年、中東とヨーロッパの難民キャンプをめぐりボランティア。在日クルド人難民1.5世の研究。ミュージカル、ゴスペル勉強中。南米でスペイン語勉強したい。

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あの時に感じたことを、ぜんぶ。(個人的な備忘録)

日本に戻ってきて、もうすぐ3ヶ月になるだろうか。 新型コロナウイルスの影響で、あまり人に会うことはないもの、SNSでよくメッセージをもらう。「元気?日本にいない間、どこに行ってたの?何してたの?」それに対して、最初は本当に苦労した。あまりにいろいろなことがありすぎたから。でも、そんなメッセージに機械的に返信することに、いつの間にか慣れてしまった。「中東とヨーロッパの難民キャンプで働いていたんだよ。」その返信を繰り返す度に、私がこの旅で得た、大切な何かが、少しずつ、薄れて消え

    • やっぱりホステルが好きだ。

      仕事を1ヶ月休職した。 ホステル(簡易宿所)の支配人をしている。あることがきっかけで心が疲れてしまい、お休みをいただくことになった。 休んでから2週間、充電するためにとにかく寝た。何もせずに、休んだ。ふと思った。 やっぱりホステルが好きだ。 私とホステルの人生を改めて振り返り、今私がしたいことは何か考えよう。 ホステルとの出会い 2017年、大学1年生の春休みに、ロンドンへ。 19歳だった。初めての1人バックパック旅行、母が一緒に宿を探してくれたのを覚えている。そこ

      • 「観光を通してパレスチナ問題を伝えたい」ツアーガイド・ホステル経営者 サラ・アブ・ラバンさんインタビュー

        パレスチナ南部の町、ベツレヘム。イスラエルによって建設された分離壁は、占領に抵抗するグラフィティアートで埋め尽くされている。 壁の前で話をしている男性は、ツアーガイド兼ホステル経営者のサラ・アブ・ラバンさん。パレスチナ難民3世として、世界中から訪れる観光客にパレスチナの現状を伝えている。 サラさんとの出会いは2019年の夏。筆者がパレスチナを訪れた際、サラさんの経営するホステルで出会った。それから3年が経った2022年、今回は、「観光を通して政治意識を高める」という仕事に対す

        • 生きるってこんなに大変だったっけ。

          2年前に一度公開したであろう文章の下書きが出てきた。 この時から私の人生は大きく変わった。 ホステルに戻り、支配人になり、少し休職したけれどまた戻る予定だ。 できないことばかり考えてしまう毎日だけれど、 自分が生きてここまでこれた、それを知って少し嬉しくなった。 2023年10月19日 1年間の休学を終えて帰ってきたのは、2020年の2月の終わり。後数ヶ月もすれば、2年経ったことになる。 正直私の人生はあまり進んでいないような気がする。忙しなく進み続ける周りからポツンと取

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        あの時に感じたことを、ぜんぶ。(個人的な備忘録)

        • やっぱりホステルが好きだ。

        • 「観光を通してパレスチナ問題を伝えたい」ツアーガイド・ホステル経営者 サラ・アブ・ラバンさんインタビュー

        • 生きるってこんなに大変だったっけ。

          見えるものと見えないもの

          歩きながら、ふと思った。 「今、一体何匹のアリや虫を殺しているのだろう。」 小学生の時に、オオイヌノフグリの詩を書いた。誰にも気づかれず、踏まれてもなお咲き続ける姿が好きだった。みんなは相変わらず踏んでいたけれど。 川を眺めるお爺さんにドビュッシーがあう。 あ、ダンゴムシが出てきた。 どれくらいの人が見ているんだろう。どれくらいの人が考えているんだろう。 どれだけ多くの人や、ものが、見過ごされているんだろう。無視されているんだろう。 私には、どれだけ見えているん

          見えるものと見えないもの

          政治的であるということ

          日本に帰ってきて、大学に復帰した。 今日のオンライン授業でのディスカッションで、早速自分の変化に気付いてしまった。 政治について話すのが怖い。 数ヶ月前までは、ヨーロッパであんなに政治について友達と熱く語っていたじゃないか。ウィンドラッシュ世代や環境問題に関するデモに参加していたじゃないか。 ああ、また昔の自分に戻ってしまった。 「政治について発言する人は過激」というイメージ。「政治なんてよくわからない」で終わってしまう話。 「俺は中立だから」と言ってくる友人。

          政治的であるということ

          相対的な幸せからの脱出

          負けず嫌いの私にはなかなか厄介な問題かもしれない。 人生で一度だけ、心の底から「幸せだ」と声に出して言ったことがある。今年(2020年)の2月、フランス北部の難民キャンプで働いていた時のことだ。その「幸せ」にたどり着くまでの私の人生が、今日の話。 私は、昔からとにかく負けず嫌いだった。幸せがゼロサムゲームであるかのようにいつも誰かと何かを競っていた。習い事は多い時には4つ掛け持ちし、土日どころか平日も忙しくしていた。ピアノのコンクールに歌のコンクール、合唱団でのソロの獲得

          相対的な幸せからの脱出

          現実と現実の間で

          ショックを受けた。 パレスチナやギリシャ、フランスの難民キャンプで働いた後、最後に辿り着いた場所、ロンドンで。 3年前にも来たはずなのに、その様子は全く違って見えた。19歳の時に訪れたあのロンドンは、もっとキラキラ輝いていたはずだ。初めての一人旅。ウェストエンドで大好きなレミゼを鑑賞し、ホステルで出会った人たちとはしゃいだ。 それなのに、今見えているのは、時間に追われているサラリーマン、買い物袋をこれでもかというくらい下げて歩いているお金持ちそうな人たち。どれも変わらな

          現実と現実の間で

          頭の中の声

          私の頭の中はいつも忙しい。 色々な人の声が聞こえる。誰のものかわかるときと、わからない時がある。ひどい時には、それに加えて音楽が流れる。時々、頭がおかしくなりそうになる。 物心ついた時には、それは始まっていた。シャワーを浴びている時にだけ、母親が私に怒鳴る声が聞こえるのだ。大体エコーがかかっていて、いくつかの場面が重なっている。だが、風呂場から出ると、それは自然におさまっていた。 それが次第に、頭を叩いても、何をしても出て行ってくれないようになる。いつもそれぞれがガヤガ

          頭の中の声

          本と私だけの世界

          本を読むのが好きだ。映画も好きだが、本には敵わない。 物心ついた頃には既に、家の廊下にずらっと並んだ本を片っ端から夢中になって読んでいた。薄暗い灯とひんやりとした木の心地よさ。目が悪くなるからと怒られようが、その廊下を離れなかった、いや離れられなかった。その後メガネをかけることになったことは、遺伝のせいにしておく。 本は私の良き理解者でもある。 集中すると何も聞こえない、落ち着きがなく授業中に机の下に潜ったり歌ったり。感情的でわがままと言われることもしばしばあった小学生

          本と私だけの世界

          歌は趣味になり得ない。

          自分の欲望に向き合おうとすればするほど、それを抑えようとする何かが私の中にある。日に日に大きくなる欲望のせいでコントロールできなくなりつつある感情は、どこにも向かう先がない。 歌いたい。 ただそれだけのことなのに、なぜこうも難しいのだろう。 いや本当はこれっぽっちも難しくなんかない。自分が難しくしているだけなのだ。何かと理由をつけて、何年もかけて忘れようとしてきた。 そして、そのツケが今になってまわってきた。 歌うことは、私にとって「趣味」ではない。そんな明るく軽い言

          歌は趣味になり得ない。

          衝動的な何か。

          正直なぜ筆をとったのかわからない。自他共に認める言語化嫌いな私が、こうしてNoteを書いている。書きたいから書いているというよりむしろ書かざるを得ない、何か衝動的なものに突き動かされている。 日本を出てもうすぐ2ヶ月になる。 とにかく時間が欲しかった。忙しいと、それ自体に満足してしまう。でも実際は何も考えていなくて、よくわからないまま時が過ぎていく。このまま学生生活を終えることが耐えられなかった。だから持っていたもの全てを日本に置いてきた。0から自分の欲望に向き合うために

          衝動的な何か。