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しあわせとは何か?

9月末からフランス語のプライベートレッスンを始めた。哲学の小論文を、高校3年生にバカロレア(大学入試資格を得る国家試験)で、数時間かけて書かせるようなお国柄、レッスンの現在のテーマも「le bonheur "しあわせ"」である。

先日の宿題は、様々な事柄を"しあわせであるために「なくてはならない」「役立つ」「不必要な」「邪魔な」こと"という4つのカテゴリーに仕分け、(自分は)なぜそう考えるのかを口頭で説明するというものだった。

「お金があること(なくてはならない場合は、最低限の給与金額を明記)」
「人生において明確な目標を持つこと」
「美男/美女であること」
「戦争から離れて暮らすこと」
「結婚すること」
「たくさん笑うこと」
「健康であること」
「知的であること」
「美味しいものを食べること」
「新しい経験をすること」
「愛し愛されること」
「子供を持つこと」
「若いこと」・・・

こんな調子で、40近くの事柄を分類する。考えているうちに、これは「しあわせ」とは何か?と何度も繰り返し聞かれているような、自分にとっての「しあわせの定義」を少しずつ明確にしていくような作業だ、と気がついた。進めながら考えたことを思い返すと、大体以下のようになる。

  • 逆の状況にある人が、必ずしも「しあわせでない」と言い切れるか?

  • しあわせであるために「なくてはならない」「邪魔な」ことは少ない方がハードルが低い=絞り込むには、自分の価値観を洗い出し、整理する必要

  • しあわせであるために「なくてはならない」ことが、他人との関係に関わる場合、不確定要素が強くなる

しあわせとは一般的に「情緒が安定しており、自分にとって大切なことが充足している状態」であり、一時的な「喜び"plaisir"」とは違う。この二つは混同されやすい、と、WikipediaでBonheurを検索した夫が言った。

なるほど。たまにパリで美味しいラーメンや餃子などを食べると「しあわせだな〜」と思うけれど、あれは喜びであって、しあわせではないのか。「美味しいものを食べること」を「なくてはならない」に入れていたが、迷いつつも「役立つ」に格下げした。

「美男/美女であること」や「結婚すること」はいかにも意見が分かれそうだ。良い容姿に恵まれることは、他人との関係において有利に働く、と一般的に考えられていると思うけれど、「しあわせ」の条件次第では、「なくてはならない」「役立つ」「不必要」どれにも該当しそうだ。

個人的には「不必要」に分類した。何故か。「蓼食う虫も好き好き」の言葉通り、美醜も結局はそれぞれの好みに左右される部分が大きく、パートナーシップにおいては相手の許容内に滑り込めれば良い訳で、持って生まれた容姿が響くかどうかはある意味運だろう。一緒に居て居心地が良いか、価値観を共有できるかなど、生活を共にする上で大事な部分は、美醜とは関係がない。まあ、そうは言っても、許容内から滑り落ちないようにする努力は、お互い必要だろうけど。

結婚も同じく、単なる行政上の区分もしくは形式的なものだと思えば「不必要」だろう。フランスのように事実婚も(子供が居ても)多い国では尚更。
これとは別に「愛し愛されること」という項目があるので、余計に結婚という「形」をどう考えるか、と問われている気がする。ただ「愛し愛されること」は家族愛など、もっと広い範囲も含むかもしれない。
という訳で不必要に分類したが、夫が「役立つ」に入れているのを見て、結婚したことで物理的・精神的に安定した部分は確かにあるし、対外的な説得力や利便性では結婚という形は「役立つ」と言えるかも、と考え直した。

パートナーがいる人は、一緒に分類してみると結構面白いと思う。普段の相手の言動から推測するものとは違う結果が出て来たりして、相手をより深く知る手助けになる。何をしあわせと考えるか、この自分なりの定義もまた時間と共に変わる可能性があるし、時々振り返ってみるのも良いかもしれない。
ちなみに、しあわせであるために「邪魔な」ことに分類したのは以下の三つ。
「信仰を持つこと」「完璧主義であること」「有名であること」

きっと人によっては全く違う意見だろう。答える人の価値観を暴いてしまう、興味深い問いかけである。

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