Akiko Hagino

フリーライター/well-being思想家/看護師•保健師/講師 「わたしたちはどう生…

Akiko Hagino

フリーライター/well-being思想家/看護師•保健師/講師 「わたしたちはどう生きたいのか」という問いを探究するため、独自のスタイルで取材・執筆をしながら、教育者、セラピストとしても活動中。十人十色の「自分」という存在の美しさ、「いのち」がある今の喜びを伝えている。

最近の記事

【インタビューサイトOPEN!】vol.1 遠藤エル|creative director 

WEBサイトへの想いいのちを燃やして生きる人との出会い 「きく」ことから「問い」かけへ 発信 プライベートインタビュー第1回 【遠藤エル】自分らしく生きるためのメソッド開発者が 自身の半生で語る“自分を愛する”とは? 第1回インタビューは その「いのちを燃やして生きている」一人。 クリエイティブディレクター【遠藤エル】さん。 ミュージシャンとしても活躍し、 音楽雑誌編集者としても経験を重ねた彼が、 現在クリエイティブディレクターとして 多くの人々をサポートしながら

    • Profile/パラレルワーカーとして生きる

      初めまして。はぎのあきこです。 この記事では、私のこれまでのことと現在の活動をまとめています。 どうぞよろしくお願いします。 プロフィールはぎのあきこ(Akiko Hagino) フリーライター / ウェルビーイング思想家 / 看護師・保健師 / 講師 これまでのストーリー▫️看護師 看護師として大学病院の消化器・乳腺一般外科勤務。その後、訪問看護や訪問診療をする在宅看護に転換。多くの人との出会いとお看取りを経験。「死」を身近に感じ、生きることの奥深さを知る。「自

      • コミュ力とかかわり方の美意識

        コミュニケーションの力とは?コミュニケーションの力というのは、いかに話せるか、意見を言えるか、提案できるかでは決してなく、《自分は今何を感じ、思っているか》を伝えて相手からのその発信に対して《そうなんだな》と相手の世界を否定しないで一旦受け取れる力だと思っています。 内外ともに一方通行ではないものです。 もちろん、相手の発信を《攻撃だ》と自分が捉えたなら、そこに向かわなくても受け取らなくてもいいのですが。 例えば、何か相手から質問があって「分からない」「とくに意見はな

        • 人間関係とリーダーシップ

          今年度から、ある看護専門学校の 《人間関係論》の授業を担当しています。 この授業、1コマ90分× 15回を 3ヶ月でやるんです。 わたしのやりたいことが ドンピシャだったので、 他の経験のある授業を断り、 《人間関係論》を「できます!」って 何の根拠もないのに言って、 やっているわけです。 ゼロ→イチなんで、 もう日々必死に授業を組み立てて 試行錯誤しています。 わたしは人間関係のスペシャリストではない。 たくさんの痛い経験を重ねてきた。 だからこそ、考えてきた。 一

        【インタビューサイトOPEN!】vol.1 遠藤エル|creative director 

          願いと勝手な絶望

          わたしの中に「人と分かち合いたい」 という願いがありました。 でも、巷で言われている 「期待や執着はいけない」という 言葉によって 自分で勝手に蔑ろにしていた ことに気づきました。 そんなことを相手に期待しても 無駄なことで、無理でしょ! とわたしの願いを ねじ伏せていたのです。 その根幹には、 過去に起こったいくつもの経験が でーんと、「これが根拠」と言わんばかりに、 はびこっているのです! 「だって、そうでしょ! これも、あれも、あのことも! 相手に期待してしまう

          願いと勝手な絶望

          わたしと炎

          炎が灯っている 小さいながらも 青くやわらかな光で全体をつつみ ゆらゆらと大きく揺れながら 楽しそうにそこにいる わたしはその炎を 側に感じている 側にいるとなんだか楽しくて わたしはしょっちゅう炎と 縁側でねっ転がって 川の水の音や風の肌触りを 感じながら ポカポカと日向ぼっこをしていた 畳の匂いと雨上がりの草木の匂いを スーハーって 嗅ぐのが大好きだった わたしたちはいつも一緒にいた でもね 炎のことを忘れてしまって 気がついたら 消えかけていたことがあったんだ

          わたしと炎

          不登校という言葉

          「不登校は心の病」 こんな記事をyahooニュースで見つけた。 なんでも、日本初の不登校専門クリニックの 医師だそう。 記事を読んで、珍しくひとつも賛同出来なかった。 不登校とは学校に行かない、行けない どちらにしろ、学校に登校していない状態の ことを総称して抽象化した言葉。 これって 子ども一人ひとりの背景をまったく 無視しているんだよなぁ。 わたしの中では当たり前だと思うのだけど 不登校イコール心の病ではないよ。 不登校に悩み、心の病とよばれる病気の 症状がでてくる

          不登校という言葉

          いのちへのまなざし

          みなさん、こんばんは。 Akikoです。 いつも長文を読んでくださり ありがとうございます。 今日もまた立ち寄っていってください。 いのちへのまなざし「いのちへのまなざし」が人によって 全く違うと思ったのはいつからだろうか。 ここで言う、「いのちへのまなざし」は、 それぞれの人の生きることに対する在り方 のようなものを指す。 同じ生きている状態でも、 「生きよう」「生きたい」とか 「生きている」とか そこに「感謝」があるとかないとか 「死にたくない」とか 「死ねない」

          いのちへのまなざし

          集団へのイメージの偏り

          上海にある東華大学に 語学を学ぶために通っていたときのこと。 クラスメイトに北朝鮮のおじさんが 2人いたんです(40代前半くらいかな。 当時20代だったもので、、おじさん呼ばわり)。 左胸に金正日バッジをつけているのを 初めて見たときには、面食らいました。 おじさんたちの身分は分からないし なぜ中国にいるかは聞いていません。 中国語を真面目に熱心に学んでいました。 クラスメイトとして 授業や様々な行事を共に過ごし 時にはみんなでご飯を食べて語りながら。 わたしの北朝

          集団へのイメージの偏り

          自分事と他人事の「間」

          「感じる」ってわたしは大切な感覚だと 思っています. でも,その感じ方にも繊細な距離感ってあると 思うのです. 例えば,「痛み」を感じるときに,その痛いという感覚にどっぷり浸かってしまうと抜け出せなくなりませんか? 好きな動画を見ていたら感じないのに, ふとその「痛み」の個所にピントを合わせると「痛い」を感じる. 脳がもうそれを感じにいってしまう. 足を切断された方で, 切断されたはずの足が痛むことがあります. それを幻肢痛と言います. 科学的には説明が難しくても その

          自分事と他人事の「間」

          子どもをいかに放っておけるか

          はじめに断っておけば ここで言う「放る」は 信頼をもって「放つ」ことだ 大人はみんな子どもだったことを 忘れてしまう ついつい 見えている限りの善いことを こどもに願望として押し付け 時には自分の足りない何かを こどもで埋めようとする わたしは 子どもに感謝しなさいと 押しつけたり 夢を描きなさいと 書かせたりすることに違和感を抱く 学校の先生たちが努力をされていることも 承知の上で (現に親が学校に期待しすぎる現状が 先生を追い込んでいる事実は否めない) 親に見ても

          子どもをいかに放っておけるか

          中国生活を思い出して〜異文化に身をおくということ

          2024年2月10日は旧暦のお正月でした. 旧正月といえば,中国を思いだします. わたしは2006年から2013年まで,中国に住んでいたのです. 今日は,やけに思い浮かぶので,中国生活を思い出しながら書きたいと思います. 中国への帯同は人生の転機2006年に結婚,そして同時に夫の転勤で中国蘇州で新婚生活を始めました. その後,引っ越し1回(上海),出産を2回経験し日本と中国を行ったり来たりしました. 自分を変えたければ,環境を変えろ! とよく言いますが・・・ まさに「

          中国生活を思い出して〜異文化に身をおくということ

          わたしと感覚と自己理解

          わたしは、人とのやりとりで、 「触れる」「聴く」ということに かなりのエネルギーを要します。 聴けないということではないのです。 むしろ、言葉やその言葉にのる エネルギーを感じ入ることで、 やりとりの中で多くの情報を 受け取るようです。 聴覚+触覚 特に触覚については、 かなり受け取る情報が多く ある時身に危険を感じて その場を去ったあとに 殺気だった男性が大声で怒鳴り散らして 間一髪でその場を離れたこともあります。 動物的な直感とも言えます。 相手が皆まで言わずと

          わたしと感覚と自己理解

          感覚に耳を澄ます

          長く生きることは幸せ?わたしは今、在宅医療の現場ではたらいています。 そこで、常々思いを巡らせることがあります。 戦後から高度経済成長を経て、日本を支えてきてくれた世代の方々が90歳、100歳と長生きする時代になりました。 日本は、国民皆保険制度によって誰でも、手軽に医療や福祉サービスが受けられる国です。医療技術も格段に進歩しました。 だから、寿命も延びて昔よりもずっと長く生きられるようになりました。 でも、長く生きても、「もう早く逝きたい」「楽しみなんてない」という声

          感覚に耳を澄ます

          問題解決型サイクルから「わたし」が望むパラレル創造へ

          はじめにわたしは、今まで無意識に目の前のことに反応しながら、それに対してどんなことをしたら良くなるか、それを繰り返してきました。 だから、問題解決ならお手のもの!かなりやり手だと思います。笑 マイナス(問題)→ゼロ→創造 です。 わたしの意識では、ゼロ→創造の感覚だったんですが。笑 でも、もうそれはやめなよ!と言わんばかりの現実がやってきてしまい、そこで、ようやく、「こんなことに力を注いでいたらわたしは保たない。周りも迷惑だわ。」と気づいたんですね。 問題解決型のサイク

          問題解決型サイクルから「わたし」が望むパラレル創造へ

          「自分を大切にする」という自分なりの解釈が、数年前から変化しつつある。 言葉は変わらないのだけれど、個から観える全体が広がり、「わたし」という概念が、周りの他者を含む環境との関係性の中にある存在として自覚するようになったことが、「自分を大切にする」ことの意味を変化させている。

          「自分を大切にする」という自分なりの解釈が、数年前から変化しつつある。 言葉は変わらないのだけれど、個から観える全体が広がり、「わたし」という概念が、周りの他者を含む環境との関係性の中にある存在として自覚するようになったことが、「自分を大切にする」ことの意味を変化させている。