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自分事と他人事の「間」

「感じる」ってわたしは大切な感覚だと
思っています.
でも,その感じ方にも繊細な距離感ってあると
思うのです.

例えば,「痛み」を感じるときに,その痛いという感覚にどっぷり浸かってしまうと抜け出せなくなりませんか?

好きな動画を見ていたら感じないのに,
ふとその「痛み」の個所にピントを合わせると「痛い」を感じる.
脳がもうそれを感じにいってしまう.

足を切断された方で,
切断されたはずの足が痛むことがあります.
それを幻肢痛と言います.
科学的には説明が難しくても
その人にとってその「痛み」は存在する.

美学者の伊藤亜紗さんが対談の中で
幻肢痛を持つ方について.
《「私は手が痛い」って言っている間は痛い.
でも,「私の幻肢がとっても腫れたがってる」
みたいな語りでそれを捉えるとき,
そこ痛みの感じ方がかわってくる.》
と話されていました.

この自分の身体への観方は
とても的を得ている表現だなあと思います.

自分事にしすぎずに,他人事にもせず,
その「間」.

わたしの例で言うと
氣功(ちょっと違いますがこではそう表現しておきます)のワークの最中に歯の痛みが激しくなり
鎮痛剤が効かず
痛みとの距離をとることに必死な時が
ありました.
ちょっと変わったワークで
雑念を振りきり今に集中するようなワーク
でしたので・・・

その時
「なんでこんな痛いのにやってるんだ?」とか
「いや,それならやめたらいいでしょ.
自分がやりたくてやってるんやん」とか,
雑念だらけで
どろどろした自分の感情も出てきて
自分と対話したんです.

そうしたら,先ほどの方と同じように
自分の「歯」を「口腔」を「痛がっている」
みたいな感覚になったんです.

それから,痛みに飲み込まれなくなって
今の自分に集中したら
何も考えられなくなり,痛みから抜けて
すべてが抜けた放心状態になったわけです.

もちろん,痛みを我慢する必要はなく
生きていくうえで痛みを我慢する必要はない
です.緩和したり鎮痛することは必要です.

でも,マニアックな方,
自分の探求がお好きな方は
感覚のサインが出ているときは,
自分を知るチャンスです.

是非その感覚の奥にある自分を探求して
みてください.
新しい世界の扉が開けるかもしれません.
知らんけど.

逆に言えば,感覚なんてどうとでも
「感じられる」し
「感じなくなる」という
不確かさをもっています.

わたしの歯の痛みもしばらくしたら
やっぱり激しく痛みだして,
歯医者さんに駆け込みましたので.

結局は,
自分が必要なときにどっぷり感じて
自分を守るために感じにくくしたりしています.

これは身体だけではなくて
パートナーシップや人間関係全般に言えること.
共感しすぎて自分事になりすぎると
相手に振り回されて
他人事にしてしまえば,
無関心のまま刺激をシャットダウン.
どちらにしても,揺れたまま戻れないと
しんどそうです.

だからこそ,その隙間のような「間」の存在
を知って,自分が心地よい場所をしっておく.
固定して動かないのは,
それはそれで変な力みが入り
エネルギーを使い果たしてしまう.

揺れて変化するのが人間なので,
どちらに揺れて動いてもそこに戻って
これるようにすると
生きやすくなるのではないかと思うのです.

そのために,自分の感覚を素直に受け取り
自分の動きを知ることは大切だと
日々感じています.

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