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願いと勝手な絶望

わたしの中に「人と分かち合いたい」
という願いがありました。

でも、巷で言われている
「期待や執着はいけない」という
言葉によって
自分で勝手に蔑ろにしていた
ことに気づきました。

そんなことを相手に期待しても
無駄なことで、無理でしょ!
とわたしの願いを
ねじ伏せていたのです。

その根幹には、
過去に起こったいくつもの経験が
でーんと、「これが根拠」と言わんばかりに、
はびこっているのです!

「だって、そうでしょ!
これも、あれも、あのことも!
相手に期待してしまうから
わたしは痛い目にあったんだよ!」
って言ってきます。

一番小さな頃の経験で言えば、
近所の女の子友達のお家に
わたしだけ入れてもらえなかった。
一緒に遊ぼうと何度言っても
入れてくれなかったとか。

小学校の低学年のときに、
男子と仲良くしすぎて、
クラスの女子全員から
無視されたとか。

今から思えば、大したことじゃないと
思えることも
その頃のわたしには大事なんですよね。

それからも、根拠となる経験が重なって、
大人になったわたしは、
「相手の気持ちなんて
動かせないのだから、
そんな願いはない方がいい!!」って
わたしが勝手に持った絶望を
巷でも言ってるからと
さらに信念を強くして
しまっていました。

だから、そのことを正しいと
自分で思わせるために
目の前で「人とは分かち合えない」
という現実を起こすのですよ。

やっかいだけど
必死なわたしを観ると
なんだか憎めないし
可愛くもなります。不思議です。

考えてみると
子どもの頃って、
「あの子と仲良くなりたいな」って思ったり、
「もっと知りたいな」、「もっと遊びたいな」
って思うのは自然なことですよね。

でも、もちろん人同士だから
うまくいかない時もあります。
でも、ただ、それだけのこと。
それだけのことなんです。

だから、絶望しているわたしに
気づいてあげて、触れて、
大丈夫だよって
声をかけてあげたらいい。

一緒に手をとり、すすめばいい。
あなたの恐怖は半分になった。

それに、よくよく振り返ってみたら、
人と分かち合った喜びの方が
大きいやん!絶望はほんの一握り。

願いが悪いわけじゃない。
期待しちゃだめ!執着はだめ!って言葉は
解釈を間違えては拗れるだけです。

心の底から湧き上がるものに、
素直になればいい。
そして、自分を信じて振る舞えばいい。
わたしがわたしであるために。

そう思った今日この頃でした。

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