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中国生活を思い出して〜異文化に身をおくということ

2024年2月10日は旧暦のお正月でした.

旧正月といえば,中国を思いだします.
わたしは2006年から2013年まで,中国に住んでいたのです.
今日は,やけに思い浮かぶので,中国生活を思い出しながら書きたいと思います.

中国への帯同は人生の転機

2006年に結婚,そして同時に夫の転勤で中国蘇州で新婚生活を始めました.

その後,引っ越し1回(上海),出産を2回経験し日本と中国を行ったり来たりしました.

自分を変えたければ,環境を変えろ!
とよく言いますが・・・
まさに「わたし」という人は,この2006年を転機に破壊と再生を繰り返してきたように思います.

異国での生活は,想像をこえた世界でした.
旅行や何週間か滞在するのと,住むのは全く異なります.
もちろん世界に触れるには旅行はとても手軽で素敵ですけれど.

異文化体験の連続

予期せぬ事態の繰り返しが日常にあると,最初は戸惑い,ストレスでしかなかったことも,それが当たり前になると対処ができるようになります.

それを受け入れるということではなく,「なんでやねん」と思いながらも,その感情に振り回されずに外から観れるようになるようなイメージです👀

ストレスが全くなくなることはないですよ.
それは,生きている限りストレスは必ず程度の差はあるけれど,あるものだから.

例えば,当時は,お金を払って乗ったバスが路上でエンストすると,全員降ろされてそこから目的地までは自分の力で行かねばなりません.
たとえ,何も無いところでも.

路上に降ろされた場所が,未知のど真ん中で両側をビュンビュンと車が行きかっていたとしても,轢かれないように回避することは自己責任です.

当時は車優先の社会でしたので,本当に気を抜くと轢かれてしまう世界でした.
血だらけの人が道のど真ん中で泣き叫んでいるのを,野次馬が取り囲んで道を塞いでいた景色を初めて見たときは衝撃でした、、、

でも,それが自分の日常になれば,自分も地元の人と同じように,雨の日も中国式のカッパを着て電動自転車で片道40分かけて,当時通っていた蘇州大学に平気で往復するようになります.どうしたら,前を走る自転車のおじさんが吐く痰をよけられるかを考えながら.

夏になれば,肌着をお腹の上という半端な高さまでまくり上げている半裸族に遭遇します.
突然の豪雨にあたれば,スーパーのビニール袋を頭に被っている人が何人も出てきます.

家は毎月のように,何かが壊れるので業者を呼んでは,その足の臭さに耐えねばなりません.
子どもは目を離したら誘拐されるリスクを常にもっていました.

毎日が異文化との遭遇でした.
安全な日本とは違い,危機感をもって生活することを知りました.
日本に住むありがたさを実感しました.

そんなある意味,人間の欲求に貪欲なイメージだった中国も,この十年で統制が入り,あの頃とは全く異なる世界になったようです.
それを聞くと何か寂しさのようなものも感じます.

今やれることをやるかは自分次第

はじめは中国語が全然思うように話せず悔しかったので,話せるようになったら観える世界が変わり,気づけなかったことも気づけるようになりました.
自分がたてるアンテナが広がったのでしょう.

価値観は全く違えども,日常の中でやりとりが増えていけば,あたらしく育める関係性はあるのだと感じることもできました.
異国で助けてくれる人がいることはとても心強い.

今ある生活で何かを変えたい場合,自分の望むことに向かってやれることをやろうとするか,しないかで,暮らしは大きく変わるはずです.

相手は変わりません.ただ,自分にある大事な価値観はもちながら,いかようにも観ていける力は生きる力であると私は思っています.

自分の日本人としての中心はありながら,目の前の人の文化や価値観も否定しないこと.肯定することと,否定しないことは違います.

違いを認めるってそんな綺麗なものではないです.
人間が生きるために必要なこと.

それが楽しんでできるようになると素敵ですよね.
当時のわたしにそんな余裕はありませんでしたが!今ならまた違うでしょう.

割と濃厚な日々で思い出したくないことも多々ありましたが,あの中国で過ごした日々があったからこそ,今の私があります.

感謝です🙏ありがとう✨

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