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移住先でジャズを伝える ~しがないドラマーが市民講座講師になってみた~

今年度から「ジャズの楽しみ方」なる市民講座を受け持っている。
月に1回、地元の文化センターの一室で、前期・後期とわけて開催している。
5月に始まった前期は定員いっぱいの15名の方が集まって先日5回の講座を終えた。

以前にも1回限りではあったが、同様の講座を開いたことがあるが、あまりにも時間が足りないことは明白で心残りがあり、また改めて場を設けたいと思っていたところ、市民講座の担当の方から声をかけていただいた。

今回は全5回という期間をいただけたので、ジャズの歴史からフォーム、様々なスタイルまでを聴き比べたりしながら、ジャズに親しんで聴いてもらうための「楽しみ方」について、話をさせてもらった。

後期も始まり、ジャズのことを知りたい、もっと詳しくなりたい、という方々に集まっていただき、一緒に鑑賞したり話せる時間としてオレ自身も楽しんでいる。

以下はこの講座を開くに至った経緯、自分と音楽との関わり、講座を開いた感想などを書いていく。

このnoteでは都会暮らしの筆者が岐阜県恵那市に移住して10年の農村暮らし経験に加えて、30年以上のドラマーとしての音楽経験(仕事レベルで)や登山経験(登山店勤務経験あり)、アフリカでのワークキャンプ、地域おこし協力隊、有機農業、現在は夫婦でEC運営、といろんな畑を歩んできた自分の経験からお伝えできるトピックを発信しています。元ふるさと活性化協力隊、元岐阜県移住定住サポーター(現在制度は解消)。


ミュージシャンとしての経歴

オレは恵那に移住する前まで、ドラマーとして音楽活動に心血を注いできた。
ドラムは中学校の吹奏楽部で始め、大学でジャズ研究会に所属した後、ヤマハ音楽院(音楽教室に非ず)で基礎的な音楽教育も受けた。
その後はポップスバンドを掛け持ったり、シンガーのサポートなどを経験してきた。インディーズで何枚かアルバムを出したりもした。

20代半ばを過ぎたあたりで、やっぱりジャズをやりたいと近所のジャムセッションに通いだし、そこからはジャズクラブでの演奏が中心になった。
イタリアのジャズサマープログラムに参加したり、短期でニューヨークで一流ドラマーのレッスンを受けたりもした。

ホテルラウンジや披露宴などの現場の仕事もやっていたが、生計を立てられるほどにはなく、30代半ばを迎える前にここが潮時と、恵那への移住へと至る。

大きな仕事をしたわけではないが、時おり著名な方との現場を体験させてもらったり、最前線で活躍する素晴らしいミュージシャンたちとも出会えた。
ずっと高いレベルを目指して研鑽してきたことは誇れるだろう。
移住後も地域の方々に求められイベントを開くなど、新たな音楽との関わり方を見つけ、続けている。音楽やドラムはもはや人生の友ともいうべき存在である。

そんな経歴を持ってはいるものの、全く無名の一ドラマーがジャズの楽しみ方の講座を開く、などというのは、ジャズの世界を切り開き支えてきたプレイヤーはもとより愛好家の先人、諸先輩方からしてみれば厚かましいにも程がある

しかし恵那はそんなオレを求めてくれる場所であった。
恵那は地理的になかなか気軽にジャズライブを楽しめる機会が少ないが、ジャズを聴きたい、知りたいという声も多い。
そして移住してからジャズを通して場づくりを続けてきたことで、皆さんに佐藤と言えばジャズと認識してもらえるようになったことが、今回の開講につながったものだと考えている。
力不足は承知ではあるが、自分が恵那に運んできた音楽経験のリソースを伝えることで、多くの人に興味を持ってもらえるなら、これほど嬉しいことはない。

という、オレが講座を開くことへの弁明でした。

講座の目的 ~探求と場づくりと~

こうした講座を開くにはほかにも心構えが必要だ。

「そもそも楽しみ方など個人の自由なのでは?」

「日本のどローカルでアメリカ文化であるジャズを伝えることに意味はあるのか?地域に伝わる伝統的な風習を残すことの方が大事なのでは?」

こんな問いかけにもサッと答えられる必要がある。

…そんな大仰なことではない。

前者は、まさにその通り。好きなように聴いてもらえばいい。ライブで熱量のある素晴らしい演奏を聞けば、前知識などなくても十分に魅力は伝わる。音楽に「正しい嗜み方」などはない。

ただ、何事も背景を知ったり、構造を知ったりすると理解が深まり、むしろ頭に浮かんでくる「なんでこうなってるの?」という疑問がクリアになって、より音楽に没頭できるだろう。

後者も、単純に、オレがジャズを好きで、恵那でジャズを一緒に語ったり楽しめる仲間を増やしたいからである。

都会なら、フラッとジャズバーやジャズクラブ、昔ならジャズ喫茶に立ち寄れば、ジャズ好きの人たちやミュージシャンと出会えて、何度も通えばいろんな交流を生むこともできる。

しかし恵那ではジャズ好きが集まる場所もなく、どこに同じ趣味を持つ人がいるのか、なかなか出会えない。一緒に聴いて、あれいいよねー、最近こんなの聴いたんだー、と話しを咲かせる、そんな機会があるだけでも日々の生活が豊かなものになるだろう。

その点で、例えば自分のおススメや、好みに合わせたコンシェルジュ的な紹介も自分ならできる。そんな風に自分のリソースを活かすのも悪くない。

そのようなことで、自分の講座ではできる限り、集った人たちがつながり合って、恵那にジャズが好きな人ってたくさんいるんだ、ということをお互いに知ってもらう機会にできればと思っている。
そういうつながりは、これから恵那がどんな街となって存続していくのか、という点からも大事に思っていたので、このような講座を持てることはとても大事にしていきたい。

いざ開講、果たしてその顛末は、、、

さて、前期5回を終えてみての感想だが、

5回の講座を次のように分けてみた。

  1. ジャズの構造(編成やフォームの話)

  2. ジャズのスタイル(ニューオリンズから北欧ジャズまで)

  3. ジャズの歴史(ジャズ前史から現代まで)

  4. ジャズのリズム(ドラムの役割)

  5. ライブワークショップ(スタイルの変化を体感する)

1回目では、一曲スタンダードを例にとって、ジャズの演奏がどのように進行しているのかや、様々なジャズミュージシャンの演奏を聴き比べてもみた。
2回目のジャズのスタイルでは、自分の好みのジャズに出会える「ジャズ診断チャート」を作ってやってみてもらった。
3回目のジャズの歴史では、アメリカの奴隷制度から公民権運動などにも触れ、ジャズの背景に触れてもらった。
4回目のリズムの話では、ドラムセットを持ち込み、ドラムの基本的な演奏方法やスイング感についての話をした。
最後のライブワークショップでは、ギタートリオでの演奏を交え、これまでの講座で触れたことを体感してもらった。

オレとしては人前で話すことに不慣れであるので、うまくジャズの魅力を伝えられたかは不安な部分もあるが、その分アホほど調べたり音源を準備して、テーマをより深く掘り下げることに注力してきた。

中でも聴き比べは好評だった。同じ曲でも時代によって、人によって、同じ人でも時代によって全く異なる演奏になる、というジャズの面白さを味わってもらえたようだ。

わりと演奏者としての立場の話に向かいがちで、ときに話が小難しくなって、参加者の?という顔をよく見た気がするが、こんなマニアックな話は他で聞いたことがなくて面白かった、と言ってもらえたり、難しかったけど毎回趣向を凝らして飽きさせないようにしてくれてるのはわかった、という感想をいただいたのが、何よりの救いだった。

「日本人のリズム感とアフリカ起源のジャズのリズム感は大きく異なるが、日本人がジャズを演奏する場合にそのことは乗り越えられない壁なのか」というディープな質問もいただいたりして、思わずたじろいだこともあった。

また受講された方の反応で自分にとっても新たな気づきになることが多かった。
聴き比べをしている中で、いわゆるモダンジャズでも最近の時代のアーティストによる演奏が好評なことが多かった。
逆に50年代や黎明期のものは名盤と言われるものでも、一種の粗さというか、洗練されていない若干の聴きづらさを覚えるものもあるようだ。
これは多分、リスナー同様、現代のアーティストたち自身が垣根なくあらゆる音楽を吸収し自分たちの時代の音楽として親しんでいることで、時代との親和性というか、耳障りがよく聞こえるのだろう。
ジャズの入り口として昔の名盤を勧める向きもあるが、その良さを感じるにはハードルが高いものもあるかもしれないというのは、この講座で気が付かされたことである。

講座を通して成就させたいこと

今後数年は継続して開講する予定であるので、受講していただいた方々からのフィードバックを受けて内容もブラッシュアップしていけるだろう。

一言では語りつくせないジャズの世界であるが、こうした機会を通じて、人が集まり、一緒に音楽を楽しみ、理解を深めていくことで、ジャズを応援してくれる人が増えてくれることをこの講座の大きなビジョンに掲げている。

受講していただいた方々が中心となって、鑑賞会やライブイベントを開くような動きが生まれたらいうことない。

何せジャズに限らずだけど、音楽文化はライブやアルバムを聴いてもらうことなしには、文化として続いていかない。
オレはたくさんのジャズの演奏に感動し、またプレイヤーとしても素晴らしい体験をしてきた。ぜひこの音楽を将来に残してこれからも多くの人にジャズの魅力を味わってもらいたいので、自分にできる形で役に立ちたい。恵那の方々がそれを自分に求めてくれることでそれが可能になったことは、音楽を離れて移住したことがもたらした何かの導きなのかもしれない。

恵那でジャズを伝える、ということに何か意味があるのかは定かでないが、誰かがエンタメを作ってくれるのを待つのでなく、ここには何もないと嘆くのでなく、どこでも楽しいことは自分たちで作れる、という気概が持続可能な地域を作るのにも案外大切ではないかと、これまでの経験からも思う次第である。

自分が楽しい、参加者が楽しいということが満たされることが第一だが、そんな目線も自分としては忘れないでいたい。


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