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『再スタート』としての、移住のあり方

移住者の二つのタイプ

田舎に移住する、という人は2つのタイプに分かれるかもしれない。

一つは、それまでのキャリアで得たリソースを移住先でも積極的に活かしていく人。

もう一つは、それまでのキャリアを捨て、全く別の暮らしを目指す人。

今回の話は、どちらかと言えば後者の、人生をやりなおすために移住したい、と考えている人に向けた話だ。移住して10年を迎えたオレが、移住前に積み上げた自分のリソースについての想いが、移住後どのように変化してきたのか、そんなことを書いてみるので、何かの参考になれば幸いだ。

このnoteでは都会暮らしの筆者が岐阜県恵那市に移住して9年の農村暮らし経験に加えて、30年以上のドラマーとしての音楽経験(仕事レベルで)や登山経験(登山店勤務経験あり)、アフリカでのワークキャンプ、地域おこし協力隊、有機農業、現在は夫婦でEC運営、といろんな畑を歩んできた自分の経験からお伝えできるトピックを発信しています。(内容は個人の見解に基づくものであり、岐阜県移住定住サポーターとしての公式見解ではありません。所要時間5分)

例えば前職がコンサルだったが移住して農業を志す人がいたとして、

前者だったら、コンサルだった経験を活かし、移住先の農事組合でシステム化や販路開拓を担うようになり、地域の農業再生の旗手的存在となった、的な。

後者なら、コンサルだった経験を捨てて、農的生活で金銭やビジネスと離れた脱資本主義の先駆者として暮らす、的な。

最近はわりと前者が多いかもしれない。ただの印象だが。

後者のタイプの中にはもしかしたら、過去とは全く別の道を歩み、人生をやり直したい、という決意を抱えていることもあるかもしれない。

そんな決断にいたった勇気はだれにも真似できるものでもない。なにか深く傷つつくことがあったのか、自分を取り巻く環境に疑問を抱いたのか、理由は様々でも、移住という行動に起こせたことで、確実に何かを変えることができる。

オレが10年前にふるさと活性化協力隊(地域おこし協力隊に準じる恵那市独自制度)として移住してきたときは、まだ移住、とかローカルとかそれほど盛り上がっている様子はなく、都会から移住してくる人は騒がしい街の生活に疲れたどこかしらセンシティブな人が多いように思えた。

今もある程度はそうなのかもしれないが、ここ最近の移住者の事例を見ていると、むしろローカルに可能性を見出して、やりたいことをやれるフロンティア、みたいに思って移住してくる人が増えた印象がある。

どちらが良い、という話ではない。

はっきり区分けされず、どちらも混じりあったような複雑な感情があるのが当然だろう。そしてそこには人それぞれ移住に至ったストーリーがある。

もはや音楽に戻ることはない、と覚悟した移住時

オレは、というと、ほとんど後者、つまり曲りなりともドラマーとして現場で仕事できるくらいのキャリアを積んできたが、行き詰まった挙句、なんとか自分にもできる仕事を探し当てたのが恵那だった、という経緯で移住してきた。

地域も地域なので、移住にあたってはもはや演奏の現場に携わることはないだろう、未練のないように音楽のことは忘れよう、と音楽から離れることは覚悟の上だった。

これは決して簡単なことではなかった。何せ移住を決めた時点で20年続けてきて、オレにはこれしかない、と会社勤めもせずひたすら続けてきたドラムや音楽から足を洗おうというのだから。

でもそれくらい、新しい自分、というものにかけてみたかった。というかここで何もできなかったら、オレは本当に何にも使えない、落伍者になり果ててしまう、くらいの危機感があった。

実際移住後半年ぐらいは、新しい「まちづくり」という仕事に夢中になって取り組んでいたので、音楽のことを思いだす暇もなかった。

移住先には「望まれる」喜びがあった

だが再び音楽と自分のかかわりを考え直すきっかけが訪れた。
その年の秋に開かれた町ぐるみのイベントで、「ジャズのライブが聴きたい」という要望を受けて、演奏することになったのだ。

移住するまで、演奏する場所といえば地下の薄暗いジャズクラブ、お客さんは数えるほど、ひたすら内省的に音と向き合い新しい世界を切り開いていく、いわば自分のためにやるものだった。

しかしこのイベントで感じたのは「望まれて」演奏することで得られるかつてない充足感だった。

もちろんそれまでもホテルのラウンジや結婚式といった、いわば「営業」的なものはあったが、それとはまったく違う。

この町でジャズのライブが聴けるなんて。また絶対やってね。そんな声をたくさんいただいた。こんなたくさんのお客さんたちが自分の演奏でこんなに笑顔になってくれるなんて、かつてない経験であった。

自分がこの町に潤いのある時間を提供できたという実感によって、自分の培ってきたものが決して小さくはないことにやっと気が付けたし、人に求められてはじめて、なぜ音楽には言葉で表せない「力」があるのか、何十年も楽器を続けてきたのに恥ずかしながらやっと体感としてわかった。

以来、オレは町のイベントごとなどに多く招いてもらったり、ジャズクラブのないこの町でカフェなどを借りてライブを開かせてもらった。たくさんの人が待ち望んでくれたから。

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(恵那楽器(生産量日本一のバイオリン工場)でのイベントライブ)

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(恵那市笠置町「庭文庫」でのイベントライブ)

でももうライブでどれだけ実入りがあるかなんて気にしなくて済んだ。ここで音楽を職にすることが到底難しい話なのはだれでもわかる。

さりとて趣味、というレベルでもなく、「ライフワーク」と位置付けることで、暮らしの中で良いバランスで音楽と付き合えるようになったのだ。

「やりたいこと」「できること」「求められること」

ときに、移住者の中にはうらやむような職歴だったり、アカデミックな研究をしてきたような経歴を明らかにせず、知り合ってしばらくしてから「そんな前職だったの!?」と驚くようなことが間々ある。

周りが、もったいない、とかいうのは当人からすれば余計なお世話以外何者でもなかろう。おそらく自分でもそんな過去は切り離して新しい暮らしを切望するにいたった理由があるはずだ。

しかしそういう人たちを見ていても、結局のところ、彼らが積み重ねてきたリソースが自分にとっても周りにとっても「役に立つ」がゆえに捨てたはずのリソースを自ずと活用していくようになる、という印象がある。

もちろん仕事に意味が見いだせず苦しい日々を送った結果移住を選んだがゆえに頑なに過去と決別し続ける人もいるだろう。でも「意味がない」と忌み嫌ってきた中にも、実は田舎だからこそ自分にも周りの人にも役立つようなこと、地域に貢献できるようなリソースを自然と積み重ねているかもしれない。

オレは移住して以来、まちづくりから農業、ECなど初めてのことばかり経験してきたが、結局30年以上続けてきた音楽以上にこれからリソースを積めることはないだろう。

オレにとってドラムや音楽は「好きなこと」であるのは違いないが、同時に「できること」でもある。と言っていいぐらいに研鑽してきた自負はある。

よく自己実現的な文脈の中で「自分のやりたいこと」「できること」「求められること」のバランスが大事だ、と言われている。

この中で何を重視するかは自分次第だが、客観的に見てみれば地域とのかかわり方も変わって、より自分が移住してきた必然性も見つけられたりするかもしれない。

なにより「求められていること」を達成できたときに返ってくる喜びの声はこの田舎ではダイレクトに響いてきて、自分が役に立っているという実感は何にも代えがたい。

そしてそれら3つの「やりたいこと」「できること」「求められること」が一致するものであればなお、自分が紆余曲折してきたことは決して無駄ではなかったなと、心から報われるのである。

そうはいっても、田舎暮らしを始めて環境が変われば「できること」が以前と同じように「できる」とは限らない。
今は音楽だけに構っているわけにもいかず、自営業やら家事・子育てやらと毎日に追われ、ライブも毎日のように演奏していた移住前に比べたら今は月1がせいぜい、一緒に練習できるメンバーも近くには住んでいないので、自然演奏に必要な「勘所」をつかめなくなっているのは否めない。
夏場は草刈りやら畑の管理もあるので、身体への負担が大きく、演奏できるコンディションにならないことがある。

まあそれはもうここに暮らすと決めたからには受け入れるほかにはなく、それでもできるかぎりのことをして、求められた場で演奏してみんなの喜んだ顔に接すれば、またやりたい、もっと良い演奏を届けたい、とここにきてますます音楽の探究心が深まっているのを自分の中に感じる。

図書館ジャズライブと講座の開催

この3月下旬にも、恵那市の図書館で『図書館ジャズライブ』なるイベントを開催した。この図書館では4年前に初めて企画され、閉館後の図書館ロビーを会場に、ジャズライブを楽しむ、というものだが、その栄えある第一回目の出演をさせてもらって以来、2回目の出演となった。

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もう何度目かのまん防に街中にも閉塞感が漂っていたが、ようやく解除を迎えて、とにかく人が集まる場に出て楽しい時間を過ごしたい、という切望した気持ちを来場いただいたたくさんの方々から感じた。

加えて、不安定な世界情勢を肌身で感じる出来事の最中でもある。少しでもハッピーな気持ちになれるような曲を揃え、平和を願う少しばかりのメッセージを演奏の中に忍ばせた。

予断を許さない感染症、情勢不安、そんな中でもこうして集まって音楽を楽しめることの幸せは何にも代えがたい。

また、演奏者としてそんな場を提供できるだけのものをこの恵那に運び込めたことは、決して自分で過少に評価するものでもないだろう。

実は、このライブの2日前に連動企画として、同じ図書館で「ジャズを楽しむために知っておきたいこと」なる講座を開かせてもらって登壇もさせてもらった。

これは、やや小難しいと感じるジャズを演奏者の目線から楽しいと感じていることなどをお伝えしたいという思いで企画をしたものだ。

当日はややマニアックすぎる、というか演奏者目線過ぎてなかなか難しい内容になった嫌いはあるが、講座もライブも聞いてくれた人から、全然聞き方が変わって面白かった、と言ってくれたのが何よりだった。

こんなことをしたくなったのも、せっかく自分が長年かけて育んできた音楽的なリソースを、山村の奥で自分の楽しみだけに費やしているのはなんだかもったいない気もしていたからだ。

言い換えれば、にわか仕立ての「丁寧な暮らし実践者」気取りで自然体験とかやるのも大事だけど、もっと自分のキャリアを直接活かしたことでこの町に貢献できることがあるんじゃないの、という思いを形にしたかった。

オレがため込んだドラムや音楽のリソースなど墓場に持ち込んだって誰の特にもなりやしない。
オレだって音楽やドラムのことを指南してきてくれた諸先輩たちが伝えてきてくれたからこそ、今自分が「音楽が側にあってよかったな」と思える人生を送っている。

なのに川の流れをせき止めて良しとすることに何か後ろめたいものも感じるようになった。

そうした気持ちの変化は都会と違ってリアルが限られている地域に暮らしてきたからこそ芽生えてきたものかもしれない。

少しばかり探究的な音楽の楽しみ方に恵那の人たちを案内してみることで、音楽を通して世界とつながり、より大きな世界を感じられる心豊かな文化がこの恵那に根付いていくのなら。

誰かに伝える。遺していく。

この場所で、他の誰にもできないのなら。

アクティブに動ける、という意味では人生のタイムリミットを意識するようになった中で、これからのオレの大きなトピックになっていくだろう。


人生を切り替えたい、と鬱々している人はぜひ我が家へ。何か切り口が見つかるかもしれません。

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