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楽しいことは自分で作る。田舎街から学び、自宅でジャズライブを開くまで。

楽しいことは自分で作ってしまえ。これはオレが地方移住したところの人々から学び取って、今の暮らしにおおいに役立っていることの一つだ。

横須賀市から恵那市に移住して9年を迎え、現在自宅で妻とEC経営と、農業や山村暮らしを営んでいる中で、今回は音楽とのかかわりをご紹介したい。(約3200文字)

「土間ジャズ」開催

先日、我が家でジャズライブを開催した。
先に説明しておくと、オレは移住前までちょっとした仕事になるぐらいのドラマーだった。移住した今ではもはや趣味程度にはなったが、月1回ほど近隣のジャズクラブでライブを続けている。

家でライブを開くのはもう何度かやっている。それだけ広い敷地があるので、アコースティックな音楽であれば近隣にご迷惑になることもほとんどない。

ステージは土間
色々と我が家の生活を匂わすものが散見され、なかなかにシュールな絵面になるが、照明などを工夫すればそれなりな雰囲気になる。
誰が言い出したか、最近は「土間ジャズ」と銘打ってる。

お客さんには客間に上がって見てもらう。今回は20人弱ぐらいが集ってくれたが、充分なキャパがある。
まだ寒いのでコタツが出てたりして、お客さんも足を入れて見ている。

1時間ほどのステージは大いに盛り上がった。この1年、ライブを見る機会が減って生の音楽を渇望してたから本当に楽しかった!とみんな言ってくれた。

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メンバーは、はやみまきさん(vo)、近藤有輝さん(p)、飛騨勇也さん(b)、佐藤(ds)

今回演奏してくれたメンバーも、思ったより部屋鳴りがよかった、とかお客さんがあったかくて楽しく演奏できた、とか言ってくれた。

自分の楽しみのためにやっていたはずが、人様のお役に立ててたみたいで満足感がすごかった。

コロナで失った、音楽の場

そもそも今回のライブを開くに至ったのには、コロナの影響があった。
昨年、とある演奏の依頼があって、そこそこ大きな会合でのステージだった。メンバーを集めて準備をしてきたところ、ちょうど緊急事態宣言などが出始めたことによって、あえなく中止となった。それはしょうがない。メンバーもみんな理解してくれた。

そしてまた何か月か前に同じ依頼を受けた。前回キャンセルになったので今度こそ、という先方の意気を受けて、オレもまた前回と同じメンバーに声をかけ、今度こそ、と思っていた矢先、第3波のあおりを喰らって早々中止が決まった。

これもしょうがない。主催の人たちの不安を考えれば責める気持ちもない。

ただ。

2度にわたるキャンセルを受けて、何かやるせない気持ちが消えなかった。今回仕事を受けてくれたのは、音楽で生計を立てているメンバーたち。スケジュールを抑えてもらってギャラの約束もしていたから、なんとかその埋め合わせをしたい、という気持ちもあったが、何より素晴らしいメンバーたちと一緒に演奏したい、その機会が失われたままでは浮かばれなかった。

当然コロナ禍ではまた何が起こるかわからない、という前提ではあったが、キャンセルを受けた時期にはピークは越え、他所のライブハウスなども開いてはいたので、何かしらライブを企画することにした。

顔なじみのジャズクラブでやることもできたが、約束してた分のギャラになるぐらいの客の入りをある程度見込むとなると、集客が厳しい。
となると、やはりここがベストだろう。

うちだ。

ライブ当日の少し前から再び第四波の足音が大きく聞こえ始めていてたが、まん延予防措置などの発令もない状態であったので、無事開催にこぎつけた。

生の音楽を聴きたい、音楽を演奏したい、そんな渇望にも似たみんなの気持ちが、メンバーとお客さんがともに一体感を創り上げる素晴らしい時間となった。

まちづくりの現場から学んだこと

もしもこの地域が周囲からシャットアウトされても、水や米や薪、なんなら電気だって作れるここならば、ただ生きる、という意味では心配はない。

でも心豊かな文化、心を潤す営みがなければどうだろう。

人と人との心を結びつけるのには「楽しいこと」が必要だ。

場がないなら、自分で作ればいい。

今回音楽の場をあきらめずに造り出しその一助になれたことは、我ながら誇らしくも思う。

この「楽しいことは自分でつくる」という精神は、恵那市で最初に住んだ、岩村町の人たちから学び取ったことだ。

オレは2012年から3年間ふるさと活性化協力隊(地域おこし協力隊の恵那市独自制度)として、岩村町のまちづくり団体に関わった。

ここに集う人たちがまさに、既成のものに頼らず、自分たちで作った方が面白いじゃないか、という精神で数々のイベントなどを立ち上げた。

縁日や感謝祭、ひな祭りなど、己の持つリソースを結集して(土地柄職人さんが多い)、本格的なステージを組んだり、花火を打ち上げる。報酬などもちろんない。

それにつられて街のあちこちで大小のイベントなどが発生する。
だからかどうか知らないが、とにかく人のつながりは濃い。世代の横断的縦断的どちらも切れ目がない。町の人同士が顔を合わせ一緒に作る、という経験が多いことが関係ないとは言い切れない。

これは都会とか田舎とかに関係なく、どこでもやりたい人はやっている話だが、とかく既成のものに囲まれ事足りていた移住前の暮らしではなかなか考えつかなかったことだった。

移住するにあたって覚悟はしてたが、恵那にはジャズクラブはない。自分の生活圏内に場がない、というのは想像以上に堪えた。音楽が側にない暮らしが、どこか心をカラカラにしていた。

だから移住してだいぶ慣れて、町の人にも顔を覚えてもらったころ、オレもこんなコンセプトでイベントを立ち上げた。

岩村の歴史ある街並みでライブをやろう。

そうして街の人たちに掛け合い、酒蔵を使わせてもらったり、旧家の庭園でやったり、古民家カフェやレストランなど、いろんなところでやらせてもらった。

すると本当にたくさんの街の人たちが駆け付けてくれた。音楽の場を待ち望んでくれてた。東京近郊のジャズクラブで半分以上自己満足のためにやっていたときには味わえなかった「求められている」感覚を知った(気が付いてなかっただけかもしれない)。

そしてもう一つには、普段のジャズクラブなどにない場所で演奏する面白さ。酒蔵の樽に囲まれて酒造りの厳かな雰囲気や、築200年近い歴史的な建物に刻まれた時の皺のようなものに無意識に反応しているのか、空間が自分たちに作用し、特別な何かが降りてくる。そんな感覚を味わったこともある。これがまた病みつきになる。

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これは「女城主」の銘柄で有名な岩村醸造さんの酒蔵

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岩村城下町の歴史ある街並みの旧家「勝川家」

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恵那のバイオリン工場でできたてのバイオリン使ってライブ、なんてこともした

もちろん一人でできるわけもなく、いろんな人の協力を得て形になったものである。おかげをもってとしか言いようがないが、協力隊を通していろんな人とつながれた、というのはとても大きかった。

そして同じ恵那市の笠置町に移ってからは、築150年前後の古民家である自宅に目を付けないわけがなかった。

日ごろ見慣れたなんでもない風景が、照明が入り、楽器がおかれ、お客さんが集まることで、非日常の空間へ早変わり。

音楽はライブハウスやホールじゃなければできないわけではない。こんな当たり前のようなことに気が付いて、できるだけ地域密着で活動しようと、今に至っている。

もし、何か楽しいことはないか、でもここには何もないからと嘆いている人があれば、一度自分で作ってみる、という経験をしてもいいかもしれない。
用意されてないから楽しめない」という思い込みを取っ払ってくれるかもしれない。
上手くいってもいかなくても、次またどうしたら楽しくなれるか、次どんな面白い場所でできるか、イベントが終わった次の瞬間に考えている自分がいる。めちゃめちゃ疲れるけどね。

もし自信がない、イメージがわかない、という人がいれば、また次の「土間ジャズ」に遊びに来て体感してもらえればいい。


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