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【エッセイ】綱渡りの夏

鉛のような夢だった。
ひどい目覚め。久しぶりに生きた心地のしない朝だった。
昔から悪夢には悩まされていた。
叫んだり寝言で目覚めることも多かった。
しかも寝言を起きてもまだぶつぶつ続けてしまうこともよくあった。今も時々ある。
目覚めながらも寝言を言ってると頭の片隅ではわかっていながら寝言が止まらないのだ。そして天井を眺めながら気が済むまで寝言を吐いたら起き上がるのだ。
思考と行動が伴っていないそんな現象に悩まされていた。くどいが今も時々あることである。

お察しの通り朝からどっと疲れる。
もともと疲れているからそうなるんだ。
あのなんともいえないドロドロと松ヤニがこびりついたようにしばらく引きずる胸の重々しさ。心の中でわだかまってモヤモヤと渦を巻く夢の出がらし。残飯。後遺症。
わかってる。しばらくすれば引き潮のようにひいていくことも。その時まで耐えるのだ。耐えろ。これは夢だ。悪い夢だ。現実じゃないんだぞ…と。

このコントロールが今も巧みにこなせているわけではないがもっと未熟だった時は極端だがタヒんでしまいたい(タヒななきゃいけないんじゃないか)というような何かに迫られて追いつめられている感覚に陥ることがあった。
そういう時は頬をぶってくれてもいい。とにかく誰かに「しっかりしろ!悪夢のせいだ!大丈夫!」などと声を浴びせられ他者に強く包みこまれたいとさえ願ったこともある。
今はそれなりにこの経験を重ねてきたから幾分かは対処法も身についているはずだしセルフコントロールのすべを持ち合わせている(はず)だ。

とはいえ、この鉛のような鬱々とした重たい感覚は慣れないし嫌なものだ。

冬は太陽が足りず心も塞ぎ込みがちになるが私はそっちのタイプのコントロールの方が得意な気がする。性質が違うのだ。その点でいうと冬の重たさは引きずらない。粘着質ではない。むしろその閉塞感の中で楽しむ余裕すらある気がする。

が、夏はこわい。
暑さは心を削ぐ。
神経をすり減らす。
冗談抜きで命の危険を感じる。
華奢になりプツンときれてしまうんじゃないかと。
木の棒ではなく糸のイメージだ。
編み込んである糸なら縄になり頑丈だが、どうも私は暑さに疲弊して裁縫の刺繍糸の細さになる。
夏バテとはまた微妙に違うが、夏バテも多少含まれてはいるのだろう。

8月は戦争を一年で一番考える月だと思う。
まず6日の広島の日。次に9日の長崎の日。そして15日の終戦の日。
今年は観測史を上塗りする命に関わる暑さの年なだけあってとにかく暑い。暑さの感覚が気温に変換されない。危険な命に関わる災害として対峙させられている感覚なのだ。
真っ向勝負しても熱中症でやられてしまう。
なのでいかにうまくしのぐか。回避するか。生き延びるか。もうサバイバルレベルだ。

もう悠長なこと言ってられないだろうと発狂してしまいそうになる。世界のみんなでこの地球を正常に戻さなきゃいけないだろうと。それなのに今でも世界のあちこちで武器を抱えて戦争している。なんで?なんでそんなことしてられるの?バカなの?どんどん口が悪くなる。それでもいいのかもしれない。他に伝わる適切なものがない気がする。綺麗事抜きでいい加減にしろよと罵りたくなる。

暑さが神経質にさせる。暑いと苛々するのは私だけではないはずだ。蓄積された疲労は特に過酷な肉体労働しているわけではなくても体力気力を奪う。こまめに水分補給してなるべく涼しい所にいても自律神経はずたぼろになる。
ただでさえ自律神経が頼りない私はいちころである。弱らせるなど容易いことだ。

歩いていてもフラフラ、フワフワ、軽い目眩を引きずる。あぁ、またか。そして漢方を飲む。それでも万全とまではいかない今年の夏。

そんな状態で広島の原爆特集と向き合った。
あ、これ以上取り入れてしまうとキャパを超えるとわかってしまった。
少しシャットアウトをする。自己防衛として本能的に遮断する。
戦争の体験談を肩で息をしながらため息を吐きながら呼吸が浅くなりながらしんどくなりながら聞いてしまう。
のまれてしまう。
頭の中でその光景、情景を映像化して顔がひきつり歪む。あまりにも辛い。酷すぎる79年前の事実に今の神経では、この情緒、メンタルでは耐えられない。
それゆえに悪夢の質が輪をかけて強大だったのだろう。膨大な情報の処理に追いついていない私の器。

テレビでは知り得ない一市民のある一般人の生々しい体験談がSNSには流れている。
長崎で被爆した95歳の方が発信してくださっていた。
そのフィルターなしの生々しさに固まってしまった。
装飾なしの日常がこの上なくリアルなのだ。
思い出すのも辛いはずの過去を発信してくださって心から感謝を申し上げたい。本当に貴重な発信だと。
もう何年か近い未来、語ってくれる方もいなくなってしまうのだ。もう79年。来年で80年経つのだ。いよいよそんな時代になってきたのだ。なったのだ。

戦争のおそろしさ、悲惨さ、愚かさを知るにはトラウマになるくらい酷い思いを心にぶつけて残さなくてはいけないとも考えている。その点でいうと昔から今では親が過激すぎるからと規制を求めて目に触れさせないように声をあげる歴史的にも重要な作品にも触れてきた。はじめて触れた時は夜も眠れないほどこわかった。恐怖を口に出して吐き出さないと耐えられなかった。でも私は受けるべきであるトラウマなみの記憶を持たせてもらった。それくらいじゃないと次に伝わらないしあやまちは繰り返されるのではないかと思う。
受けるか受けないかは選択すればいい。が、その選択の機会を奪うことはしてはいけないと思う。なんでもかんでも蓋をして排除して道を整備してやることが絶対的なおもいやりではないと思う。

今日から甲子園で高校野球が始まった。
開会式をみながら、昨日は広島のことで頭がいっぱいだったことを振り返る。
今こうして若人たちが過酷な暑さの中でも綺麗に洗われたユニフォームを着ながら行進している。
平和の言葉がよぎる。
落ちに落ちまくっていた情緒が吹奏楽や歓声に振動をもらい上昇していく。徐々にだが痩せ細った神経の糸にまた糸が絡み修復しようとしている。これが治癒力なのか。
自分で自分を助けようとしている。
その力添えを見つけていかなければいけない。

この華奢なメンタルでもそれなりにたくましいことも私は今までの経験から知っている。
私は私を抱きしめる。
あれは悪い夢だよ。大丈夫だよと。
やはり夏は背中合わせの生と死の季節だ。



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