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【山羊日記#20】まだまだこれからでしょ

noteを利用していて良かった。
超アナログだけどTwitterとnoteはなんとか使えてる。
もっと使いこなせたらいいのだけど、大丈夫、今のままでも最低限は使えている。
文字を打って、たまに画像をつけて。
それでじゅうぶん。

noteをしていてわかったのは世の中には私と似たような【文を書きたい&読んでもらいたい】人が大勢いるということだ。
それはとても素直なことだ。
正直のあらわれだ。
日記に書いて引き出しにしまっておくのもいい。
それとは別に誰かにみてもらいたい気持ちって恥ずかしいことじゃないんだな、と。
そう思っていたのは、
一人じゃないって嬉しいことだ。(天地真理さんの歌にあったけど、まさに)

あなたへのおすすめ記事としてnoteさんが全国から色んな人の文をチョイスしてきてくださって私に紹介してくれる。
見出しで気になれば覗いてみるし、興味がわいて書き手の方をもっと知りたいなと思えば過去に遡って読んでみる。
そして一方的にフォローさせてもらう。
(なぜだか個人的にTwitterよりnoteの方がフォローするボタンを押しやすい)
そんな無限図書館が広がっているnote。
天気も関係ない。年中無休で画面の中にある世界。note。

noteを利用してる人は文字を読むのが好きな人が多いこともやってみて改めて感じた。
私なんか足元にも及ばない本好きの方たち。
(本は好きだが冊数は少なく、そんなに読んでこなかった)
noteの世界には文を読むことを苦に思わない方たちが大勢おられる。
だからこちらも気兼ねなく長文が書ける。
Twitterも文字(言葉)でのやり取りのツールではあるがnoteとはまた少し違う。
どちらも共通するのは、読む側、書く側で成り立っているということ。
純粋にそんな世界。
無料で色んなものが読める。
それを書いた人と繋がれる。
本当にnoteをはじめて良かったと思う。

役者さんが詩を書いて朗読されていたり
(それにあわせて演技していたり)
絵描きさんがエッセイを書いていたり
(その逆も然り)
会社員や花屋さんや大学生やドライバーさんや学校の先生やママさんパパさんが小説を書いていたり
お笑い芸人さんの文が読めたり
もちろんプロの方(筆業一本で食べてる方)が基本無料で公開していたり、時々有料だったり。
可能性とか夢とか趣味とか実益だとか
とにかく言葉の希望で溢れている。

私も幼い頃から絵を描くのが好きだった。
授業は図工が一番好きだった。(得意かは別で)
休み時間も漫画を描いたり
クラスメートがあれ描いて、これ描いてとリクエストしてくれるのが嬉しくてたまらなかった。
授業そっちのけで漫画を描いてた(こらこら)
その絵、頂戴と言われて
え?プリントの裏だよ?って
それでもいいから欲しいって。

ほんとう、嬉しかった。

でも私は自分の書く(描く)字も絵も上手だとは思ってなくて自信がなかった。
線が太いしバランス悪いし…
自分より何十倍も上手な同級生がいたし、こんなんでいいのかな?って、ずっと心に抱えて絵を描いてた。もっと上手くなりたいと。

でも絵を描いてたのは高校卒業までだった。
卒業してからはめっきり描かなくなった。

その代わりに文を書くことが多くなった。
そして今は詩を書いている。
大人になって詩を書いてるなんて想像もしてなかった。
飯の種にすることはとてつもなく難しいけど。
書かない人生は考えられない。

このままでも…
後悔はしない。

でも、このままでなんかじゃ終わらせない。
この気持ち、大事。
消えそうな火を絶やすことなくここまできたんだから。

今日、私の詩にスキを押してくれた役者さんがおられたのでその方のホームを覗いてみた。その役者さんは自分で詩を書いて朗読もしてらした。拝見して多才だなーと、思うのと同時に幅の広さを感じた。

昔々、私は絵を描いていた。
漫画を描いていた。
少年ジャンプで連載されてた大好きな漫画家さんの漫☆(F)画太郎先生に小学生の頃、原稿を送ったこともあった。(当然片道切符だったけど)
その同時期、こたつに入って漫画を描きながらじいちゃんに漫画家になると話したら「漫画家で食っていけるのは一握りやぞ」と言われたことをこれを書きながら思い出した。あの時のじいちゃん、小学生の私に現実的で的確な助言、グッジョブ!であったと思う。
こどもの最強パワーで「その一握りになるからいいもん」てな調子だったことも、痛いけど微笑ましい。

腕はあの時以上に落ちているし試しに今何か描いてみても過去に漫画家を目指してじいちゃんに大口叩いてたとは思えない絵しか描けないのだが、描くこと自体が好きだからそれはそれでいいのだと思う。

一寸先は光なので
もしかすると自分の描いた挿し絵と詩で本を出版しませんか?なんて日もくるかもしれない。

大好きな梶芽衣子様に詩を認めてもらえる日がくるかもしれない。
中森明菜様に作詞提供、なんて夢のまた夢も叶うかもしれない。

それは誰にもわからない。

だから、これから楽しみでいっぱいだ。
こうやって書いてることも楽しい。
総じて楽しいばかりじゃないけれど
むしろ楽しいことは少ないけれど
「ほんとう、あなたって人間はしあわせな奴だねー」なんて、ディスりまじりの褒め言葉を浴びる日々を送っていきたい。

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