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なぜ日本人は外国語を喋るのが苦手なのか─日本史から見た日本人像─

 日本という国は国として他に類を見ないほど長く続いている。

 1600年以上もの間、一度も途切れずに続いた国は日本以外にないと言って良い。

 とはいえ日本に住む人々は排他的で保守的なのに、外来から来る文化の吸収はとにかく上手い。

 そんな上手さを紹介していこうと思う。

 そうすればなぜ日本人が外国語を喋るのが苦手か歴史の面から見たら少しは分かると思う。

漢字

 日本人が外来(中国)から輸入した言葉と言えば、まず思い浮かび易いのがこれだ。

 そう“漢字”だ。

 日本人でもなかなか覚えることが難しい漢字。

 そんな漢字だが昔の日本人(エリート)は当時の中国語を話せたそうだ。

 そんな漢字を日本人は日本で適した形に作り変え始める。

 まず一つ目は仮名だ。

 漢字→万葉仮名を経てひらがな(平仮名)、カタカナ(片仮名)を作っていく。

 二つ目は訓読みだ。

 本来日本にあった言葉を同じ(よく似た)漢字に当てはめていった。

 音読みは本来その時の中国語の言い方で、そこに訓読みを加えたので、漢字に音読みと訓読みという複数の読み方が出来た。

 最後は音読みだ。

 さっき説明した通り音読みなら、中国語じゃないの? と思う方がいるかもしれないが、音読みの中には漢音、呉音、唐音と三つある。

 実は意外かもしれないが、本来の中国語は基本一つの音しかないのだ。

 だから漢字に複数の音があるのは日本ならではと言える。

 なぜ音読みが複数あるのかと言うと時代の違いだ。

 呉音はいつからか不明だが一番古く、次は漢音で唐の時代、そして唐音が鎌倉時代だそうだ。

漢字→書き下し文(漢文訓読)

 では本題の外国語が喋るのが苦手という話なのだが、それは日本の翻訳主義が原因だ。

 書き下し文って高校生にもなれば漢文の授業で習う言葉だが。あれを冷静に見れば翻訳に他ならない。

 レ点とか、一二点を使う前の元々の文を白文と呼ぶ。

 いつからかというと万葉仮名が出来る前、推古朝には既に漢文訓読の形跡があるそうだ。

 だからこの時から漢文(当時の中国語)を日本語の順番に読み替えようとしていたのだ。

ポルトガル語

 なんのことかと思われるかもしれないが、戦国時代の南蛮文化で使って変化した言葉達だ。

 ボタン、カルタ、カステラすべて元々はこの南蛮文化から来たのだ。

 ポルトガル語をカタカナへわざわざ変化させた日本人である。

 他の外国ならいざ知らず、ましてや日本人だ。

 日本語にある文字に置き換えるのだ。これもある種の翻訳である。

 初めて和製外国語(ここでは和製ポルトガル語)が出来た瞬間だ。

 発音から考えると明らかだが、カタカナをそのままポルトガル人に話しても通用しない。

 発音が明らかに違うからだ。つまり日本風の発音になっているのだ。

 話は少し逸れるが、この時代に鉄砲が日本に伝来するのだが、ポルトガル語は分からないので、漢字で行ったそうだが、あくまで筆談で取引をしたと言われている。(つまり会話としては中国語を喋れないのだ)

英語

 現在の学校の授業で出てくる皆が必死に頑張った英語だが、これをどう日本風にアレンジしたのだろうか。

 英文読むreadingの時間があるじゃんと思うかも知れない。

 しかし英語を輸入して、日本人はあることを行った。

 英語(抽象概念)から新たな二字熟語の言葉だ。

 つまり英語を日本人は日本で適した形に作り変えたのだ。

 明治時代に本来日本に無かった言葉を漢字に当てはめて熟語を作ったのだ。

 「科学」、「栄養」、「国有」等である。

 これは漢字を総動員して行われた画期的な言葉である。

英語→英訳

 もう一つは言わずもがなの学校で散々行った英訳の時間である。

 原文をそのままの形で理解せず、わざわざこうやって日本語に直して学校で習うのだ。

 これのお陰でほとんどの日本人はまず日本語に置き換えて英語を理解する環境になったと言って良いだろう。

 確かに文法の明らかな違いはあるのは分かるが、わざわざ翻訳するのだから、英語力はつきにくいことが分かる。

どうしても日本語で理解したい日本人

 日本に住む日本人はほぼ100%日本語だろう。そして日本人は1億2千万人ほどいる。

 英語をわざわざ話す人はめったにいない。

 そして英語をすらすらと理解する人はほんの一握りだろう。

 1億2千万人にある情報をすっと理解させるなら、外国語より日本語の方が早いに違いない。

 だから色んな言語を翻訳させて、日本語で読むのだ。

 映画でもそうだ。

 わざわざ吹き替えにして、ついついそっちを聞いてしまう。

 字幕じゃなく、完全なる日本語に染まってだ。

 吹き替えは他の国では珍しいそうだ。

 これもいうまでもなく外国語をどっかにやり、日本人は心血注いで日本語に翻訳してそれを楽しんで理解しているに他ならない。

まとめ

 こうやって見ると日本人は1500年以上翻訳に依存していることが分かる。

 つまり翻訳国家なのだ。

 これはもしかしたら日本人の他を寄せ付けない排他主義に起因するところもあるかもしれない。

 良いところは取る(まねる)が他国には依存しないという主義が伺えるしれる。

 元からそういう日本人気質があるのだから、元の言葉を理解するのが大変なのは仕方ないのかも知れない。

 しかし元の外国語を理解するには難しいが、これほど翻訳に長けて色んな海外の本を読める国も少ないと思われる。

 日本人はどうしてもジャパナイズをしないと気が済まないようだ。

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