第2章【藤の花が咲いている】

第2章【藤の花が咲いている】(1)

午後二時前。

春花は新聞社の駐車場に着いた。

「ここが西部新聞社か?」

大きい建物でもないけれど、結構きれいな会社という印象。

門を入ると、右手に駐車場、左に建物の入り口が…。

春花は車から降りて玄関を入る。

ロビーには、ソファーやら観葉植物が並び、ガラス張りの明るい雰囲気。

受付嬢に名刺を渡し、社長への面会を求めると

「お待ちしておりました」

と、受付嬢の笑顔。

「ホー、行き届いているんだ」

内心うれしくなった春花。

やがて、二階の応接室へと案内された。

五分ほどして、一人の年配の男性が入って来るや

「いや~、お待たせしました。どうもどうも」

ニコニコしながら、テーブルにつくと

「村上です。よろしく」

受けとった名刺には

西部新聞社 取締役社長 村上真一郎

と書かれている。

「フリーライターの、岬 春花と申します。どうぞよろしくお願いいたします」

春花も名刺を渡し、一礼をする。

村上社長の第一印象は・・・。

六十過ぎに見えるが、白髪はきれいに後ろへ流し、清潔で几帳面さが漂う。銀縁のメガネの奥で、細める目には人生の年輪を感じる。その目には、やさしさの中にも深い洞察力を滲ませている感じがする。

と、一瞬のうちに相手を分析すると、社長は

「ほう! 間伐材を使った名刺ですか」

うなずくように、春花を見つめた。

「はい、出来るところから行動に移したいと思いまして…」

と、春花は緊張しながら応えると

「いや~、考えさせられますね、これは。僕も頭では、わかっているのですが、実践となると…。う~む、反省しないとね」

と、村上社長は、また感心した様子でうなずく。

春花は、話のキッカケが出来たので

「今のまま、森を切り続けると、あと五十年で、地球から森が消えてしまうそうです。私たちに残された時間は、もう長くはないのですよね」

と、切り出すと、また大きくうなずくのだった。

春花は、村上社長も環境問題に、関心が深い事を知ると、さらに

「今計画されている河川工事では、魚道が必ず砂で、せき止められてしまい魚たちは通れなくなるのです。どうしても工事をやるなら、自然にやさしい工事を行うとか、川に住む生き物たちの事を、もっと真剣に考えてほしいのですよ」

と春花は、新しい魚道工事のパンフレットを渡した。

すると村上社長は

「実を言いますとね。アオケン組のことは、町でも問題になっていましてね。私もこのままでは、いけないと思っています」

と、意外な言葉。

少し驚いたが、強い味方の出現で、春花はホッとする。

そして、いつしか緊張は、ほぐれている事に気付いた。

「ところで、岬さんは、どうしてこの問題を?」

村上社長は、春花が何故フリーライターをめざしたのか。

そこに関心を示した。

「祖父の影響ですね」

春花は自分の経歴や、おじいちゃんとの事を話すと

「そうだったのですか…。ま、我が社も出来うる限り、町民の声を反映できるよう努力しますよ」

「ありがとうございます。心強いです、私も」

春花が安堵の胸をなで下ろした、その時。

ドアがノックされ、一人の男が入ってくる。

「や~、大介君、待っていたよ。こちらフリーライターの、岬 春花さんだ」

と、村上社長が紹介するやいなや

「アッ」

唖然とする春花。

目の前にいるのは、なんとあの、ぼっちゃん男の大介。

春花をみるなり大介も一瞬立ち止まって、キョトン。

「うちの、蒼井大介です」

社長の言葉に、吾にかえった春花は

「あの~、こちらの社員の方…?」

一方、大介は不審そうに椅子に座ると

「で、社長。僕に何か?」

すると社長も不思議そうに

「君たち、知り合いか?」

「いえ」

大介は即座に否定した。

が、春花は

「ちょっとした運命のイタズラがございまして、二度ほどお会いしました」

春花は、わざと顔をほころばせると、村上社長は

「大介君、岬さんと一緒に、河川工事について取材してくれないか?」

すると大介は驚いたように、社長を見る。

「ぼくがですか?」

社長は、やさしい口調で

「アンケート形式で、町の声を聞くというのはどうかね」

と、語りかけると、時計を見ながら

「すまんが、ぼくは今から出かけなくちゃならん。よろしくたのむよ」

と、春花にも微笑みながら社長は席を立つ。

すかさず大介は社長を追いかけて行く。

廊下で二人の話し声がする。

春花は、とりあえず今日は帰ろう…と、立ち上がった時、話し声は止んだ。

廊下に出た春花が目にしたのは…。

給湯室あたりの前で壁に背をもたれながら、コップを口にする大介の姿。

チラリと春花に目線を振る。

春花がそばに寄り

「ま、よろしくね。これ私の携帯番号」

大介の胸のポケットに名刺を差し込み、上から軽くさする。

そして大介の肩についていた、小さな枯れ草を手で払い落とした。

大介は肩に手をあてながら、春花の顔をじっと見つめる。

春花は黙って大介の目の前に、手のひらを差し出した。

「なんですか?」

と、けげんそうに言う大介に

「あなたの名刺と、携帯の番号教えて。社長命令、一緒に仕事するんでしょ」

と、ニンマリする春花。

大介は、上目遣いで春花を見ながら名刺を取り出し、廊下の壁で携帯番号を書く。

そして、トランプカードを切るようにして、名刺を春花の胸のポケットに、ゆっくりと押し込もうとした。

その時…

わざとらしく春花の左胸の、ふくらみにあてがいながら差し込んだ。春花は、一瞬ドキリとして大介を見る。

大介も春花を。

その直後、春花は横向きにした手のひらを左右に振った。

「どいてよ。客人のお帰りなの!」

大介は廊下の壁にもたれるようにし、皮肉たっぷりに

「お気をつけてどうぞ!」

と、渋い顔を春花に向ける。

そして、大介に背をむけて歩いていく春花が、手を振りながら

「また連絡入れるわね」

と言うと、階段を降りる足音が廊下に響きわたった。

玄関を出た春花。

駐車場まで来て、車のドアを開けようとした時。

隣の駐輪場にある、大介のバイクが目に入った。

しばらく見つめた春花。

そして…

春花がそっと、手をあてたのは左胸。そこは、つい今し方、大介の手が触れた場所。大介の名刺が入っている場所だった。しばらくして、春花は少し微笑みを浮かべながら車のドアを開けた。


その夜、大介の家では…。

食卓につく大介に、みのが

「ぼっちゃま。このあいだ、車にひかれそうになった時のことですけどね。実は、あの前にも当て逃げ事故があったらしくて…その時の目撃者がいたらしいんですよ」

大介は、缶ビールをグッと飲み干す。

「あ~、うめえ」

一口飲んで椅子に腰掛けると

「犯人捕まったの?」

「ええ、それでね、私を当て逃げしたことも喋ったそうで、今日、警察の方が聞き込みに廻って来たんですよ。現場検証とか何とかで…」

「な~んだ、そうだったんだ」

「わたし、あの女の人に悪いことしちゃって申し訳なくてね」

みのは、うなだれていると

「別に、いいんじゃないの」

軽く言った大介に、みのは

「ぼっちゃま そんな言い方なさらないで下さいよ。亡くなられた、お母様からくれぐれも申しつけを受けているのです」

「また、それかよ」

「決して人様に迷惑をかけてはいけません。ウソを言ってはなりません。人には親切でなければ…」

みのは、椅子に座った大介を前に切々と訴える。

「わかった、わかったよ、みのさん」

大介は両手を、みのの顔の前に広げる。

すると、みのは

「あの女の方に、お詫びがしたいのです」

大介は、ため息をつきながら

「それよりさ~みのさん。ぼっちゃま、はもう止めてくれないかな」

すると、みのは神妙に椅子に座り、エプロンで目を拭きながら

「身よりのない私が、こうしてお手伝いとして使って下さって、お母様は本当に、お優しいお方でした。もう有り難くて有り難くて…」

みのは、そう言うと引き出しを開けて、写真盾を手にとりテーブル上に置いた。


第2章【藤の花が咲いている】(2)

そこには、春花そっくりの女性と、小学生くらいの男の子が映っている。

「お母様は、この写真を、とっても大切にしておられました。お亡くなりになる数日前、おぼっちゃまの事を『くれぐれも頼みます』という言葉が、今もこの耳を離れないのです」

大介は頭を、かかえてしまう。

そして…。

「あ~、ダメだこりゃ」

と、残りのビールを飲み干し、二階へかけ上がって行く。

みのは、エプロンに顔をうずめながら、泣いている。


翌日、春花は新聞社に再度、大介をたずね

「わたし、もう一度アオケン組に行って取材を申し込みたいの。一緒に行ってくれない?」

と、はやる春花に、新聞を広げている大介は

「やめた方が良い。話のわかる相手じゃないよ」

「こわいの?」

と切り返す春花。

大介は、広げていた新聞をたたみながら

「先ず町の声を聞いて、世論で攻めて行く方が早いんじゃないの?」

と、缶コーヒーを口にする。

「それはわかってます。だからその前にもう一度、アオケン組を牽制しておきたいの。それでダメなら…」

黙っている大介に、その気がないと見た春花は

「いいわ、一人で行ってくる」

と言うと、昨日大介にもらった名刺を出し、携帯番号を自分の携帯に登録し始める。

その様子を見ながら大介は

「ところでさ、話は変わるんだけど」

春花は携帯を打っている。

「うちの、お手伝いの、みのさんだけど…この前の件謝りたいってさ」

「あら、どういう風の吹き回し?」

「当て逃げ犯がいてさ、捕まったんだよ。それであんたに申し訳ないって」

「別にいいわ、そんなこと終わったことだし…」

と、その時、大介の携帯が鳴った。

「もしもし…」

と、立ち上がる大介。

すると、春花が

「あ~、もしもし。蒼井大介さまですか?」

と、携帯を耳にあてながら大介を見上げている。

それは、春花から大介への通話だった。

「本日は晴天ですよ」

というや否や大介は、パチンと携帯をたたむ。

「番号が間違ってないか、確認しただけよ」

クスッと笑う春花に

「一度、家に来てくれないか。みのさんが是非にと言ってるんだよ」

「ごめん、今それどころではないの」

と言いながら春花はカバンから、ノートパソコンを取り出す。

「じゃ~、おれはちょっと、ほかの用事があるから出かけるよ~」

大介は、ゆっくり立ち上がると、ジャンバーを着ながら玄関へ。

春花は、キーボードをしきりに叩き始める。

その頃、
新聞社のロビーは次第に、人の出入りが目立ち出す。営業に出る人や、記者らしき人、黒い前掛けをした印刷工場の人、来客などなど…。春花の脳裏には、大学卒業後、入社した出版社が浮かんできた。毎日が、あわただしく、時間に追われ緊張しっぱなしだったあの頃。

広いフロアーでは、笑い声が聞こえるかと思えば、怒号が飛び交い、激しい電話のやりとり、等々。つい昨日のような思い出を、新聞社の社内風景に重ねながら、春花はパソコンの画面に見入っていた。

その時…。

ロビーに入って来た、一人の若い女性。

オシャレな感じの美人。

春花は、ついパソコンの手を止めると

「蒼井大介さん、いらっしゃいますでしょうか?」

と、その女性は受付嬢にたずねている。

「あいにくただ今、外出中ですが、どちら様でしょうか?」

「あっ、友達ですけど…」

スラッとした長身で、色白の都会的香りのする女性だ。

「だれだろう?」

春花の、右脳が一瞬に作動しはじめる。

「よろしければ、ご用件を承りますが…」

受付嬢の応答に女性は

「お留守なら結構です。ちょっと、そこまで来たものですから…また伺います」

そう言うと、一礼をして玄関へ引き返す。

そして、ぐるりと一回り目をむけ、ソファーでパソコンを打つ春花を、チラリと見つめた。このとき、春花と目がピタリと合ったのである。一度、パソコンの画面に向いた春花の目が、再び女性の後姿を追っていた。


その頃、大介が訪ねていた場所は、町の介護施設。

車イスの人が二十人ほど、集会場に集まっている。

そして…。

小さな舞台で、ハーモニカー演奏する大介。

わらべうた「赤とんぼ」の曲が流れている。

大介の顔を真剣に見ながら、声を出して歌っている人もいれば、中には涙を流す老人もいる。

スタッフの人たちも周りで、そんな老人たちを見て、目を細めながら一緒に歌っている。

そして演奏が終わると、一斉に拍車が湧いた。

「また、来ま~す。今日はありがとうございました」

と、大介は笑顔で挨拶し、舞台を降りる。

舞台の袖から、見つめていた年配職員の女性が、大介に歩み寄り

「いつも、有り難うございます」

と、丁重に頭を下げた。

「とんでもないですよ。好きでやっているだけですから・・・」

大介は、ハンカチで顔を拭きながら満足そうに応える。

そして、女性は

「実はね。先週の演奏が終わってから、うれしい事がおきたんですよ。八十六歳の方ですけど、翌日から三日間、普通の会話ができるようになったんです」

「そうなんですか?」

大介は、驚く。

「もう、スタッフの人たちも、とってもビックリしていました。不思議なものですね」

そう言いながらその年配職員の女性は、目をうるませて会場の車イスの人たちを見廻していた。

帰りかけた大介は、何かを思い出したように、振りかえると

「松井さんも、お元気そうですね」

と、会場にいる車イスの方を見つめる。


「え~、ここの所、少しずつ笑顔が出てきましたので、私たちも安心しています」

女性が、そう話したあと大介は

「この前、ご主人と話をしたのでが…」

息を大きくつく大介に

「あ~、そうでしたか。まだ河川敷の方にいらっしゃるのですか?」

と女性は、神妙に聞く。

大介は黙ってうなづく。

「そうでしたか…。ま~、いろいろと有り難うございます」

年配職員の女性は、また深々と大介に頭を下げると

「いやいや、とんでもありません。皆さんの方が、よっぽど大変ですよ」

と、大介は言葉を残すと、笑顔で施設をあとにした。


一方、春花が取材のために訪れた場所は、みどり川・河川敷工事の場所から下流の地域。

アオケン組に対し、怒りをあらわにする年配の人もいれば、あまり関心のない人まで様々。

そして小学校をたずねると、社会科の先生を紹介された。ちょうど河川の水質汚染調査を行っているとのこと。春花の訪問に、心をひらく先生は、たんたんと語りはじめる。

「昔のみどり川は、きれいだった…。夏は子供達が水泳をしたり、親子で水遊びする光景が耐えなかった。

それが…。

豊かな暮らしと引き換えに、大切なものを、一つ一つ失くしてきたんだ」

と…。

先生の無念さが、かみしめる唇に滲み出ているのを春花はみて、胸を痛める。かっての、みどり川を知っている地元の先生ならではの言葉。

そして、何とか子供達に昔を取り戻してあげたいとの思いから、川そうじを始めたと言う。

そうした子供達の努力の結果、ようやくここまで取り戻した川を、また破壊することは許せないと語気を強めるのだった。


アパートに戻った春花は、パソコンと向き合い、黙々とキーボードを叩いている。

そして、今日取材に行った、緑町小学校のホームページを開く。そこには、みどり川に入ってゴミを拾う、小学生たちの写真が…。

みな笑顔でゴミ袋を持って、空き缶をひろい上げる姿など、何枚もの写真が画面を埋めている。

春花は、それまで握っていたマウスから、そっと手を離す。

そして、右手と左手で、アゴを支えながら

「ふ~む、感心だね」

と、つぶやく。

しばらく、コメントに目を通すと、またマウスを握り、画面を進める。

部屋のカーテン越しに差し込む月の光。机の隅に置かれた時計が、十時を指していた。春花は、キーボードを打つ手を止めると

「フーッ」

と大きく息をして画面を見る。

そして…。

メールソフトを立ち上げると、テキストを添付して「送信」ボタンを押した。


第3章【試 練】(1)


小説【藤の花が咲いた】 「もくじ」
「作者について」「あらすじ」「みどころ」
第1章【五月のそよ風に】(1)(2)(3)
第2章【藤の花が咲いている】(1)(2)
第3章【試 練】(1)
第4章【仄かな想い】(1)
第5章【おにごっこ】(1)
第5章【おにごっこ】(2)
第5章【おにごっこ】(3)

第6章【かくれんぼ】(1)
第6章【かくれんぼ】(2)
第7章【わかれ】(1)
第7章【わかれ】(2)
第8章【冬の終わりが春の始まり】(1)
第8章【冬の終わりが春の始まり】(2)
第9章【再 会】(1)
第9章【再 会】(2)【完】

■ 小説【もくじ】

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