第5章【おにごっこ】(3)
第5章【おにごっこ】(3)
のぞみ号は静かだった。
三十六分後には、京都駅に着くんだ、と言い聞かせながら、ついウトウト。
車内アナウンスに間一髪、乗り越しを免れた春花。
京都駅のホームに降りると、とりあえずベンチに腰掛ける。
京都も、雨こそ降ってなかったが、空は曇っている。
快適な車内とは違って、ホームは生暖かい風と人混み。
暑苦しさが押し寄せてきた。
「コントロールされた気温の中で、人は自然とのスキンシップを放棄した」
と、気付いた一瞬。
カバンからハンカチを出して、顔や首筋を拭いた春花は、携帯に受信メールがある事に気付く。
そのメールの差出人の名は、大介と書かれている。
春花の気持ちを察してくれたのか、今京都駅に向かっているとの事。
祈りが通じたことに感謝しながら、春花はホームへの階段を下る。
それから三十分後、駅前に立つ春花に、一台のバイクが近づいた。
黒いヘルメットに、黒いジャンバーを着た、大介の笑顔だった。
それまで張り詰めていた春花の気持ち。
重い荷物を一挙に降ろしたように、スーッと楽になるのを感じた。
大介が、バイクの荷台に手を伸ばす。
そして新品の赤いヘルメットを取り出すと、黙って春花に差し出した。
泣きべそをかくようにしていた春花に、ようやく笑顔が戻る。
バイクの後ろに乗ると大介のお腹に、しっかりと腕を回す。
そして、勢いよく駅前を発進。
なつかしい京都市内を走り抜ける。
どんよりしていた梅雨空に、少し青空が見えてくるのを見た春花。
今の自分と重ねるように見上げていた。
バイクが向かった先は、嵐山。
桂川にかかる渡月橋だった。
かって、亀山上皇が
「くまなき月の渡るに似る」
…と、
月が、さながら橋を渡る様子に感動し名付けられたとか。
木造の橋は、何とも言えない優しい気持ちにさせてくれる。
さらに、渡月橋の照明は、嵐山のミニ発電所装置によるもの。
最先端エコロジーにて、川の水流を利用しているとの事だった。
「ここにも、地球に優しい心が、脈々と息づいている」
春花は、改めて自然の大切さを実感する。
久しぶりに大介と、食事を共にした春花だったが…。
大介を傷つけないよう、京都の学生時代のことを話した。
そんな会話の中で、大介は意外な過去を、静かに語り始めたのである。
大介の話によると…。
母が亡くなったあと、ご両親が、母の遺骨を京都に持ち帰ったと言う。
また、母入院中も、何度か見舞いに来てくれた。
そして、大介をすごく可愛がってくれたと…。
両親から
「離婚して京都の病院へ移るように」
と、強く勧められた。
が、母は頑として聞かなかった。
我が子を、片親にしてしまっては、不憫だから…と。
京都の檀家寺で供養したあと、祖母は毎日のように、お経を上げていた。
大介は、そんな祖父母が大好きで、夏休み、冬休みになると、いつも遊びに来ていた。
しかし、祖父は母が亡くなって三年後に病に倒れ、その介護で祖母も体調を崩してしまう。
親戚の方々の援助も得て何とか頑張っていたが、大介が中学を卒業したあと、祖父母は相次いで亡くなったと言う。
春花は、胸が痛くなるほどの想いで、ただ黙ってうなずくばかり。
大介は、お父さんが入院した事は、メールで知っていたようだが、何の感情も湧かなかったとのこと。
春花は、自分の記事によって蒼井社長が、心労で入院したのでは、と内心自責の念にかられていた。
そして、村上社長と会ったこと。
大介が影で人脈を使って、町の告発を引き出してくれたこと。
畑中憲悟が、アオケンの内部資料と引き換えに、交際を迫られ逃げ出したこと。
等々、伝えたのだった。
畑中憲悟とは、もう一切関わらない、と話した時、大介の顔がなぜか明るくなったのを、春花は感じていた。
春花は、お父さんの事を聞こうとした。
しかし、大介の表情は、また暗くなり、貝のように口を閉じてしまう。
春花は、悔やむ。
そして、心に決めた。
この話は二度としないと…。
食事を済ませた春花は、大介と渡月橋を歩くことに。
春は桜、秋には紅葉で、多くの観光客が訪れる場所。
夏もまた遊覧船で賑わうが、この所の雨で増水し、運行はしていない。
それでも橋の上は、記念のポーズをとる多くの人々で賑わいを見せている。
やがて大介から
「帰ろうか」
との言葉に、春花は橋を手でさすりながら、バイクのある場所へ向かった。
京都インターから高速道路を一路、名古屋へ。
新幹線では、決して味わうことが出来ない、このスリル。
大介の背中にしがみつく春花。
体温が行き来するのを感じながら、夏の風を切り抜けるハイウェイー。
春花にとって、至福の一時となった。
この幸せが、ずっと続くようにと…。
その夜、アパートに戻った春花。
風呂から上がり、ベッドに座り込むと…。
大介との一時が、映画のワンシーンのように浮かんできた。
そして、気になるのは蒼井社長の容態。
「今頃、大介は何を考えているんだろう?」
と、タオルで髪を拭きながら、心でつぶやく。
「みのさんも、心配していたし…」
さらに…。
「アオケン組が、今後どうなるのか?」
「……」
好きで選んだフリーライターの仕事。
その春花に「後悔」と言う文字はなかった。
が、目の前に展開する予想外の出来事。
戸惑いを感ぜずにはいられない。
しかし、それが世のさだめなら、逃げてはいけない。
と、もう一人の自分がささやく。
「なにはともあれ、村上社長に話してみよう」
と言い聞かせながら、机のパソコンに向かった。
■小説【藤の花が咲いた】 「もくじ」
「作者について」「あらすじ」「みどころ」
第1章【五月のそよ風に】(1)(2)(3)
第2章【藤の花が咲いている】(1)(2)
第3章【試 練】(1)
第4章【仄かな想い】(1)
第5章【おにごっこ】(1)
第5章【おにごっこ】(2)
第5章【おにごっこ】(3)
第6章【かくれんぼ】(1)
第6章【かくれんぼ】(2)
第7章【わかれ】(1)
第7章【わかれ】(2)
第8章【冬の終わりが春の始まり】(1)
第8章【冬の終わりが春の始まり】(2)
第9章【再 会】(1)
第9章【再 会】(2)【完】
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