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ボクのこと

この記事を書いているのは、
2023年2月21日深夜。

別にセンチな気持ちになっているわけでもないし、
特段暇なわけでもない(むしろ、まあまあ忙しい)のだけど、
先週末に起こった出来事が自分の人生を象徴するような出来事だったので、
先日久しぶりに開いたnoteに向かっています。
ちょっと自分の棚卸しをするといいますか。

1.オギャー〜大学卒業まで


1982年9月5日、山口県下関市にて、転勤の多かった父のもとに生まれて、
小学生になるまでは、県内の瀬戸内海沿いを転々としていたようです。
(下関→宇部→徳山→下関→宇部)

こんな子でした

小学生の時はとにかく身体の弱い子。
見かねた両親が水泳に通わせてくれ、字の汚かったボクを案じて
書道教室に通わせてくれました。
この2つは大人になった今でも、本当にありがたいことでした。

小学4年から高校卒業まで続けた野球は半分惰性だったけど、
それも当時の自分を象徴しています。
”継続は力なり”と本気で思っていたボクは、
他の世界に飛び込む勇気がなかったのだけかも知れません。
(でも、続けていて得られたものもたくさんありました)

文字通り”真面目”な小学〜高校時代でした。

身の程を知った中学時代

中学生にもなると、身体能力の差が出始めます。
せいぜい中の上程度だったボクは、普通の公立中学のくせに、
全国中学校体育大会(いわゆる全中)に出場するくらい身体能力に恵まれた
友人たちに野球で勝てるわけがなく。そこで中学2年の時に思ったのが、

自分が野球で突き抜けることは無理。
勉強なら努力の量で勝てる可能性があるから、
勉強を優先順位の1番に置く。

あながちこの選択は間違っていなくて、
中学時代に勉強で困ることはほぼ皆無でした。
実際、通わせてくれた学習塾でもかなり上位の成績を取れていたし、
地元ではいちおう1番の進学校である宇部高校は余裕で合格できたので。

当時から、
宇部高へ入学することは、
自分にとって敷かれているレールに乗ること、
もしくはエスカレーター・義務教育と同じ、呼吸するのと同じ
とホンキで思っていました。

これだけ習い事や学習塾に通わせてくれた親には感謝しかないです。
大人になった今思うのは、まあまあ裕福な家庭だったのだな、と。

大海を知った高校時代

高校に入って、中学の時のように勉強でいい結果を
残しづらくなっていました。せいぜい中の上くらい。
■失敗
もともとは社会科の教員を目指していたので、
文理選択で文系を選んだことと、理科の選択科目を地学にしたこと。
これは痛かったな・・・。

決してキラキラしていなかった高校時代、
友達らしいものはほとんどできずに、
周囲との温度差に適応できなくて、
尖っていた記憶が鮮明に思い出されます。

改めて自分の進路を考えたとき、
高2〜3の時に、「自分には学校の先生(公務員)なんて向いていない」
と感じて、文系理系いずれの学問でも学べる、
広島大学の総合科学部(広大・総科)を目指すようになりました。

高3の夏休みには当時まだそこまでメジャーではなかった
オープンキャンパスに足を運び、
「ここで学びたい!」って思えたのは大きかったです。
今思うと、”自分の目で確かめる”ことを
大事にする習慣はあったのでしょうね。

何だかんだでセンター試験(当時)ではなんとか辻褄を合わせて、
第一志望の大学・学部に50:50くらいまではもっていけました。
親に頼み込んで、河合塾の広島校で行われていた3日間の広大・総科対策へ
行かせてもらい、高校生が単身で3日間、ビジネスホテル暮らし。

河合塾で図々しくも話しかけた広大医学部志望の子の話が印象的でした。
たぶん、広島学院高か広島大学附属高の子だったのだけど、
”東大って、学校の勉強していたら行けるんじゃないの?”
これは自分の世界を広げてくれました。
如何に井の中の蛙大海を知らずだったか・・・
これは今の自分を形成する要素の1つでもあります。

キラキラの大学時代

広島での一人暮らし、勉強・バイト・遊び、そしてまた遊び。
生涯の友人もできて、この時代は今振り返ってもキラキラしていました。
インターンシップにも2つ参加したり、
学生の身分でTA(Teachin Assistant)なんかもやらせてもらえて。

使えるものは可能な限り利用していたと思います。
もう少し英語を勉強しておけばよかったけどね。
苦戦した就職活動も、何とかかんとかで希望していた業界に入れて、
めでたしめでたしな大学時代、懐かしいです。

2.サラリーマン時代

この辺のことについては、地味に記事を残していました。
ご興味があれば、ご一読くださると。

3.地元にUターン

徹夜でガンガン仕事を回している、
超絶ハードワークだったイベント会社で
自分の能力の限界を感じたのと、メンタルをやられたこともあって、
自分の人生を本気であれこれ考えるようになりました。

そんな時に、地元・山口での音楽フェス・WILD BUNCH FESTに行って、
”あぁ、こうやって心から音楽を楽しんでいる人が
笑顔になれるシーンを創りたくて、ラジオが好きだったなー”

と昔は当たり前に聴いていたラジオのことを思い出しました。

そこで、クッソ忙しいイベント会社の仕事の合間を縫いながら、
FM大阪のラジオDJ養成スクールに2年間通って、
2014年の12月をもって、さよなら大阪、地元に帰るの巻となりました。

ラジオのお仕事

当時33歳、超遅遅のデビューでしたが、念願のラジオの仕事でした。
といっても、コミュニティラジオ局、ギャラだけで食べられるわけがなく、
地味にアルバイトをしながら、カツカツの生活でした。
実家で暮らしていなかったら絶対に生活できない、
そんなくらいでした。

そんな生活を丸2年、FM山口さんのオーディションにパスして、
ディレクターとして、初めて広域局でのお仕事を。
ここでのご縁がつながって、
WILD BUNCH FESTのライブレポスタッフのお仕事に出会え、
業界のいろんなトーン&マナーを学べ、
本当のプロのお仕事を感じることが出来ました。
ここでの出会いも感謝しかないです。

4.30代も終わりに差し掛かり

悲しい現実ですが、地方のフリーランスのギャラは決して高くありません。
それだけで生活できている人はほんの一握り。
残念ながら自分にはそれで食べていけるだけの
スキルも能力もないことがわかりました。

これは、実際にその世界に入ってみてわかったことでした。
逆に言うと、そこまではチャレンジしようと思っていて、
正直30歳を超えてのデビューで、よくここまで行けたものだと思いました。

そんな自分でも、お仕事としてはいくらか回ってくるという状況。
今の状況でも食べていけないわけではない、
でも、もう少し先の人生を考えたとき、
”これで良いのだろうか?”と切実に考えるようになりました。

やりたいこと→できることへ

幸いにして、それまでの自分のスキルを掛け合わせると、
それなりに1人で食べていけるだけのものになっていました。

そこで1つの決断をしました。

”夢ややりたいことを追いかけるのではなく、
自分の強み・勝てるところで勝負する”

これが今の会社・スケダチを立ち上げた理由です。

スケダチ https://www.instagram.com/sukedachi.ube/

今、手掛けている仕事は、個人的にはやりたいことの1番ではありません。
どちらかというと、2〜3番のお仕事です。

ただ、これからの人生を見つめたときに、
より持続可能かつ不測の事態にも対応できるもののうち、
自分の得意領域で勝負できるものは何か?を考え、
”自分で会社を立ち上げる=自分がルールブックになれる”
”事業ドメインは、そのエリアで絶対に勝てるものにする”

という方向へ自然と落ち着きました。
不思議と雇われという選択肢は出てきませんでした。
むしろ、自分で事業を興して失敗したら、その時に戻ればいいや的な。

野球をたとえ話にすると、
プロ野球やメジャーリーグのような
Top of Topのフィールドに挑もうとする今までの生き方から、
地域の草野球チームのエースで4番バッターを目指す、
という方向転換です。

わざわざ学習塾を立ち上げたのも、
受験を控える子どもの学びに
大人のフレームワーク(PDCAとかタイムマネジメントとか)を
入れたら差別化出来ると思ったからで、
商圏をみた時に、少子化の中でも勝ち抜ける競合環境だと考えたからです。
(それ以外にもいくつか差別化戦略を打っていますが、ここでは割愛)

でも、それだけだと面白くないから、もともとやりたいと思っていた
大人の学びや体験学習を利益ゼロでやれるようなキャッシュフローを
学習塾ビジネスで生み出して、還元できたらなーと思っている次第です。

結局のところ、どこを目指すのか?

ボクが高校時代から敬愛しているアーティスト・清春さんが、
以前NHKのトップランナーで語っていた一言が
今も心の奥に残っています。

”好きなことをしているから売れないのではなくて、
好きなことをしているから売れている”

これは大事にしたいと思っています。
自分の心が向いているモノ・コトに全力投球が出来るよう、
アンテナは張り続けたいし、
それができるってことは、
自分の感覚が若く保てているってことだと思います。

変化を恐れずにチャレンジし続けることをやめない
サカナクションがこの数年、ボクの中での不動の1位になりました。
そんなサカナクションの山口一郎さんが
”変わらないまま、変わり続ける”
と仰っていました。
そんなチャレンジングな姿勢を肯定しているような
サカナクションのワンダーランドのLive動画で結びに代えたいと思います。

長文にお付き合いいただいてありがとうございました。

2023.2.21 5:27


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