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『遺書』 60 つかの間の“普通”暮らし

[前回の続き]

ほとんどの家財を棄ててしまっている“自宅”に戻り、いよいよ引っ越し。量が少ないので単身用の小さな“パック”で充分。

今まで生きてきたなかで貯まってきた資産のほとんどは棄てざるをえなかった。父親に引っ掻き回されて叩き潰されてきた人生。資産がない。職すら奪われたり妨害されてきたのだから。私が懸命に蓄えてきた、蓄えようとしてきたのも、台なしにされたのだから。

“着の身、着のまま”に近い。近場なら“赤帽”の個人事業主の軽トラックに頼んでいただろうと思う。けれど、ことは東京から北海道。だからさすがに気が引ける。専門の企業に頼んだ。

避難先を購入してからの手配にしたのは、ギリギリまで本当に買えるか、完全な確信がなかったから。役所にだす転出届なんかはキャンセルしてもノーコストだから平気なんだけれど、引っ越しの依頼というのはさすがに、まずいと思った。
それで直前の手配になったけど、一週間後くらいのタイミングで引っ越しを頼めた。
タイムリミットは、あの“追い出し”から一か月。それにもギリギリで、あんまり余裕がない。

内心では気が気じゃなかったけれど、避難先で使うためのベッドとか暖房器具とかネット通販で注文したりして、ことを計画的に進める。

当日。なんとか間に合った――予測される次なる襲撃に。
部屋は広いのに、荷物は少ない。
逃げるように。夜逃げするように。というか、本当に逃げているんだけれど。
荷物は業者に頼んで、私は公共交通機関。ちなみに、当時は北海道新幹線がない。そして飛行機に乗る余裕も、なかった。

あとのことなんて、私は知るものか。部屋をカラにしてしまえば、あとはあの悪しき父親が責任もって契約をクローズすること。

再び、“北の大地”に降り立った。“都落ち”。本州には戻れないかもしれない、その覚悟をもって。いつか“奪還”したい、そんなうっすらとした望みは棄てきれないでいたけれど。

もう、絶縁している。「絶縁する」って、言った。
北海道で、新天地で。極寒の地で。そうやすやすと人生が始められるとも思っていないし、またあの父親が付きまとってきそうな気はしたけれど。ヤツは口止め……というか、口封じがしたいんだから。また元に戻りそうな気はする。
でもとりあえずは、この命を奪われそうな、危機的な状況から、少しはマシになるはず。いつ殺されるかわからない毎日から。ホームレス状態で“自宅”を空けなければならなかった日々。届くはずの郵便物が届かず、抜き取られているらしくって、“私設私書箱サービス”も使ってきた。
避難先にしたのは分譲マンション。自己所有。賃貸住宅とはちがって、今度こそ、追い出す権限なんてヤツにはない。

実際、北海道に避難してきてしばらくは、“普通の人間”になれた。
精神的には転地療法みたいなもの。ようやくホッと、気が抜けた。

自宅は元暴力団事務所。かつてどんなことがあったのか、想像もしたくないけれど。もしかしたら、身内で血が流れる、血を流させることも、あったかもしれない。もう何十年も経っているからさすがに、なんかの抗争に巻き込まれることは考えにくかったけれど。でも、このいわくつきの部屋は、想像すると、心霊現象、というよりももっと恐ろしいものがある。
そして部屋そのものも、断熱性が皆無に近かったりする。
しかも住んでみたら、当時の鉄骨鉄筋コンクリート造、防音性も中途半端。隣や上階の音が聞こえてくる。廊下の音は筒抜け。
そのうえ、近所が換気扇をまわすと、換気口から逆流してきたり。上階が水を流すと、下から異臭があがってくる。
“手抜き工事”、欠陥住宅だった。

それでも、そんな家のなかのこと、他人はつゆとも知らない。私も外を出歩けば“普通の人間”の“皮”をかぶっている。

地元の観光地だとか観光客にあてつけたイベントだとか、見に行ったり。「地元の人?」とか言って中年男性からナンパされて困ったこともあったけれど……。(私は恋愛をしない人間だ。)

ともあれ、しばらくは“普通の人間”でいられた。

そう、“しばらく”は……。

[次回に続く]