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『YOLO』 一度きりの人生だから。

You only live once.〜人生は一度きり〜

この言葉を何度も口ずさみながら、自分の人生を笑顔で語ってくれる人がいました。

彼の名前は「中野 康生」さん。中学校から19歳までオーストラリアで育ちながら、22歳の時にお遍路さんとして四国を一周し、最近まで熱波師として横浜で働いていました、

そして、彼は言います。人生は一度きりだと。

何度も使われてきた言葉を、ここまで自分の言葉で語る彼の姿には、聞いている僕も惹き込まれるものがありました。

今日はそんな康生さんのキャリアを深掘り、どんな人生を歩んできたのか、その選択のきっかけやこれからの展望などを聞きました。

これから一歩を踏み出したいと思っているあなたや、「今やこれから」キャリアで悩むことがあるであろう僕たちに向けて書いていこうと思います。

みなさん、最後までお付き合いください。

***

『YOLO』 一度きりの人生だから。


自分:今日はよろしくお願いします。この前、初めて一緒に飲んだ以来だね。

康生くん:そうだね。どうやらおもしろいことをやってるらしいじゃないですか。今日のインタビューを楽しみにしていました。

自分:(にやける)ありがとうございます。今日は康生くんが歩んできた選択を深掘り、数々の選択にどんなストーリーがあったのか、聞いていきたいと思います。

では、まずは、学生生活から振り返っていきたいです。康生くんってオーストラリアにいつから行ったんですか?

康生くん:中学校1年生からだから、13歳の時からオーストラリアで過ごし始めましたね。

自分:13歳!そこには何かきっかけが?

康生くん:それは親の影響があったかな。後々聞いた話なんですが、親がもともと、子供に英語を学ばせたいと思っていたらしくて、その選択肢が生まれました。

オーストラリア時代の康生さん

でも、当時の僕はそんなことは知らなかった。
僕がどうしてオーストラリアに行ったかというと、兄貴の影響なんです。


オーストラリアへ。きっかけは兄の影響


康生くん
:僕4つ上の兄貴がいて、兄貴が中学校3年生の時に交換留学でオーストラリアに1年間行ってたんです。その話を僕も家族も聞いていて、オーストラリアに引っ越す話がでてきました。

よくよく考えるとおかしな話ですね笑。

自分:うん、おかしい笑。いきなりオーストラリアはぶっとんでる。

康生くん:そう思います。だから、当時の自分もオーストラリアで住むっていうことを全然わかっていなかった気がする。

1年間、兄貴に会えていなかったので、「ああ、兄貴に会えるんやあ」ぐらいの感覚。でもそこには不安はなかったんですよね。今思うと不思議。

自分:確かに。結構勇気がいる決断のように思う。

康生くん:当時、オーストラリアに行くことを同級生とかに自慢していましたね。なんか自分は他の人と違うことをしようとしている優越感を感じていました。

康生くん:自慢を言いたいために行ったのかもしれない。というか、選択権はほぼ無かったようなもんやと思います。

一応、行くかどうか聞かれてるけど多分行くしかなかったし、うまく洗脳されてたんかな笑。


オーストラリアと日本の学校の違い


自分:オーストラリアの学校の特徴って、何かありました?

康生くん:そうだね、どんな感じなんだろう。比べる対象があんまりないから難しいけど、一言で言うと『自由』って感じかな。

日本と比べて校則もあんまり無かったし、自由に学校内を歩き回ってた。あっそれは普通か笑。

あとこれは、学校とか関係ないかもしれないけど、人がね、いい意味で「他の人に興味がない」のよ。

僕が一番思ったのは、オーストラリアの学校っていじめが少ないこと。個人的には日本が一番いじめの件数が多いんじゃないかって思うけどね。

だからなんとなくだけど、オーストラリアの他の人に興味ない感じが、自分は心地良く感じていましたね。仲良い人とそうじゃない人ははっきり分かれているみたいな。

しぶい康生くんの写真

自分:そうなんだ。最初とか環境に馴染むの結構大変じゃなかった?

康生くん:そうだね。結構馴染むのは早かったと思います。多分、昔から「適応力」みたいなところは、自分でちょっと自信があって。

環境に対してもそうだし、ゲームとかもちょっとコツをつかんだらすぐにうまくできるようになるみたいな性格でした。だから、向こうに行っても、割と人とすぐに仲良くなったね。

友人と一緒にパシャリ。


なんのために大学に行ってるんだ。


自分:なるほど。ありがとうございます!では、高校を卒業をした後の選択はどうでしたか?

康生くん:大学に進学しました!進学をしたけど、当時の自分は「選択」に対して何も考えてなかった。

自分:というと?

康生くん:大学に行くことが当たり前だと思っていました。それ以外の選択肢をあんまり考えていなくて。これは日本でもオーストラリアでも風潮は似てるんじゃないかって思います。

あと、兄貴の影響が大きかったかな。兄貴が大学に行ってたから、僕もそれしか見えていなかったというか。

ただ、正直、第一志望の大学には入れなかった。

高校3年生で友達とめちゃめちゃ遊んでいました。遊んでいてもどうにかなるだろうと思って。

映画見に行ったり、友達の家でパーティーしたり、ゲームしたり。うん、たくさん遊んでいたね笑。

自分:大学は何学部だったの?

康生くん:地元の大学に進学して、工学部かな、工学部に入りました。クイーンズランドっていう地域の大学です。

そして、大学に1年通って、中退しました。

自分:あっ、そうなんだ。何か理由があるの?

この選択に至ったのは、2020年ごろだったかな。僕は大学2年生で、コロナが流行り出した頃でした。

自分:その時期か。

康生くん:コロナが流行り出して、結構オンライン授業が増えました。

ここからは、僕の責任でもあるんですが、以下のような流れで進んでいきました。

オンライン授業が増えて家にいることが増えた→家に任天堂スイッチがやってきた→どハマり→勉強しません→単位落とします。

自分:流れを見たけど、中々衝撃的だね笑。

康生くん:そうです。そして、単位を落として、考え始めたんです。

なんのために大学行ってんだって。

そもそも学費がめちゃ高い。

そして、大学には海外から興味があることを勉強しにきた人もいる中で、僕は勉強を楽しいと思えなかった。勉強が嫌やったんです。

自分:そうなんだ。ゲームの話とかちょっと意外。

康生くん:ゲームし出したらとまらないですよ。だから、今はゲームを奥にしまい込んでいます笑。

笑顔の康生くん


フリーター生活。でも、死ぬ未来は見えない。


自分:中退した後は、どうしたの?

康生くん:僕は大学を辞めて、日本に帰りました。

お父さんだけが日本に残っていたので、日本に帰って何かしようと。大学とかも一瞬考えたけど、結局勉強したいことないしなと思って入りませんでした。

だから、とにかくバイトはせなあかんと思って、近くの好きなラーメン屋さんでバイトを始めました。

今振り返ると、ザ・フリーターのような生活してたな。

ラーメン屋でバイトして、友達と遊んで、っていう生活が1年半くらい続いていましたね。

バイトをしていたラーメン屋の写真。美味しそ〜。

自分:そうだったんだ。ちなみに家族とかに何か言われたりしなかった?

康生くん:そうだね。ありがたいことに、2人とも好きなようにさせてくれてたね。でもたまに、お母さんは「大丈夫?」って聞いてきたりはしていて、「こういうこともあるよ」みたいな選択肢を教えてくれてたりはした。

二人とも自分の想いを尊重してくれるのが本当に伝わってきましたね。

ただ、正直その1年半はめちゃめちゃ楽しかったし、楽だったけど、今思うとあの期間は「空白」だった。今思えば、あの期間が無くてもよかったなとは感じる。あの期間が無くても、今の自分にたどり着けたなって。

自分:なるほど。なるほど。

康生くん:でも、もしアルバイト以外に何かインターンとかしてたら、人生を変えてくれた「project:ZENKAI」には出会えなかったし、そのための期間だったと思ってる。

自分:そうか〜。何て言うんだろう、留年や浪人とかの期間って、結構自分を顧みる期間になると思っている。

康生くん:そうね。でもこの1年半の期間にはそこまで考えていなかったな笑。

正直ね、その頃から自分に根拠のない自信があった。

だから、 自分に自信あるし、なんか死ぬ未来見えへんし、今はなんもしてないけど、やるときやるわ、大丈夫や。

みたいなテンションでその時は生きてましたね。


直感を信じた、project:ZENKAI。


自分:1年半バイトをして、そこからはどうしたの?

康生くん:そこからはね。さっきも言ってたけど「project:ZENKAI」っていうキャリアプログラムがあって、そこでインターンを始めたんです。

自分ほう!急に出てきた。インターンって大学生以外もできるんだ。

康生くん:僕もインターンって大学生しかできへんやろって思ってたんだけど、仲良い友達が「そうじゃないよ」って教えてくれて。

一般人でもインターンできるんや!ってことで、どんなインターンがあるのか探し始めました。

自分:その友達イケてるね!

康生くん:そう。イケてるのよ。そして、そのイケてる友達がTwitterで教えてくれたのが、三浦宗一郎(以後、そうちゃん)さんのインターン募集の投稿で。

なんかビビッときた。この人や!って。そうちゃんの記事を読んでみて、より好きになって。この人に集まってくる人はきっとおもしろい。

そう直感で感じて、すぐ応募したって感じやね。

自分:熱いね。。

康生くん:当時から多分おもしろい人に憧れを持っていたんだと思う。あ、おもしろいっていうのは、『interesting』のほうね。「funny」じゃなくて。

当時のインターン募集の時の画像


『おもしろい』に隠された憧れの秘密。


自分ほう。その「interesting」と「funny」の違いをもっと聞きたい。

康生くん:これは結構主観も混じっているけど、funnyはそれこそお笑い芸人さんとかが一番わかりやすくて、面白い人間って感じ。笑わしてくれる的なイメージ。

逆にinterestingは、生き方とか人生がおもしろい人。日本語訳は「興味がある」みたいな意味だけど、なんか自然と興味が湧いちゃう、そんな人間に憧れるんよね。

自分:なるほど。

康生くん:一般的なルートは就職して、会社でサラリーマンとして過ごしてっていう選択が当たり前だった当時の自分にとって、そうちゃんの生き方は衝撃だった。

ああ、そうか。こんな生き方もあるんだって勇気が湧いたんよね。

自分:そうだったんだね。project:ZENKAIは3ヶ月間のプログラムだったと思うけど、その3ヶ月はどんな感じだった。

康生くん僕にとっては、次のステップに進むっていうハードルがすごい低くなったね。何か新しいことを始めるにしてもそうだし、何でもやろうと思えばできるやんって思えるようになった。

自分:それは生徒との話し合いで?それともワークを通して?

康生くん:でいうと、ワークかな。ワークっていうか、3ヶ月間、そのオンラインコミュニティで過ごして、どんどん変わっていったんよ。

プログラムの3ヶ月目は、行動してみることを大切にしてたんだけど、そこで、いろんな人が挑戦するわけ。

で、俺もそこでなんかしたかったから、今まで怖かったけどしたかったことをしよう!と思って、ヒッチハイクをやってみたんよね。

最初は大阪から豊田かな。

自分:結構、遠いね笑。

康生くん:ほんまに運がよくビギナーズラックで順調に行けて、とっても楽しかった。

自分:何が特に楽しかった?

康生くん:そうだね。「できる」っていう事実かな。無料で大阪から豊田まで行けたっていう事実に、なんかおもしろみを感じたんだよね。あれ、意外とできるじゃんって。

もちろん、人との出会いも楽しかったし、何か新しいことを自分がしてるっていう感覚も楽しかった。

今までやったらせえへんかったことをする。トイレの横で、ただ「○○方面」と書いた紙を持って立つ行為ですら新鮮なわけさ。

新しいことをすると、割と自信がつくし、挑戦するハードルは下がるよね。

その次、さらにハードルが下がったきっかけが『お遍路さん』やね。


四国を歩いて一周。お遍路さん、君に決めた。


自分:お遍路さん!香川出身だから、興味がある。

康生くん:ZENKAIのサポーターをしている仲間にお遍路をしながら参加している人がいて。

自分:おお。中々のパンチ。

康生くん:いや、えぐいよね。もともとお遍路は知ってたけど、実際に歩いてるバケモンがおるやんと。

そこで「お遍路さん」という選択肢が目の前に現れて、ZENKAIが終わった後に別にすること決まってないし、とりあえずお遍路するかってなって行動を起こしました。


多分この世には、やったことないけど楽しいことっていっぱいあるやん。でも、たまたま目の前に現れてきた選択肢が「お遍路さん」で、その選択をしないと後で後悔するなって感じたから選べたよね。

自分なるほど。なんかポケモンみたいやね。「君に決めた!」みたいな。

康生くん:よくわからんけど、多分そう笑。目の前に現れたから、それをただ取ったみたいな。お遍路ぐらい楽しい選択肢がポンポン現れたら迷うと思うけど、それしかなかった。だから選んだ。

母親には「無理や」ってめっちゃ言われたけどね笑。

もちろん不安もあったけど、自分に自信があったし、生きていけるとは思ってた。

自分:どれくらいで歩けるの?

康生くんお遍路さんは45日で歩いたね。

自分:そんな期間で歩けるんだ。

康生くん:そうだね。歩く前と歩いた後ではさっきも言ってたように、ハードルがまた下がった。さっきも下がっていたけど、もう1個下がったね。もうどんどん挑戦するたびに下がるのよ、ハードルは。

お遍路さんをしながら、はい、チーズ📸


『YOLO』


自分:ハードルが下がると、どんな変化が起きるの。

康生くん:いい質問だね。僕はお遍路さんとかヒッチハイクで2つのハードルが下がった。

1つ目は、自分や他の人が無理って言ってたこともそうだし、想像できへんようなことを実際やってみると、結構『いい未来』が待ってることを実感できたこと。

2つ目は「自分の直感を信じて良かった」体験になったこと。

だから、この頃から「人生は1度きり」っていう実感がすごい湧いてきました。

僕は高校生の時からオーストラリアのスラングで『YOLO』っていう言葉を使っていて。

英語で書くと「You only live once」〜人生は一度きり〜っていう意味。

この言葉をオーストラリアにいた頃はふざけて使っていたんだけど、ここ2年くらいでとても実感してる。

特にZENKAIでインターンしてから思うようになった。

ZENKAIが終わった後に、お遍路さんをして、余計に自分の人生は一度きりだと意識するようになった。したくないことはしたくないし、やりたいと思えることをしようって心に決めた。

自分そこで熱波師を?

康生くん:そう。日本に帰った時からサウナが好きだったというのもあってその働き方を知った。

あと、1回実家を出てみたかった。別に実家めっちゃ好きやったし、料理は出てくるし最高だったけど、でもちょっと甘えすぎやなって思った。

だから関東で、サウナでアルバイトを探して、見つかったのが横浜のサウナ。

自分:すごい挑戦だね。

康生くん:そうだね。どんどんハードルが下がっていたから、実際にどんなサウナがあるのか下見して、ここが良い!と思った場所で働けることになった。一目惚れだね。


新しい『目標』


自分:なるほど〜。熱波師って資格とかいるの?

康生くん:資格はいらない!というか、実際半分ぐらい大学生だった。バイトしていたところがAKB48のフォーチュンクッキー流しながら、サウナをしてたから中々バグってるよね。最高だけどね笑。

ただ、東京に来てから8ヶ月間は家がない状態で、友達の家に居候したり、家を転々としていた。いま僕はZENKAIで出会った仲間と4人でシェアハウスをしているけど、無事、家が見つかってよかったね笑。

自分すごい縁だね。これからはどうするとか決まっているの?

康生くん:ナイス質問。そこのサウナ施設で出会った人たちと一緒に、サウナを作ろうっていう誘いを受けて、今計画してます。

サウナを作るっていう新しい『目標』ができた。

自分:めっちゃいいね。

康生くん:お金の勉強をしながら思っていたのが「自分で何か作りたい」ということ。

それこそ自分で開業するとか起業するっていうのに、ちょっと憧れてたっていうのもあって、今回のサウナ作りに関わっています。

今思えば、挑戦のレベルは着実に上がっているよね。だけど、これは一歩ずつ挑戦を重ねてきたからだと思っていて、その始まりがZENKAIであり、YOLOっていう言葉だったりするんだよね。

自分の中で「interestingな方向」にずっと人生が進んでる感覚がある。

そこには様々な出会いがあって、出会いから生まれる選択肢があって、そのボールを掴んできた感じかな。


これからの展望。サウナのその先。


自分これからこういう生き方をしていきたいっていう展望はありますか?

康生くん:そうだね。明確にはないけど、最近ほんまにいいなと思ってきた選択肢があって。

それが誰かの『やりたいこと』を応援すること。

結構、具体的な話になってくるけど、僕は「世界の人を幸せにしたい」とか別に思わへんの。例えば、貧富の差をなくしたいとか、アフリカにいる子どもを救いたいとか思わへん。

でも、この世の中にはそういう熱い想いをもった人たちがいて、僕はその人たちを応援したいと思った。

だから、そういう熱量のある人たちが、夢を実現できるように「助ける」っていう仕事をしたいなと思った。そんな方向に行くっていうのが50年後の俺の生き方の目標。

自分めっちゃおもろいね。それも熱いよ。

康生くん:ハッシャダイみたいな存在を、僕が作るんじゃなくて、それを作ってる人がこの世の中におって、その人を助けるみたいな。きっとお金で助けれることはいっぱいあるやろうから、助けられればそれでいいなと。

いい意味で、人生は一度きりやし、これからも目の前にあるおもしろい選択肢を選んでいくんだろうけど、どれも自分の生き方になっていくんだと思う。

だから、これからの人生も楽しみだね。

自分:うん。楽しみ。今日はお話をしてくれてありがとうございました!たくさん勇気付けられる話でした!

康生くんこちらこそ、ありがとうございました〜!

お話を聞いて


康生くんは、いい意味でまっすぐな人。嘘をつかない。自分の気持ちに正直に生きようとしている。そんな彼だからこそ、伝えたいと思い、今回のインタビューが生まれました。

熱くなりすぎて、8000字という、誰がこんな長い文章を読むんだと思ってしまうんですが、この記事がさらなる『誰かの熱量』を生むことができたらと思っています。

その中でも特に印象に残ったのが『YOLO』です。自分の人生が一度きりだからこそ、楽しむ。気軽に「よろ〜」と言いたくなるフレーズ感もとてもいい。

自分の人生は自分にしか生きられないからこそ、人生は楽しんで生きていたいのです。

それは別に、自分勝手に生きるということでは無くて、自分の人生を生きるという覚悟であったりします。

そして、僕は思います。その覚悟をもった時、第2の人生が始まると。

そして、まだ何者でもない人生だからこそ、何色にでも染めていけます。

一緒に、この世界を主語に、楽しんで生きていきましょう。

ここまで読んでくれたあなた、大好きです。
次はあなたの話を聞きにいくかも。

では、また。


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