かけられてうれしい言葉を、かけていこう。
今日は一日、楽しかった。いや、ここ半年おそらく毎日楽しい。
楽しいというのは楽しめてるという意味でもあり、もちろん大変なこともあるのだけれど、それを上回るくらい、「今日はうれしかったなあ」と思うことが多いのである。
僕はあるnoteで「うれしい」という感情の素晴らしさに改めて出会うこととなった。
文章で「うれしい」とはどんな文章なのかを考える。
いやいやおい待てよと。僕もその感情になったことがあるぞと。
最近は本当に素晴らしいコンテンツが溢れている中で、とりわけ僕が心を惹かれるのは、ほぼ日の奥野さんが担当した記事たちだ。
タイトルで惹かれ、前書きで惹かれ、中身で惹かれ、本当に何度も美味しい文章を味わっている。
いつかこんな編集ができたらなと、心に思いながら、僕は僕のやり方で、人に「うれしい」言葉をかけていきたい。
でも、それは忖度とは少し違う。僕はほぼほぼ思ってないことを言うのが苦手で、悪口が苦手で、思ったことはすぐ口に出る。
もちろん場面はわきまえているが、「いいなあ」と思ったことは積極的に口に出すようにしている。
人は、やっぱり素直に褒められるとうれしいし、どんな関係性の人にその言葉をかけられるかでも、大いに意味は変わってくる。
そして、それらの行いの大切さは、どうやら薄れているのかもしれない。僕がそう言った言葉をかけると「わざわざありがとう!」と返してくれる。
僕にとっては「わざわざ」ではないのだが、もしこれがわざわざだったのだとしたら、僕はわざわざができるような人でありたい。
今日も読んでいただきありがとうございました。足を運んで、会いに行って、一緒にご飯を食べて、笑い合うことを、ずっとしていきたいものです。
ではまた!
20230929-森本瑛
もし、記事を読んでみて笑ったり、感動していただいたり、心が動いたりしてくれたのならそれ以上の喜びはありません。心からの“感謝”をあなたに、ありがとう。