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上を向いて歩こう。

小さい頃から僕は誰かの目を気にしていたと思う。今もたくさんたくさん気にするこの目は、誰かを喜ばせるためにあるのかもしれない。

上を向いて歩こう。

この文章は小説ではない。ノンフィクションではなく、物語でもないのだが、最近はとても生きづらい世の中になっていると思う。(唐突っ)

SNSは普及し、ウイルスで身近な人に会うことも難しくなり、人の目を気にせずには、生きられない世の中になってきた。

「人の目を気にするな」という謳い文句が、本屋に溢れているが、その言葉が使われれば使われるほど、他人の目で悩んでいる人の多さを表しているだろう。

これは時代か?と聞かれれば、そうだと言うしかない。

だが、人の目を気にしてしまうからこそ、出せる力もあるのではないか、とも思う。

もし僕たちがただただ繊細になっているだけじゃ割りに合わないじゃないか。と、SNSに抗議文を送ることもしたくない。

今の社会は繊細さんが多いと思うが、繊細かどうかの中にもグラデーションがある。情報をたくさん受け取ってしまう人は、それだけ悩むことも多い。そして、それだけ日常から得られるものも多い。

じゃあ、どの時代でも、自分を活かす方法はあるんじゃないか。

そう思って、提唱したいのが、

「上を向いて歩こう論」だ。

みなさんもご存知、坂本九さんの名曲、「上を向いて歩こう」を参考にした生き方である。

この曲をもう一度聞いてみてから、この文章に戻ってきてほしいのだが、初めに言っておく。

僕が提唱する、この論はそんなに大した内容ではない笑

だが、僕は大したことがないことを、大したことがあるように言うことは得意だ。誇張モノマネならぬ、誇張文章だ。(サギ師みたい)

「一人」と「孤独」は少し違う。

まず初めに、坂本九さんの歌詞を引用する。

上を向いて歩こう
涙がこぼれないように
思い出す 春の日
一人ぽっちの夜

上を向いて歩こう
にじんだ星をかぞえて
思い出す 夏の日
一人ぽっちの夜
幸せは 雲の上に
幸せは 空の上に
上を向いて歩こう
涙がこぼれないように
泣きながら 歩<
一人ぽっちの夜

思い出す 秋の日
一人ぽっちの夜
悲しみは星のかげに
悲しみは月のかげに
上を向いて歩こう
涙がこぼれないように
泣きながら 歩く
一人ぽっちの夜
一人ぽっちの夜
(坂本九さんの「上を向いて歩こう」から引用)

改めて歌詞を見てみると、上を向いて歩こうと言う割りには、ネガティブなワードが使われていることにも気づく。

ただただ、「上を見ようぜ!yeah!」みたいなメッセージではないようだ。

僕はこの「上を向いて歩こう」から、生きづらい社会を生きる術を学べるような気がする。

独りでは生きていけないけど、「一人で生きていける力をつけよう」とは言われる。

一人で生きる。

なんてキャッチコピーも使われるくらいだ。

一人と、独り、では一体何が違うのか。

僕は“じりつ”という言葉にヒントがあると思う。

「じりつ」とは、自立と自律があるが、両方とも自分で生きることを目標にしていると思う。

この言葉は思ったよりも難しい。自分で生きることを目標にしているのに、人の目はどうしても気にしてしまう。

でも、人の目を気にするということは、悪いことばかりではない。

人の目を気にする=人のことをよく見ている

人のことをよく見ている=人のことを考えられる

人のことを考えられる=人が喜ぶことを考えられる

つまり、この文章を読んでいる僕もあなたも、
人を喜ばせることに長けた存在なのだ。

僕の尊敬する方は、

働くとは人が喜ぶことと、人を喜ばせようとすることの間にある、と言った。

エンターテイメントも、工事現場も、公務員も、サラリーマンも、究極は人が喜ぶことを仕事にしている。

誰もが人を喜ばせることができる時代で、僕たちは人のことを考えることができる。

それだけでいい時代になりそうだ。

今の日本は、超少子高齢化で、問題も多く、困っている人が大勢いる。世界に見る幅を広げれば、もっともっと大勢いる。

そんな世界で、あなたが生まれてきたことには価値がある。

人を気にすることは悪いことではなく、あなたは人を喜ばせる天才なのだ。

生きていい、やさしくあってほしい。

そんな思いを空に込めて、

上を向いて、歩こう。

ではまた。

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