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自分のことは自分で!

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人が子どもに何をし、子どもから何を奪い、その時の子どもが何を失ったか、そういうことがなければ何者であったか、すべてに気づかぬよう(早期に)教育された者は、大人になっても(どれほど知的な人間でも)他人の意志を自分のものであるかのように感ずる。

アリス・ミラー『魂の殺人ー親は子どもに何をしたかー』
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私を今、いちばん苦しめているのが、この思いです。

自分のことは自分でやる。
自分のことは自分で決める。

自分のことは自分でしか決められないのは当たり前のことですし、では代わって他人が決めたとしたら、納得行かずに結局また迷ってしまうから不毛です。
それに誰かがやり始めたことに乗っかろうとしても絶対上手くいかない。
すぐに他人が決めたことのアラが見えてしまって、嫌になってしまうのです。

本当に、自分でもどうしようもないと思います。

自分で決断して実行するか、他人に巻かれて嫌なことも我慢するか、「どっちかにしろよ!」と自分でも情けなく思います。

こんな迷いの根底は、やはり毒親の影響が大きい。毒親の一貫性の無さが、こんな苦しみを生み出しているんだと思います。

子どもの決断を尊重し、やりたいことをやらせるのか。
子どもに介入をするなら、突然子どもに丸投げせずに、きちんと最後まで責任を持って介入するのか。

そういうことが親として出来ないと、子どもは成長するに従って、自分がどう振る舞うべきかわからなくなってしまいます。
小さい頃は、
「何でも親の言うことを聞いていればいい。
自分の頭で考えなくて良いし、自分で考えたことはすべて間違っているから、何も考えずに従いなさい」
というメッセージを送り続けてきた親が、
子どもが反抗期になった途端、
「言う事を聞かないなら、もう勝手にしなさい!後は一切フォローしない!」
と突き放す。
子どもの方は、やっと親から解放されたと思って喜ぶが、社会を知らないので無謀な行動をしたり、とんでもない失敗や失態を犯してしまい、
「やっぱり自分が考えて決めたことは間違いだらけだ!」
と自信を無くすか、
逆に開き直ってどんな悪事でも平気でやるようになってしまう。
そんな不安定な人が、とっても増えている気がします。

成人したらもう、その人の取る行動は本人の全責任なのです。
しかしその前に『社会人』として育ててもらえなかった、何も教えてもらえなかったという原因がある。
その親の罪は永遠に棚上げです。

よく「最近の若者は、言われたことしか出来ない。言われないとやらない」とボヤく高齢者が居ますが、それなら
「あなたは子どもが幼い時に、きちんと何が必要で何が不必要かを教えて来たのですか?」
と問い掛けたいです。
もしかしたらそういうことを言う高齢者の中には、
「そんなもん、教えないで自分で考えればいいだろ」
と、まだ幼児期から放置してきた人もいるのではないでしょうか?
あるいは、幼児期には全部大人の言う通りにさせていて、突然『自分で考えて決めろ!』と放置したとか?

親として、大人としての役割が全くわかっていない人が多いです。
子どもを躾で支配するのは、単に自分が楽だから。
子どもを何でも放置するのは、単に自分が楽だから。
それだけのことなんですよね。

子どもというのは、それがおかしいとか、常識から外れているとか、親が自分のことしか考えていないなど、全くわかりません。
自分の家庭しか知らないし、大人の見本は親しかいないので。
けれど思春期になって交友関係が広がったり、成人になって社会人としての世の中に関わるようになって初めて、自分の親が不完全で、社会の中でもあまり上手くできていない人間だったことに気付くのです。
しかしその時にはすでに遅く、自分が教えてもらえなかった『生き方の選択』を、何も無いところから見つけ出さなくてはいけません。
そしてノロノロしていると、どんどん遅れを取ってしまうのです。

自己責任を負えるようになるには、自己責任の範囲を教えなくてはいけません。

社会は個人に自己責任を課すけれど、それを教える役割を、親という個人に丸投げしています。
だから親があまりにも不適切で自己中心的な人物だったとしても、教えられない子どもを放置し、成人になったら『そんなこともわからないのか!』と責め立てるのです。

全ての『親になる人』を健全にする方法などありません。
ならば、健全で無い親の元に生まれてしまった子どもは、社会が庇護する必要があります。
しかしそこには全く手をつけようとしない。

不健全な家庭から脱出する一つ目の関門は学校ですが、残念ながら学校が親子に責任を丸投げしてしまう現状があります。
さらに学校には、親よりも不適切な教員が潜んでいたりします。

では、福祉が介入するのはどうか?
残念ながら、法律が、子どもは(どんな親であっても)親の庇護の元に居るべきと定めてしまっているので、親が要らないといえば介入できません。

酷い国です。
子どもを丁重に育てないと、将来的に何が起きるのか?何も想定されていないのです。

ちょうど朝ドラで、戦後の家庭や子供の養育環境の混乱を描いていますが、戦災孤児に溢れていた世の中で、そばに大人がいて衣食住が維持できる環境がどれほど理想的だったのか、よくわかります。
法律は、その時制定された、『最低限の命を守る』というものから進歩していないのです。
当時は苦肉の策で、作られた子どもの生存権を守るものが、現在では

ー見ていりゃ良いんだろ?ー
ー見てやってるだけで、感謝しろよー

という風に、不適切な親に悪用されてしまっているのです。

子どもは人間の元。
丁寧に育てなければ育たない。
それでもたくましい人間は、戦後の混乱期でも生き延びることが出来てきた。
命だけは助かった。
命だけは……

命があれば、それで良いのでしょうか?

栄養を摂り過ぎて、刹那的に生きてきて、頭が退化した現代人よ。
今の社会問題と子どもの育ちの因果関係を、よく考える時が来ているのです。

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