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クレームと人格否定

こんなニュースを見ました。

551蓬莱社員自殺は「カスハラが原因」

記事によると、通信販売の電話受付を担当していた社員が自殺したのは、客からの嫌がらせや暴言が原因で、労災にあたると遺族が訴えているそう。

電話受付業務なら、客からクレームを受けたときのマニュアルや研修はあったと思われるし、他の同僚も同じような被害を受けているだろうから、相談することもできただろうし、何よりいくら暴言を吐かれても業務中のことだから個人攻撃ではないと割り切ることができたのではないか?

このニュースを見た時、最初はそう思いました。
おそらく一般的にもそういう認識になるのであろう、国側も請求を棄却するよう求めているらしいのですが。

私も仕事上でショッキングなことがあり、今の仕事を続けて良いのか悩みました。
客ではないですが、対外的な対応をしている時に相手側から
「動きがあまりにも遅い!もっと早く動けないのか?それに常識がなっていない。普通そういうことはしないだろう。前の担当はきちんとやってくれたのに」
というようなお叱りを受けたのです。
この相手というのが、かなり厄介な相手で、事情を知る人たちは、「相手が独特なので、対応が大変ですね」と同情してくれます。
私も(また始まったか。話半分に聞いておこう)という心持ちで自分を守ろうと思っていました。
ところが、上記のようなお叱りを受けた途端、一気に相手の非難を、自分の人格を否定されたように受け取ってしまったのです。
何がトリガーになったのかというと、
「前の担当ならできた」
「あなたは常識がなっていない」
というところです。

業務上の揉め事なら、業務の中で解決していけば良いのですが、そもそもその業務をこなすのに、『私』という個人が相応しくないと言われてしまったら、それ以上やりようがありません。
売り言葉に買い言葉、と言ってしまえばそれまでですが、どんな人でも自分の業務に絶対的自信を持ってやっているわけではないし、ましてや自分が経営しているわけでなければ、個人の意向と会社の意向が違って当たり前。
不本意ながらもその任務を全うしようと努力しているわけです。

さらに追い討ちを掛けたのは、同僚たちの言葉でした。
相手の怒りは理不尽だとしても、私の対応が相手を怒らせたのだと決めつけてきたのです。
難しい相手だからこそ、そこはきちんと対応すべきだった。相手の言い分にも一理あると言ったのです。
結果的に、複数の人から
「あなたの対応の仕方が良くなかった。難しい相手とはいえ、常識的な対応をしていれば相手をここまで怒らせずに済んだ」
と言われてしまったのです。

嫌な相手、話の通じない相手は、どんなに受ける側が工夫しようとも絡んできます。
その時、心にバリアを張って自分を守ることができなければ相手の非難をまともに受けることになってしまいます。
守るか守らないか、0か100かという姿勢でないと、理不尽なクレームからは心は逃れられません。

さらに商品や業務内容に限った話ではなく、社員の姿勢や性格にまで言及するなど、人権侵害です。
クレームを受ける社員はあくまで『社員』として受けているわけですから、その個人が仕事に向いているかいないかは、採用した会社が決めること。もし向いていない社員を採用して問題を起こしているのなら、会社にも大きな責任があるわけです。
「社長を呼べ!」と言うべきです。

組織はこの辺りをわかっていないし、無責任です。
私も、同僚に要らぬ指摘を受けて、「私がこの問題を引き起こすような素質があるからいけないの?」と、一時思い詰めてしまいました。
よく考えたら、私の担当する案件の詳細をよく知りもしないのに、一部だけ見てそう言ったのです。

ジェンガを引き抜く番になって、どこもグラグラして抜けそうに無い。それでも何とか引き抜けそうなところを探して慎重に抜いたら、結局崩れてしまった。
しかしクレーマーや、ディスりたいだけの人たちは、崩れたその音に反応して飛んできて!
「あーあ、なにやっているの?」
「なんでここを引き抜こうと思ったの?別の場所にすればよかったのに!」
「あなたはジェンガをするには向いていないのよ。やらなければよかったのに」
と口々に責めるのです。
そして悪質なことに、それが相手を人格否定していると気づかない。
むしろ今後その人が良くなると信じてアドバイスをしているんだと思い込んでいるのです。

いくらその人が素晴らしくても、崩れるジェンガは崩れる。
いくら工夫しても、次回から絶対にジェンガを崩さない方法などありはしない。
たったそれだけが真実です。
しかしその真実を見もしないで、崩したことを責める。さらに崩したのはその人の性格や行動にあると責める。
これはイジメやリンチと同じです。

過労死した社員が、どこまでどのように、誰から追い詰められていたのかは、今となっては調べようがないのですが、今証拠として上がっている客からのクレームも、個人を追い詰める悪質なものであり、それを受け流せなかったことを会社が個人の責任としていたとしたら、逃れようのないリンチの中にいたと考えられます。

死を選ぶほどに個人を弱らせるような悪意が、あちこちに転がっている。
この事件を労災と証明できない法の抜け穴に、そうした悪意はつけ込んで、今後多くの働く人を追い詰めていくのではないかと、私は思います。

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