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今村夏子さん『木になった亜沙』読書感想

この本は、ファンタジーの要素を入れつつ、生と死、生物や自然界の循環をテーマにした小説です。

少し不気味なイメージの表紙に沿った、不思議な世界が早い時間軸で展開されます。この作品について、ネタバレ含みつつ考えてみます。

主人公の亜沙は、子供のころから「自分が料理したり、手に取ったりした食べ物を他人に受け取ってもらえない」という悩みがありました。給食当番の亜沙が器に盛ったスープを誰も手に取らなかったり、養父母の子供の赤ちゃんのために作ったミルクを飲んでもらえなかったり。

そんな中、ある日家庭訪問に担任の先生がきます。亜沙が出した饅頭にいっこうに手をださない先生に、我慢できなくなった亜沙は「毒なんて入ってません、私は汚くないです」と泣いてしまいます。「逆です、君の手はきれいすぎる」と言った先生に、亜沙は惚れてしまいますが、先生には妻子がいました。

ある日亜沙は、青年のもとへ割りばしとして生まれ変わり、生活をともにします。まず、使い捨ての代表格である「割りばし」を転生先にしている意外性が感じられますが、割りばしにした理由は、割りばしのもととなる「木」が「青年がおいしそうにご飯を食べるのを、箸として一緒に体験できる」ことがまず第一にあるのと、また、「木」は循環に強く関連するものだからと考えられます。

木や森は、海と密接な関係があり、雨により水が循環していくことで、自然が保たれていますし、また「木」は紙や建材のもととなり、工業的にも生活に深く関わっているからという見方もできると思います。

木になった亜沙は、わりばしにされすぐ使い捨てられるのかと思いきや、転生先の青年の家で、何度も洗って利用されます。青年がおいしそうにご飯を食べるのを箸として手伝えることに、亜沙は喜びを感じます。

亜沙が箸になったあと「杉の木の亜沙は、ある日足元から切り倒された」「若者は(割りばしになった)亜沙の腕を掴んで縦に割った」と、亜沙の身体の部分を提示しリアリティを出しています。割りばしになったあとの亜沙の「腕」というのがどこかなのは不明ですが、小説の世界に引きずり込む仕掛けなのだと思います。そういう描写があったあとなので「若者は、亜沙でたまごかけごはんをかきこんだ」などのシーンも、あまり違和感なく文章として飲み込めるように設計されていると思いました。

若者の家は、物がたくさん積まれあふれそうになっている家屋なのですが、木になった亜沙以外にも、部屋には大勢の生まれ変わった物たちがいました。物が多すぎるため、行政により片づけられそうになる物たちは、役所の人間と戦いますが…という話の流れで小説は落ち着きます。

時間的にとても早い流れの中で、ユーモアを交えつつ「循環」や、また日本的な「物に神様が宿る」ことを表現していっている小説だと思います。

循環をテーマにした作品でいうと、星新一さんの「聞こえますか」もおすすめですね。こちらは環境問題への喚起の色が強めです。

今村さんの別の作品である「星の子」という作品も図書館に並んでいたため、あとで読んでみようと思います。

ありがとうございました。

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明石わかな  | 本
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