ヘッセ作『車輪の下』 読書感想
この本は、過度な教育という車輪の下じきになった、ひとりの少年を描いた話です。
ヘッセが書いた別の小説は、わたしが小学校の頃の教科書に載っており読んだ覚えがありますが、今回は『車輪の下』についてネタバレしつつ考えてみます。
作者の故郷であるドイツを舞台に、自然豊かな情景描写を絡めつつ、主人公ハンス少年の半生を描いています。主人公ハンスは田舎町で育ち、幼い頃から成績が優秀でした。1890年代の頭のきれる子は全員そうだったとおりに、ハンスも10歳頃から神父になるため神学校に入ります。今で言うエリートコースですね。9歳頃まで通っていた学校の先生や、父親の期待はあったにしろ、ハンス自身も望んで神学校に入学します。
試験も順調に行き、ハンスは街の神学校に入り、外国語の勉強など多くの知識を詰め込みます。はじめは良好な成績をおさめていましたが、勉強ばかりの寮生活のストレスや、釣りや虫取りなど自然と触れる時間を取り上げられたこともあり、ハンスの精神は少しずつこわれていきます。
また神学校の中に、今でいう不良の友達ができます。詩が好きだったり、女の人も少し知る不良の友達ハイルナーは、教師を辛辣に批判した新聞を発行したり、授業をさぼりまくったりします。なぜ二人が仲がいいのか、教師の間では理解不能な二人の友情が生まれます。
ドイツは寒く、針葉樹が中心の暗い森林が多い土地ですが、作品内には「美しい森の中を、初冬のこがらしがうめいたり歓声をあげたりして吹きすさんだ」といった情景描写もあり、主人公の楽しさもにじみ出ています。
真面目な主人公とは反対の、熱のある感情を持つハイルナー、恋愛に似た熱い友情がふたりの間にうまれます。しかし詩や芸術への強いあこがれや、厳しい寮生活への反発を持ったハイルナーは、あるとき学校を脱走し、もう戻ってはきませんでした。
友達の退学をきっかけにますます精神を蝕まれ、ハンスはもといた村に戻りますが、幼い頃大事に抱えていたはずの自然を楽しむ気持ちはなくなり、二度と自分に帰ってはきませんでした。
小説じたいは痛々しいラストを迎えますが、実はこれは、作者の半生を描いたものでもあります。作者には痛々しい最後ではなく、書店員になり詩や小説を書く人生がありましたが、この作品の「なぜ彼は最も感じやすい危険な少年時代に毎日夜中まで勉強しなければならなかったのか。なぜ彼から飼いウサギを取り上げたのか。…なぜ試験のあとでさえも、当然休むべき休暇を与えなかったのか」という文に、作者の子供時代における、周りの大人や自分に対する後悔がありありと見えます。
川上未映子さんの『乳と卵』でも「女の人の身体」を子供が生まれるための「容器」と形容する箇所がありますが、誰かの意思を過度な教育として受ける器は、本来誰にも備わっていないと思いました。
しかも怖いのが、学校の先生なんかは「自分の意思を入れ込んだ器のような人間を作ってみたい」なんて思ってなかったりするんですよね。結果的にそうなってしまう怖さといいますか…。
ほかの本も図書館で借りて読んでみようとおもいます。
ありがとうございました。
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