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通勤トレーニングを終えて
2月の間は復職に向けての通勤の練習のようなことをやっていた。
週平均4日程度会社に行き、タイムカードを押し、あとは帰るだけ。
たったそれだけのことだけど最初は緊張していた。
「知ってる同僚に会ったらどうしよう」
「躁鬱で痩せて体型が変わったことを言われるのも嫌だな」
でも回数を重ねるうちに慣れてくるもので、最終的には
「今日は誰に会えるかな」
と思えるくらいに前向きな気持ちで会社に向かうことが出来るようになっていた。
同僚や上司と談笑出来るくらいになっていた。
自分の中でその変化は大きく、物凄く嬉しかった。
今日は通院日で主治医との話では
「今は躁鬱の波は小さくなってきている」
「半分くらい寛解してます」
とのことだった。
「まだ半分なんだ…」と思う気持ちもあったが、数ヶ月前の地獄のような苦しみが続いてた日々を思い返せば、「ここまでよう生きたな私」と思う。
精神的には何度も死んだ。
自傷行為もした。
身体的には一度死にかけた。
通勤トレーニングが終わって緊張の糸が解けたのか、今朝は珍しく10時半に起きた。
自分では「早起きなんて慣れたら大したことない」くらいに思っていたけど、無意識下で色んなストレスやプレッシャーがあったのだろう。
明日は産業医との2度目の面談。
その内容次第で3月のスケジュールが決まる。
少し緊張しているが、そこは「なるようにしかならない」や「なんくるないさ」的な気の持ちようでいたい。
ちなみに父はフランス語は全く喋れないのにこういう時に「ケセラセラ」と唱えるらしい。
私は「なんくるないさ」の方が個人的にはしっくりくる。
仮に復職が叶わなくて退職せざるを得なくなったとしても、しばらくは傷病手当金は支給されるみたいだし、会社の福利厚生で支給される小遣い程度のわずかな給付金も支給される。
躁状態で派手な散財さえしなければ生きていける。
もちろん、復職できればそれが1番理想なのだが。
建築士試験の勉強に関しても最近は焦らず考えるようになれている。
全く勉強が出来ない状態が続いており学校で学んだことは忘れていく一方だが、病気と付き合うことや仕事に復帰することに加え試験勉強までやっていたら確実に一杯一杯になることは容易に想像できる。
専門学校を卒業する辺りから思っていたが、私は大学に編入する進路も良いと思っている。
なぜなら私が通っていた夜間の建築学校は正に試験対策の予備校みたいなもので「遊び」がなかったから。
仕事をしながらの卒業制作の出来にも正直満足はしていない。
建築というのは学べば学ぶほど奥深い物で、デザインに関してはもちろんだがそれは「建築」の中の一部に過ぎず、構造力学のような数学的な知識、建築材料学、建築史、建築基準法等の法律、建築計画、建築施工、建築設備や環境工学など、とにかく幅が広すぎる。そして深い。
実際、専門学校に通ってみて痛感したのは「こんな責任重大な仕事をするのにたった2年の勉強で実務をしても大丈夫なのか?」ということ。
実際、欧米の先進国では多くの場合建築家になる為には大学院まで行くのが必須条件なのに、日本では専門卒でも一級建築士試験さえ突破すればどんな大規模建築でも設計できる。
「建築」という学問が日本発祥ではないことを考えると、やっぱり大学(出来れば大学院)まで進んだ方が良いのではないかと思ったりする。
だから一度「学問としての建築」を学びたいという欲はある。
躁鬱の症状を抑え貯金をし、大学に編入し、試験対策だけではない建築を学び、自分の納得のいく卒業制作を創りたいと思う。
私はもうアラサー。
人生は短いとも言えるが長いとも言える。
編入した場合のたった2年の大学生活で得られるものはその後の人生のどこかで必ず活きる気がする。
学び直すことで資格の勉強にも取り組みやすくもなると思う。
学生になることで様々な有料のCADが無料で使えるようになるのでちゃんとしたポートフォリオを作れるメリットも大きい。
私の通っていた夜間の専門学校では私より10歳以上年上の学生もいた。
それでも実際キャリアチェンジ出来ている。
私の場合、複雑な事情で大学に行けなかったという悔いがあるので自分の力で大学を卒業すること自体にも大きな意義があると思う。
まぁ、まだ「半分寛解した状態」なのでいつになるかは全く見当もつかないがそんな進路も夢見ながら過ごしていきたいと思う。
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