AKANE

双極性障害です。 同じ病気の方や身近にこの病気の方がいる、そういう人たちの励みになった…

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双極性障害です。 同じ病気の方や身近にこの病気の方がいる、そういう人たちの励みになったり、何かの参考になればいいなと思って日記みたいなものを書いています。 好きなものは音楽、映画、美術、動物、など

最近の記事

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自己紹介

亜熱帯地方の南の島で生まれ育つ。 学校に馴染めず友達関係も難ありまくりの思春期。 興味があるものは芸術全般と食べること&作ること。英語も好きだった。 でも「私の好きなもの全部フランスにあるじゃん!」と気付いた中3の時から勝手にフランス語の勉強を始めた。 「あー、この狭い島から早く抜け出したい」 やっと抜け出せたのは高3の夏。 1年間フランスの高校に通った。 初めて学校生活が楽しいと思えた。 友達が何人もできた。 何もかも美味しかった。 街並み、初めて見る雪景色、バカ

    • 双極性障害:初診から約1年経って新たに判明したこと

      タイトルの通り、双極性障害の私が最初の鬱状態で精神科を受診してから約1年になる。 精神科に行ったのはその時が人生で初めて。 それから4ヶ月くらい経ってから「双極性障害」と診断名がついた。 先日ひどい鬱状態から自殺未遂→入院をして、入院先での主治医にこれまでの病歴について聞かれたので時間をかけて話した。 そこで初めて 「ラピッドサイクラーですね」 と言われて少し驚いた。 まぁでもこの一年を振り返ってみると確かに躁鬱エピソード4回以上ある…。 ラピッドサイクラーって、もっとも

      • 精神科病院入院のメリットデメリット

        この間人生で初めて精神科病院(医療保護入院)に入院し、その内容を前回4記事に渡って書いたのだけど、主に「辛かった」「苦しかった」という感想を書いた。 だけど振り返ってみるとメリットもあるなと思ったのでデメリットと合わせて書いてみようと思う。 私の場合は自殺未遂からの医療保護入院という流れで、自ら「入院したい」という意思は当時なく、親族の同意の元、医師の判断で入院に至った。 入院は不本意だったので当然辛いし苦しかったというわけである。 今はもう退院し当時の希死念慮も消え、普

        • 5月:初めての精神科病棟入院、等々④

          〜前回の続き〜 これまでの記事はこちら 普通の病室に移ってから一番嬉しかったのは窓の外を見れることだった。 もちろん部屋の中にトイレ(扉なし)がないことも。あれがあるだけで一気に「映画で見る刑務所感」が出る。 考えてみたらあの保護室はなんで窓の外を見えないように作られていたのだろう? 日光を少しも浴びれないのは精神衛生上良くないだろうに…。 あの空間で布団に座ってご飯を食べる事も。 「あなたのことを思って」 とか 「あなたの命を守るために」 なんてことを言われながら

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        自己紹介

          5月:初めての精神科病棟入院、等々③

          〜前回の続き〜 過去の記事はこちら 保護室に入った初日から翌日までは完全に鬱だった。 こんなひどい部屋に入れられた私は悪いことをして罰を受けてるんだと思ったし、すぐ近くにトイレがあるせいで食欲が湧かずあまり食べれなかった。 スマホを触れないため誰かと連絡を取ることも出来ず、それによる孤独感も辛かった。 保護室に入った翌日、離婚したが今は親友のような関係で一緒に同居している元夫が病院に来てくれた。 何も持たずに入院した私のために色々と荷物を持ってきてくれたらしい。 普通

          5月:初めての精神科病棟入院、等々③

          5月:初めての精神科病棟入院、等々②

          〜前回の続き〜 前回の記事はこちら またまた救急車で運ばれた。 記憶はあまりないが頭がすごく痛かったのは覚えている。 総合病院に1泊入院したが入院中の出来事や会話の内容はほとんど覚えていない。 退院する直前に精神科の病院に転院することを勧められた気がする。 勧められたというか転院することが決まっていた?あまり覚えていない。 病院を出て同居人(元夫)と一緒にタクシーに乗せられ転院先の病院に向かった。 まだ頭も身体もフラフラしていた。 病院の夜間受付の窓口に行き、職員が

          5月:初めての精神科病棟入院、等々②

          5月:初めての精神科病棟入院、等々①

          5月に起こったことを書き残しておこうと思う。 始まりは5月3日。 出勤すると同僚に「どうしたの?なんか表情が暗い気がするけど大丈夫?」と言われた。 自分では全く気が付かなかったから驚いたけど、初期の鬱ってこんな感じで症状が現れるんだよな。 未だに自覚するのが難しい。 それからは階段を転げ落ちるように鬱が酷くなった。 最初は「動作や歩くスピードが遅くなる」「頭の回転が遅くなる」「疲れやすくなる」 その次は「ベッドから起き上がれない」 この時点から欠勤が続く。 そして

          5月:初めての精神科病棟入院、等々①

          4月のドタバタ

          休職中は時間があったし病気と向き合う時間が多かった為なかなかの頻度でnoteを更新していたが、復職後は忙しかったり疲れていたり、そもそも書くネタがなかったりしてnoteを更新していなかった。 復職したのは良かったものの、この不景気の影響で元々短時間正社員の私はシフトをなかなか入れてもらえず(正社員といいつつシフト制)、「え、こんなんじゃ生活できないよ。生きていけない!」という状況に追い込まれた。 休職期間中は傷病手当金というのが協会けんぽから入るが、それは元々貰っていた給

          4月のドタバタ

          双極性障害:寛解直近?

          先日通院の際に主治医に聞くと、 「もうほとんど寛解に近いですよ」 と嬉しい言葉を貰った。 私「具体的にあとどれくらいで寛解しそうですか?」 先生「あと2ヶ月くらいだと思います」 あと2ヶ月ということは、6月頃には寛解してるのかもしれないということになる。 考えてみれば重い鬱で初めて受診したのは去年の6月だった。 ちょうど丸1年か。 最近は頓服を飲む機会もだいぶ減り、通常モードの自分になってるなぁと自分でも思う日が多かった。 そして今朝、ふと 「勉強してみようかな」

          双極性障害:寛解直近?

          仕事終わりのお酒は美味い

          復職して初日は3時間勤務。 それでもけっこう疲労感はあった。 1日休みがあり、そしてたった4時間半勤務の2連勤。 たった4時間半なのに疲労感は半端じゃなかった。特に1日目は。 2日目は慣れて来たのか少し疲労度は軽かった。 そこでふと、 「仕事終わりにお酒を飲む」を約7ヶ月ぶりにやってみたい! と思い立ち、やってみた。 これが予想以上に美味しくて、なんだか懐かしくて、最高だった。 私はお酒全般好きなので休職期間中もよくお酒を飲みに行っていたが、仕事に復帰してから飲むお酒

          仕事終わりのお酒は美味い

          双極性障害:7ヶ月ぶりの復職初日の感想

          重い鬱状態から休職に入り約7ヶ月経ち、本当に色んなことがあったが復職が叶い今日がその初日だった。 前日の夜はやや緊張していてお酒で誤魔化していた。 当日もなんだかハラハラした気分で、でも頓服を飲むほどでもないという感じで職場に向かった。 色んな人の話を聞いて「復職は大変だ」と聞いていたので色々覚悟していた。 自分がどう転ぶか予想がつかないので頓服は肌身離さず持っていた。 しかし、実際復職初日の感想は私が予想していたものとは全然違っていた。 「これこそが日常」 「ここが

          双極性障害:7ヶ月ぶりの復職初日の感想

          久々の帰省で環境の変化が良くない理由が分かった気がした

          3月を振り返りたい。 復職が決まり大喜びしたのも束の間。 躁状態の時に知り合った人との関係が完全に終わった。 その後、愛犬のももちゃんの具合が悪くなった。 一度は元気な姿も見られたが階段を転げ落ちるように悪化し最後には亡くなってしまった。 初めて大切に大切に育てた室内犬だったし、今は亡き母が最後に迎えた命でもあった。 この子のおかげで私は動物が大好きになった。 本当に特別な子だった。 自分も死にたくなる程の重いペットロスをどうにかこうにか乗り越えた矢先に祖母が亡くな

          久々の帰省で環境の変化が良くない理由が分かった気がした

          考え方の癖を変える

          大切なトイプードルのももちゃんが亡くなった後、私は悲しくて悲しくてなかなか前に進めなかった。 叔父が亡くなった時も母が亡くなった時もそうだが、私は特にこれといった宗教を信じていないくせに大切な存在が亡くなるたびにキリスト教的な考えで 「天国に行ってしまった」 「もうこの世界にはいないんだ」 と思っていた。 今回ももちゃんが亡くなったことでこの私の思考の癖が危険な方向に向いてしまった。 天国に行ってしまった ↓ 会いに行きたい ↓ だから私も死んで火葬されたい その気

          考え方の癖を変える

          幸せな時や悲しい時に必ず思い出す言葉

          愛犬のももを亡くしたばかりで、ここのところ毎日泣いているが、そのような時や逆に幸せな時にいつも私をいつも支えてくれる言葉がある。 今回はそれについて紹介したい。 時は遡るが私が高校生くらいの頃、母はバリバリ働いで稼ぐ「ザ・キャリアウーマン」といった女性だったが多忙な中でも「心理学を勉強したい」といい、40歳くらいの時に臨床心理士を目指すため働きながら通信で大学生をやっていた。 家の中には大学の教科書がたくさんあったので私は時々読んでいた。 河合隼雄先生の存在を知ったのも

          幸せな時や悲しい時に必ず思い出す言葉

          ペットロス〜前回の続き〜

          冷たく硬くなったももと最後の一夜を過ごし、私たち夫婦は夕方葬儀の人が来るまでの準備をした。 私たちは黒い服を着てももの為に花を買い、好物だったバナナとソーセージパンを買い、手紙を書くためのレターセットを買った。 帰宅し、手紙を書いた。 もも宛の手紙と、母宛の手紙。 2人が天国で再会できることを願って。 葬儀の担当者がうちに来て、私たちはももと最後のお別れをした。 火葬車にももを乗せて、口の近くには好きだった食べ物を置き、両手の間に手紙を挟み、身体の上にブーケを置いた。

          ペットロス〜前回の続き〜

          大切なペットを失った日のこと

          私は双極性障害で、いつもnoteにはこの病気に関連することしか書かないが、つい数日前に大切な大切なペット(トイプードル9歳♀)のももが亡くなったので記録として書いておこうと思った。 ももは私の母が末期がんの時に「私が飼う!」と母が言い、本人が長年メールアドレスにしていたmomochan0125@から取って「もも」と母が名付けた子だった。 ももが家にやってきてわずか2週間足らずで母は亡くなった。 母が死に、悲しみに暮れる私を救ってくれたのはももだった。 いつも家の中を明る

          大切なペットを失った日のこと