中国の「紅白」 日本で見ながら「過年(グオニエン)」
きのう2月9日は、旧暦の大晦日。中国でも、日本の「紅白歌合戦」にあたる、国民(人民?)的テレビ番組がある。「晩会(wanhui ワンホエイ)」だ。“歌合戦”ではないが、これを見ながら年を越すのが昔ながらのスタイルだ。
CCTVは、全世界の華人(全球華人)を意識した戦略で、国外でもネットですごい高画質で生放送を見ることができる。
この「晩会」、どんな感じか、少しだけ紹介しよう。ここでは中国の政治について批評するのが目的ではない。中国ウォッチングとして、どんな「紅白」をみんなが見ているのか、感じ取ってもらえれば、という趣旨だ。
その放送の前に、ニュース番組。すべてのニュースが党幹部の序列順に発表されるという、ガチガチのメインニュース「新聞聯播 xinwen lianbo」。ここでもアナウンサーがまもなく新年ということで、年越しの挨拶。「我が祖国のさらなる発展を・・」的なことを言っている。我々の考えるニュースとは全く別物だ。
さあ、「晩会」が始まった。「小品(xiapinシャオピン)」と呼ばれる、お笑いの寸劇のようなものを挟みながら、さまざまな歌が続く。
中でも、毎回必ず出てくるのが、(写真は撮らなかったが)中国各地の方言や文化をふんだんに取り入れたお笑い劇。笑いの中に、ほろっと来る要素もあり、また方言に郷愁を誘われる人も多いだろうと思う。私は聴き取るのはちょっと辛いが、これは結構良いと思う。ここに政治の要素は、ない。
もうひとつの特徴は、少数民族だ。特にいつもウイグル族が強調される気がする。各民族が手を携えて、新年の喜びを分かち合う、“という図式が演出”される。ここにはもろに政治を感じる。
そして、今度は・・・なんだ、なんだ?兵士が出てきた。
すごいことになっている。おめでたい年越しの「紅白」で、銃口をこちらに向けないでほしい・・・
続いて、超実力派のベテラン歌手、韓紅が登場。彼女も、”強大な祖国の復興”を高らかに歌い上げる。歌唱力は半端なくすごいが、我々が年越しに聴きたい歌とはかなり違う。やはり全てが祖国礼賛、民族団結と関係している。
しかし、今年やたら強調しているなと感じたのが、若者だ。
地方のフツーの若者たちが、希望に満ち溢れた表情で、楽しそうに歌い踊る。中国の若者の失業率が高いというニュースが頭をよぎった。若者を意識して、やたら若者に“寄って”いる気がしたのは、気のせいだろうか。
そして、カウントダウンへ。
今年は「龍」の年なので、中国語で「成龍(chenglong)」と呼ばれる、香港のジャッキーチェンがまた出てきて、いつものように「国家はひとつの家なり〜」と、高らかに祖国の偉大さと民族団結を歌いあげるのかと思いきや、出て来なかった。
香港の民主化運動がまだ盛んな頃は、やたらと香港から中継を入れたり、香港の映像を入れたりしていたが、今年は、全部最初からちゃんと見ていないので、最初にやっていて私が見逃したのでなければ、香港はフィーチャーされてないように思う。もう敢えて強調しなくてよい状態になったということだろうか?
「過年(guonianグオニエン=年越し)」した。
日本の場合は、この後は、「ゆく年くる年」で除夜の鐘の、あの雪の中の静けさの映像に変わるが、こちらは、お祭り騒ぎだった。
全てが国家や民族と関係していた、中国版「紅白」。
でも、中国の普通の人はきっと今ごろ、国家や民族なんて関係なく、フツーに、楽しく家族との団欒を楽しんでいることだろう。フツーの彼らはフツーの私たちと同じように、自分や家族の幸せをフツーに願い、小さなことに泣き笑い、お正月ぐらいは特別な時間を過ごしたい。きっと、それだけだ。
中国、と聞くだけで、すぐに人々についても全部政治と結びつけて語るのは、それこそ我々も”政治”に無意識に囚われてしまっているのかも、しれない。
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AJ 😀
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