Rokuyon
33年前のあの出来事の記念日が、またやってくる。またかの国で、海外のテレビニュースが突然バツンっと遮断される日が。
毎年この日と言えば、香港での追悼集会、と決まっていた。・・・数年前までは。
そして香港と言えば、私は、「雨傘運動」が落ち着いてきた頃に現地で会った青年を思い出す。
勉強した流暢な日本語で話しかけてきてくれた男子大学生。デモには共感はするが、特に参加はしていないという。
日本の大学への留学が決まり、「日本に行ったらまたお会いしたいです」と目を輝かせていた。
しかし、何回かメールのやりとりをした後、パッタリと連絡が取れなくなった。あの時一緒にいた現地の人が「彼は本当に楽しみにしてたけど、今は連絡しない方がよいかも」と言う。
そういえば、あの時青年は、目を輝かせながらも、
「実は親が日本行きを心配してるんですけど、もう合格したんで、あとは行くだけです」と笑っていた。その”心配”の意味は、大きく変わりつつある
香港の政治状況を考えると、という意味だった。
青年の落胆も、そして親の心配も、すごくわかる気がする。もうあの時点で、香港が今のようになるのは決まっていたのだろうか。
今年も、また追悼集会のない、静かな記念日になるのか。そして、今後このまま、事件はフェードアウトしていくのだろうか。熱量のあったあの人たちは、今何を考え何をしているのだろう。
人々のささやかな夢や自由は、実は結構あっけなく大きな力に消されてしまうことを、香港だけでなく、今回のウクライナ侵攻でも見せつけられた。
しかし、そのストーリーは、まだ終わってない。
きっと「続編」があり、結構いいエンディングがあるはずだと、私は信じている。
「いやいや、メディアがそう騒ぐだけで、今の香港人の大部分の関心は、そんなことよりも・・・」という現地生報告もありそうな気がする。
そして結構街はイキイキとしているように見える。
それも真実かもしれない。
しかし、かつて普通に出来たことができなくなり、
言えたことが言えなくなっていることも真実だとしたら、それを辛く思っている人の割合に関係なく、
きっと、とても重いことだと私は思う。
・・・いずれにせよ、これは全部日本に居て考えているだけの空想だ。
今、無性に、また香港のあの青年に会いに行きたくなった。彼の身に一体何があったのか。
彼のストーリーの「続編」を、ぜひ聞いてみたい。
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今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
AJ 😀
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