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GW ふらりと訪れた小さな街で、花を楽しみ、日米関係を考えた 【神奈川・久里浜】

ゴールデンウィークも残すところあとわずか。まだ天気は良いみたいだし、どこか行きたいけれど、メジャーどころはどこも人混み。そんなあなたに、ふらっと小さな街を訪れる楽しみを、おすすめ。

今回、GW前半に訪れたのは、神奈川県の久里浜。

横須賀市の一部だが、戦艦三笠に、ドブ板通り、猿島、と観光の見どころ満載の横須賀の中心部から、さらに南に行ったところにある。これまた観光地として人気の三浦半島の三崎でもなく、その手前だ。普通ゴールデンウィークの観光でここを目的地にしようと思う人は、そんなに多くないだろう。

久里浜駅前

都心からは都営浅草線が京急に乗り込んでいて、乗り換えなし。1時間と数分で着いてしまう便利さだ。駅前は普通の小さな地方都市という感じ。

駅前のアーケード シャッターが目立ち少し寂しかった

なぜ、ここ久里浜に来ようと思ったのか。
それは、まず「花が見たい。でも、混まなそうなところを」とネットで調べていると、「くりはま花の国」というのがあるのを知ったことだ。

あとは、アメリカのペリー提督上陸の歴史と関係があるというのはぼんやりと知っていたが、これまで一度も行ったことがなかったので、行ってみようと思ったのだった。

駅前の商店街を抜けて歩いて十数分だろうか、ニコンの工場などがある工業団地のようなところの脇を通って「くりはま花の国」へ。

ニコンの工場

「くりはま花の国」到着。

そこでは、真っ赤なポピーの花が、山間の緩やかな斜面に咲き乱れていた。市営のこの公園に入園料はなく、ついたら、もうすでに「花の国」に入っている。まず、美しい!そして、商業色のない、垢抜けていない、と言ったら失礼だが、ぼくとつとした雰囲気が、初めてなのにどこか懐かしい里山を感じさせるような、そんな空間だった。

ゴールデンウィークだけに、花畑の中央には、数十もの鯉のぼりが、雲ひとつない青空を優雅に泳いでいた。

その奥には、ネモフィラ畑。ここは、規模は比較的小さく、もう終わりのように見えた。

この公園は、自然の地形を利用していて、山の中の道を上がったり、下がったり。機関車のような格好をした電動車が園内を回っているが、入園者が多すぎて、停留所で待っていても満員で乗れない。なので、皆、汗をかきながら歩いていた。そして、山の方にしばらく登っていくと、巨大なゴジラ登場。尻尾の部分が滑り台になっていて、子供達が歓声を上げていた。

途中、眼下に久里浜の港を見下ろす。

このほかにも、バーベキューや足湯などもあり、地元の人たちの憩いの公園のようだが、全部回るには結構時間がかかることもあり、遠方からわざわざ来た私のような者や、特に親子連れにとっては十分楽しめる場所だ。

そして、花を堪能した後は、また十数分歩いて住宅街を抜けていくと、先ほど山の上から見下ろした久里浜の港にたどり着く。そこは、規模こそとても小さいものの、パームツリーが並ぶ砂浜があり、地元の人たちが、浜辺で思い思いに時間を過ごしていた。

そして、その浜の目の前には、「ペリー公園」がある。

そこには、「北米合衆国水師提督伯理(=ペリー)上陸記念碑」が鎮座していた。
1853年に、アメリカ大統領の親書を持って、艦隊を組んで、この久里浜から岬隣の浦賀沖に訪れたペリー提督は、この浜から日本に上陸したのだという。

ペリーが開国を迫った翌年には日米和親条約が結ばれ、日本は200年以上続けてきた鎖国を解いて開国するきっかけとなった歴史的な場所なのだ。

また、石碑のこの文字は、あの初代内閣総理大臣・伊藤博文の書であることに気がついた。この碑は、1900年(明治33年)に日米親善団体が建てたものだそうだが、伊藤はその年には第四次内閣を発足させていたようだ。その頃の日米関係、極東情勢に思いを馳せる。

公園内のペリー記念館。小さいながらも、「黒船来航」の歴史を学ぶことができる。

「泰平の眠りをさます上喜撰  たった四盃で夜も寝られず」

昔学校の歴史の授業で習ったあの狂歌を思い出す。黒船の来航で、江戸時代末期の人々がどれほど慌てふためいたのか。大砲を撃ちながら開国を迫られるという経験はどれほどのことだったか、想像力を膨らませる。

あの浜で、こんな光景があったのか

ペリーと乗組員を描いた絵も面白い。

当時の極東情勢、植民地化を進める欧米列強と日本や他のアジアの国々の対応を、あらためて勉強しようと思わされる、とても興味深い展示だった。

ペリーの黒船来航は、日本の歴史に大きな衝撃を与えた事件だったが、翌年の再来を予告して立ち去った後に、江戸防衛のために、東京湾各地に砲台「お台場」が築かれ、今人々が観光地として楽しんでいるあの”お台場”の前に、そのひとつがあったこと、また後に、私の故郷神戸の開港にもつながっていくことになること、など、自分に縁のある場所の歴史ともつながっていることがわかる。

それにしても、アメリカ。太平洋戦争の敗戦後のみならず、日本が”いわゆる国際社会”の一員に組み込まれていく際には、いつもアメリカの影響力があったのかと感じた。

最近、欧米なとどの外交のニュースでは、首脳たちの言葉として、「海洋進出を強める中国」「自由で開かれたインド・太平洋」「力による現状変更は、、」が、念仏のように繰り返されている。私も中国情勢をウオッチする立場としては、安全保障面は安全保障面として、警戒すべきことなどは痛感している。

しかし、ペリーのこの来航は、アメリカ東海岸を出て、アフリカ大陸南端、インド洋を回り、中国を経て、日本へ。思わず、「どんだけ遠くまで海洋進出してんねん!」とツッコミを入れてしまった。

それぞれの大国がそれぞれの正義を掲げて勢力を拡大し、小国はそれに、政治的、経済的に巻き込まれていく。きっと人間の歴史はこんなことの繰り返しなんだろうなと思った。そして、我が国自身も、欧米列強の姿を見て野心を抱き、同じような視点で行動した過去があることも忘れてはならないと、あらためて思った。

ペリーだけで、ちょっと色々感情的に考えすぎたかな。

帰りは、駅に戻る道すがら、コーヒー専門店で見つけた「黒船マイルド」を購入。黒船は、当時の人たちにはマイルドな存在ではなかったと思うが、帰宅後、このコーヒー豆の、まろやかで優しい味わいを堪能した。

きょうも最後までお読みいただき、ありがとうございました。
AJ 😃

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