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存在・行動・結果

生まれたときは
みんな何もできなくて。


でも
何もできないのに
まわりの人たちは
そこにいるだけで喜んでくれて。


そこから、
だんだん成長するに従い

「そこにいるだけでOK」という
存在承認から

「行動しよう」という
行動承認に評価軸が変わっていく。


これまでは、
そこにいるだけでまわりの人たちは
喜んでくれたのに

ある一定の年齢になると
はそうはいかない。


「○○をする」
「○○を実行する」が求められ、


それができないと評価されない。

認めて貰えない。

承認されない。

だから、
「行動できる人が素晴らしいんだ」
という価値観に変化していく。


そこから
さらに年齢を重ねると、


今度はただ単に
「行動する」ということではなく、

「結果をだすこと」という
結果承認に変化していく。


「そこにいるだけでOK」
という存在承認でもなければ、


「○○をした」
という行動承認でもない。

「○○の結果をだした」
という結果承認の世界にはいっていく。

勉強でも
仕事でも


目標達成したものが評価され
結果をだしたものが勝者となる。

どんなにそこに存在していても、
どんなに行動しても、

それは評価項目にならない。

なぜならば求められるのは
「結果」だからだ。

「結果」をだす必要があるからだ。


ただし、
人はずっと成長していくことはできない。


ある一定のタイミングで
これまでとは真逆のことが起きる。

ある一定の年齢に達すると、
自分一人では結果をだせなくなるし
できないことが増えてくる。

「結果」をだすことは勿論、
「行動」することもままならなくなる。


今まで当たり前のようにだしていた
「結果」はだせず、


今まで当たり前のようにしていた
「行動」ができなくなる。

唯一残るのは、
そこに「存在」していることだけ。


人は、
誰もが自分の価値基準をもっていて、
自分のコアな部分にそれが置かれている。


他人に対しておこなう価値基準が、
自分にもそのまま跳ね返ってくる。

「結果が全てだ」
という価値基準で相手に接していれば

「結果がだせなくなった自分」
に価値を見出すのは困難になる。

「行動しろ」
と相手に要求ばかりしていれば

「行動すらできない自分」
になったときそれを受け入れるのは恐れが伴う。

生まれたときは
みんな何もできなくて。


でも
何もできないのに
まわりの人たちは
そこにいるだけで喜んでくれた。

ときが経つにつれ、

「存在承認」から

「行動承認」へと変わり

「結果承認」の世界にはいっていく。

ただし、

ある一定の年齢になると、


「結果承認」から

「行動承認」へ戻り


最後には

「存在承認」しか残らない。

このとき、
なにが自分を苦しめるのか。


このとき、
なにが自分を救うのか。

それは、
自分自身の価値基準に他ならない。

「結果をだすこと」は勿論大事。

「行動すること」も同じくらい大切。

ただし、

「結果のみ」を追い求めるものは、
最後は、
「結果をだせない自分」で苦しむことになる。

「行動のみ」を尊重するものは、
最後は、
「行動できない自分」で苦しむことになる。


「結果」は素晴らしい

「行動」も素晴らしい。


ただし、
忘れてはいけない。


最後には
「存在しているだけ」になることを。


「結果をだせる自分は素晴らしい」

「行動できる自分も素晴らしい」

でも、

「自分は、ここに存在しているだけでOKなんだ」


最後に勝つのは、
こういう価値基準を持つ人なのだ。





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