会津泉(多摩大学情報社会学研究所) Izumi Aizu

70年代は印刷と海外向けの広告・広報の仕事をし、80年代はパソコン通信、90年代はイン…

会津泉(多摩大学情報社会学研究所) Izumi Aizu

70年代は印刷と海外向けの広告・広報の仕事をし、80年代はパソコン通信、90年代はインターネットの普及推進/研究・調査をしてきた。日本とアジアで。00年代はインターネットガバナンスに主に取り組んだ。最近は、デジタルものづくり、モビリティ、イノベーション動向なども調べてる。

最近の記事

ネット社会の退化

ネット社会は退化してないだろうか。 Twitter を頻繁に使わなくなって久しい。なぜだろう。多分大きいのは、ほとんどが一方的発信、垂れ流し、つぶやきで、リトリートも含めて、中身の濃い対話にはなっていかないからだと思う。  80年代にパソコン通信の双方向対話、「電子会議」の利用推進に全力で取り組み、90年代にはそれがグローバルに広がると思ってインターネットの普及に尽力した。双方向のオープンな対話が社会を進化させると期待して。  しかし、その頃の経験を踏まえてかんがえてみると

    • いま、どこにいるのだろうか?

      夜中の3時を過ぎて、目が覚めてしまい、こんなことを考えてしまった。 DXっていうと、何か新しいイノベーション、先進的な改革かのように聞こえる。頑張って推進しよう、と。 でも、よく考えてみよう。 日本の大半の企業、組織、産業界、官界、学界、その他の社会組織の大半は、世界の標準、平均、当たり前となっている、あるいは少し先を行っている思考方法、価値の生産方法、行動様式、意思決定法式、組織運営システム、経営手法、などなどの面で、相当に遅れてしまい一周も二周も遅れていると思えてならな

      • 歴史から学ぶ、とは 〜8月15日に

        <事実>に向き合うことは、歴史から学ぶための基本条件だと思います。たとえそれが自分たちには都合の悪い事実だとしても、いな、まさに都合が悪い事実こそを、しっかり掘り出し、向かい合い、どこがどう間違っていたかを探る、学ぶことが、次の時代をそうならないようにしていく基礎だと思います。  戦争の「被害体験」だけを語ることは、膨大な加害の事実を隠蔽してしまい、総体としての戦争の理解・把握・反省にならなくなります。日本軍が朝鮮、満州、中国大陸、南方諸島、東南アジア、などなどでどんなことを

        • 五輪閉会式雑感

          出汁の効いていないごった煮五輪の閉会式を録画で見た。早送りしながらで全てを見た訳ではないが、多くは実時間で見た。  全体の感想は、出汁の効いていないごった煮というか、ピンボケの五目チャーハンというか、要は美味しくなく、何を伝えたいのか全く分からなかった。〈メッセージ性〉がない。  アイヌ民族の踊り、沖縄のエイサー、秋田と郡上八幡の盆踊り、東京音頭。ストリートパフォーマンス。モダン・ダンス。クラシックのソプラニスタ(男性ソプラノ)歌唱。超長い橋本聖子、バッハ両会長の自画自賛演説

          日本語に主語はない? だから駄目?

           よく「日本語には主語がない」、英語にはキチンと「I」があるし、論理的に明解だ、その点日本語は特殊だ、論理的でない、などの言説がよくなされます。「日本語は論理的でない」というのは本当に論理的に正しいのでしょうか?   日本語の方を中心にして考えると、欧米語には「主語」という面倒なものがある、とも言えます。日本語なら、わざわざ棒を一本引かなくても、あるいは「アイ」って軽く言わなくても、誰が何を考えてるか、行ってるか、前後の言葉でほぼ決められる。日本語はそういう言葉ないし思考にな

          日本語に主語はない? だから駄目?

          <完璧主義>の危うさに思う

          思いつきで、ダラダラ書いてみません。うまく言えないが、五輪の開会式の作曲家問題を含めて、いま、どこかに<完璧>を期待する、あるいは完璧が当たり前だ、というような<完璧主義>が強く流れているように感じます。 もちろん、過去の言動が不適切な人に重要な役割を与え、問題が出てきてからも曖昧な対応に終始してきた主催者側の対応はおおいに疑問です。 まもなく始まるオリパラ大会、これからもコロナ感染の影響は様々に出てくるでしょう。事前に十分シミュレーションして、ルールを整備し、きちんと準

          どうしたの? 総務省さん。

          残念、としか言いようがない、総務省の接待問題。個人的な経験と感想を含めて、あえて書いてみます。とりとめなく。  1980年代=パソコン通信時代は、パソコンが通産省で、通信は郵政省、の所管なので、両省とお付き合いしていた。仲の良くない両省の間で、けっこう大変なこともあった。  その後、90年代以降にインターネットの普及にかかわるようになって、ネット=通信ということで、郵政省、総務省さんとのお付き合いが増えた。インターネット・ガバナンスなどの国際会議でご一緒した。ネット中立性や携

          アジアと日本のネット革命 20年を隔てて

          DX推進に前のめりになっている今の日本に、過去に学ぶ作業が必要だと思って、そのためのプロジェクトを始めているのだが、、ふと思って、20年前に書いた本を、自分で読み直してみた。『アジアからのネット革命』。2001年6月に、岩波書店から出版してもらった。 マレーシアのクアラルンプールに3年1997年から2000年まで、アジアのインターネットの発展に少しは貢献できることをしたいと、丸3年間、マレーシアのクアラルンプール(KL)にアジアネットワーク研究所という小さな研究所を構えて活

          アジアと日本のネット革命 20年を隔てて

          行政改革と電子政府:国のあり方とデジタル化の濃い関係

           デジタル庁設立の動きが続くなか、サッカーとの比較は、いったんお預けにして、その国の「情報化」の大きな構成要素といえる「電子政府」の進展度とその要因を知ることは、日本がどうすべきかということの「参考」になる、と思います。とはいえ、どういう要素・要因が参考になるのか、ならないのかの具体的な吟味が必要ですね。以下、その参考になるかなと思いながら、書いてみました。 楠正憲さんがFacebookで指摘されている、小国=人口規模、というのは、たしかに大きな要素の一つだと思います。一般

          行政改革と電子政府:国のあり方とデジタル化の濃い関係

          デジタル庁と日本のサッカーの歩みと (2)

          デジタル庁と日本のサッカーの歩みと (2) デジタル庁の準備が加速してきた。基本テーマは、マイナンバーカードの普及と、自治体の行政情報システムの統合ないし標準化、とみえる。もちろん、それ以外にも、国の省庁の行政情報システム/サービスの統合・一元化であったり、もう少し広いスコープがあるのかもしれない。  準備室でその議論が進むのだろうが、どこかでちゃんとパブコメしてほしい。民間人が10人、ではぜんぜん足りないし。お願いだから、省益や局益の縄張り争い、蹴り合いはやめてほしい。

          デジタル庁と日本のサッカーの歩みと (2)

          デジタル庁と日本のサッカーの歩みと

          遅まきながら、note に初挑戦します。継続できるか、、はい。以下、最初はFacebookに投稿しようと思ったけど、思わず長くなったので、noteにしようと思ったのです。まだドラフトで、追加・修正しながらと思ってます。 デジタル庁という組織を作ること自体は、1年とか2年とかで可能とは思う。その先を、日本のサッカーの歩みと比べながら考えてみた。  デジタル庁を創るということは、例えばサッカーのプロリーグを新しく作ろう、みたいなことで、そのための組織、推進母体ないしその事務局を

          デジタル庁と日本のサッカーの歩みと